2008年 03月 04日
合気道と新陰流 |
「植芝盛平の武産合気」清水豊著からご紹介します。
◎盛平の剣術
合気道における入身転換の動きの確立には、盛平による新陰流の研究もおおいに役立っているとされる。盛平の弟子に海軍の下條小三郎が居り、盛平は下條から新陰流の教えを受けたようである。
「下條は允可の段階でないと教えない『無刀の位』を除くいろいろな形を手をとって植芝に教えたといいます」(前掲『合気道教室』)
下條は名人として知られていた尾張柳生家の柳生厳周の弟子で、允可を得ていた。また盛平も惣角から「進履橋」と題する新陰流の巻物を大正十一年の九月に得ているが、これも、
「上泉武蔵守藤原秀綱
柳生但馬守平宗厳
柳生但馬守平宗矩
旧会津藩
十余世
武田惣角源正義」
となっており、途中が抜けている。惣角は元々は剣術家であり、会津では渋谷東馬から小野派一刀流を、後に榊原鍵吉からは直心影流を習得したとされているが、新陰流に関しては伝承が明らかではない。ただ伝書の途中を省略する「十余世」という書き方は大東流のそれと同じであるから、これもあるいは新羅(しんら)明神を奉戴する「人」からの伝授であったのかもしれない。
ただ、盛平は惣角からは、実技の指導はあまり受けていなかったようで、東京に出て初めて新陰流の袋竹刀を見たらしい(前掲『合気道教室』)。また望月稔は惣角が盛平の牛込の自宅道場を訪れた際、袋竹刀が置いてあるのを見て激怒したと、わたしに話してくれたことがある。なぜ盛平が新陰流に大きな執着を見せたのかは明らかではないが、わたしはそこには天の御中主の神に通じる「水」の感覚と、高御産巣日の神、神産巣日の神に通ずる「螺旋」の感覚があったものと思われる。
既にこうした感覚を技として新陰流が具現化していることを盛平は見抜いていたのではあるまいか。それはまた惣角を通して新陰流の伝書が渡されたひとつの「因縁」であったのかもしれない。これを惣角の後ろにいた「人」の示唆(霊的な仕組み)と見るのはうがち過ぎであろうが、秘教の伝承にはこうした不思議な「縁」が関係することが多いのである。間にいる人は、知らないうちに霊的な緑のある人に、その「緑」をつないでしまうのである。惣角が袋竹刀を見て激怒したのも、盛平が「緑」をつないでしまったことへの驚きが、そこには、あったのかもしれない。
盛平は、「入身転換の法を会得すれば、どんな構えでも破っていけるものであり」(『合気神髄』)としながらも、「しかしながら一刀一殺をすることが真の道ではない。合気は和合の術である」(同)と述べている。新陰流の「転」については「長岡房成兵法論」(転之説)に、「敵の仕懸、千変万化、吾よって転化すといふ事なり」とある。相手の攻撃しようとする勢いを転じて、相手自身に向かわせるのが「転」の本義であり、これは入身転換の働きと同じである。この転の働きを長岡は「勢い」と言っている。
「この勢ひ常に走りたる事なし。水の物に応じて速に勢ひをなすがごとく、自然に応ずる勢ひなり」つまり、相手と一体となって動き、変化するのが「転」であるという訳である。盛平にも攻防の場において「水」の感覚があったようで、「水が始終自分の肉身を囲んで水とともに動くのである」(『合気神髄』)と述べている。
#楽隠居です
植芝盛平翁のお言葉を抜粋しておきますが、私自身は合気道でいうところの「呼吸」や「むすび」が、新陰流の「付ける拍子」や一刀流の「そくい付け」と共通点があるのではないかと考えています。そして、そのキーワードが「体内操作」と「神経訓練」だと考えているのですが・・・
詳しくは、ブログ内単語検索でどうぞ!
「真空の 空のむすびの なかりせば 合気の道は 知るよしもなし」
「相手をその者の力のおよばぬ円外において抑えるならば、相手はすでに無力ゆえ、人指し指であろうと小指であろうと、指一本をもって容易にこれを抑えられることになるわけじゃ。
己はたえず円転しつつなお己の円内に中心をおき、そして逆に、相手を相手の円外に導きだしてしまいさえすれば、そうじゃ、それですべては決してしまうというわけなのじゃ」
「呼吸の微妙なる変化は五体に喰い込み、深く喰い入ることによって五体のはたらきを活性化し、おのずから活発に神変万化の動作をうながすこととなる。」
「呼吸の微妙なる変化はまた、真空の気に微妙なる変化を生ぜしめる。極烈なる波動あり、遅鈍なる波動あり、その両々相俟つ波動の変化をもってして、己れが心身の凝結の純度のいかんがわかるのである。」
「体は無形の剣にして 剣は体の延長なり」
参照1:合気道の神髄
参照2:体全体が呼吸をする
参照3:開祖道話
参照4:付ける拍子
参照5:合気とは何か
by centeringkokyu
| 2008-03-04 00:03
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