2024年 03月 16日
稽古の目的は? |
私の場合は、生来不器用ですから、先生が教えてくださったことを、直ぐに身体で表現することが出来ませんでした。ですから、普段歩きながら色々な呼吸法を試してみたり、呼吸と動作を一致させる稽古を何年も続けました。気功や太極拳が、その基本になっていますが、霊術関係の呼吸法を比較検証して、自分の身体や目的に合った呼吸法を探し続けたことも、センタリング呼吸法としてまとめる動機になったのだと思っています。
そして、形意拳の歩法を稽古している内に、自然に「呼吸と動作と意識の一致」ということが出来るようになったのかもしれません。その形意拳の歩法を応用した剣の素振りは、呼吸を丁寧に意識しながらも、剣の動きを厳密に制御しないといけないので、センタリング呼吸法の基礎的な鍛錬法としては良くできているのではないかと自画自賛しています。
しかし、剣を持つとどうしても剣を操作する方に意識が向いてしまいますので、息を「吸う・保つ・吐く」のに連動して、身体が「反る・真っ直ぐ・丸める(ヘ・た・レ)」というように動き、それに連れて剣も動くのだと考えることが大切です。
その基本的な動作が、「舟漕ぎ運動」であり、任脈・督脈と薄筋さらには視線まで含めた臨界点の動作が「ペンギン」になっているのです。
▼受け入れ態勢
(感じたこと)
・体内操作と呼吸と臨界点
→体の中が最大限に伸びる位置を感じ、条件が変わる中でも体内操作で自由に中を伸ばすことができることを確認
→臨界点を感じていくことで、より体内操作を感じることができる
→呼気時、吸気時と西江水への流れを感じる
・手の内と引き-攻め(陰陽)
→常に引きと攻め(陰陽)が手の中にあり円運動があることで自由に付けれる
→肘が自由になり体が浮く
→接点の弛みをとり続けれる
→刻刻と変化する部分と変わらない部分を感じる
・頚の位置と仙骨時計
→非常に大切
#楽隠居です
昨日の観照塾から、「合気になれるかもしれない体操」の稽古を始めました。
1番から4番目までを稽古するつもりでしたが、何故か1番と2番だけで終わってしまいました。(*^_^*)
「観照塾に型は有りませんので、各自が技の共通原理を考え、そこに至る方法を自分自身で作りだし、それを実践していく」為の切っ掛けとして、体操を捉えていただければ良いわけです。
「ロッキングチェアー」の動きの中に、骨盤時計や頸椎と腹直筋を伸ばすという目的が含まれている事にお気づき頂けたのではないでしょうか?
すべての動きの中にセンタリングと呼吸が含まれているということもお忘れ無く!
「天地人」では、体幹を細くして伸ばす。逆に言えば、伸びる身体を創ることや、身体の中を勁が通って行く体感を重要視しています。そして、その時の呼吸方法やイメージ力が、呼吸力に繋がるはずだと考えています。これを「体幹訓練」と称します・・・?
一言でいうなら「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法」なのです。
ですから、体操の形を覚えるのではなく、形から何に気づけるか、「仮説実験」を繰り返して頂きたいのです。
という訳で、脱線と駄洒落が最も有効だと考えている楽隠居です。
▼自分で工夫・努力
この自己コントロールは当人自身の努力により、練習を通して決められた体験課題を達成してゆくことで成り立っている。だから、自分で工夫し、実地に体験することが何よりも大切である。理論的な問題は。本当はその後でなければわからない。何が受動性注意集中なのか、非現実性志向がどのようなものかなど、ことばだけの論議はあまり意味がない。まず自分でやってみること、そこで、何とか課題を実現しようと工夫を凝らしてみることが自己コントロールのための第一条件である。
発心して練習をはじめると、しばらくの間は珍しいし、挑戦の意欲もあるし、なんだかうまくいきそうな気にもなれるし、あるいは本当にうまくいっているばあいもあって、熱心に練習を進めるのがふつうである。ところが,そのうちだんだんと気持ちが変ってくる。“自分には合っていないのではないか”、“無駄に時間を費やしているばかり”、“意味のないことをしている”、“こんなことをしていて何んの役に立つのだろうか”などの疑念が生じてくるのも一般的である。
とくに熱心な人、期待の大きすぎるばあいなどには、その変化も大きく、練習に対する抵抗も生じて、やる気を喪いやすい。そんなふうに感じはじめたのは多くのばあい、実は練習が進みはじめ、自分が直面している壁を感じはじめたせいである。この壁が何であるのか、どうすればそれが越えられるのかを長い眼で模索すること、それ自体が自己コントロールの練習の目指すものである。そんな壁が越えられず、背いたり、逃げたり、悪口をいうことで自己満足して、練習を中止してしまう人は、どこへ行っても同じように壁から逃れることができず仕舞いになりやすい。
▼不断の練習
腰を据えて、時日をかけ、じっくりとやるつもりで練習に取りかかるのがよい。またこれをやればかくかくの効果が期待できる、ということはある程度事実だとしても、それを直ちに出現するかのように思うと報われたという感じが薄くなる。効果を期待するよりも、むしろ練習の進歩に工夫を凝らすという、いわば当面の課題に取り組むことに興味をもち、自分の心の動き、気持ちの変化、習性、特性、弱点、困難点など、これまで自分でも気づかなかったことに気づく面白さ、またそんな自分へのチャレンジに興味を抱くような練習を企てるほうが、その効果をよりよくエンジョイできるものである。
☆kouki🌈@aooni4613
3月14日
骨盤と肩甲骨の可動域…
何故…歩法で腕を振るのか…?
体軸は…
孔雀のように…引き締めて釣り上げる。
昨日の整体で…アドバイス頂きました。
足だけ…
手だけ…
では、身体は繋がらず…
固めるだけでした…😓
また、初めの第一歩ですね…🌸
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by centeringkokyu
| 2024-03-16 00:01
| 合気観照塾