2008年 03月 02日
気を高めればよいわけではない |
「真気の入れ方と邪気の抜き方」色彩・言葉・形が気を動かす
本宮輝薫著 からご紹介します。
気感を高めて、体内の気の流れをよくし、そして気のパワーを強めていこうとすることが、気をトレーニングする人たちの基本的目標である。
ここにも、いくつかの誤解がある。
よく「気に敏感になればなるほどよく、それは霊的に高まった印だ」というようなことを言う人がいる。しかし、これは間違いである。気に敏感な人はいくらでもいる。そのような人たちのほとんどは、むしろ、その敏感すぎる体質に苦しんでいる。ほんのちょつと気に触れただけで体調を崩し、精神的にも不調になる。このような「不安定感」が霊的に高まった証拠だとすることは誤りである。その人は、たしかに霊的な体質を持っているかもしれない。がしかし、そのような体質と精神性の向上とは、むしろ相反することも少なくないのである。霊的な仕方で透視や占いなどを行う人の中に、多少人間的な「ズレ」や「違和感」を感じさせる人が少なくないことを、多くの人が感じるのはそのためである。大切なことは、気に敏感になることではない。むしろ、気に振り回されるのではなく、気を自らの意志でコントロールすることができるようになることである。そうするためには、もちろんある程度気感を高めなければならない。しかし、気に敏感になることが目的なのではなく、ある一定の目的で気を動かすことが求められているのである。そのために、自らの意志と理性でコントロールできる範囲内で気を感じるようになれることが重要なのである。
他方、気の流れをよくしようとして、身体の中をグルグルと止めどもなく気を流そうとするトレーニング法に没頭する人もいる。確かに、現代人の身体は気の流れがよくない。しかしながら、気をできるだけたくさん流せばそれでよいわけではない。川は水が流れていなければ濁ってしまう。けれども、水を流しすぎれば洪水となって川そのものが壊れてしまう。血液もスムーズに流れている必要がある。しかし、血流量が多すぎて流れすぎれば、血管に過剰な負担をかけるであろう。これと同じように、気も体内を流れすぎれば、身体全体のバランスを壊してしまうだろう。何事も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」。気も流しすぎれば、おかしくなる。実際、気のトレーニングをしすぎて、心身の調和を崩している人も少なくない。
さらに、自身の気のパワーをできる限り増強しようとすることも、ひとつの誤りであろう。すでに述べたように、気にとってもっとも重要なものは、量よりも質である。さらにいえば、質よりも情報である。ところが、質も情報も考慮に入れることなく、ただ気を強くしようとしてトレーニングに励んでいる人も少なくない。これでは、その人自身の気のレベルが低次のものとなり、精神性もかえって低下してゆきかねない。人間にとって癒しとなるものは、「精神的レベルの高い性質や情報を持っている気」であって、単に動物的な生命力ではない。
#楽隠居です
30年くらい前には、一時的ですが仙道に興味をもった時期があり、小周天も自習していたことがあります。
長女が一歳ぐらいだった時に、長女を寝かしつけながら小周天の稽古をしました。調度春先だったので、子供の体温と春の日差しをカーテン越しに感じながら小周天をしてみると、温度計が上がっていくような感じで、暖かさがゆっくり背骨を伝わって上がっていくような気がしました。これが小周天かどうかはわかりませんが、別に小周天でなくてもいいじゃないかと考えるようになりました。
そして、外丹功を習ったあと暫くの間、子供と一緒に風呂につかりながらボールで遊び、子供が風呂場から出て行った後も、独りでボールをお湯の中に押し込んで遊んでいたものです。気のボールをイメージしているだけでは実感がなかったので、実際に大きさの違うボールを使って試してみたのです。
張宇先生や沈再文先生に気功を教えていただいた頃から、「意識」と「力の伝達」の方に興味が移ってしまったのです。
参照1:現代仙道百科
参照2:悠かなる虚空への道
参照3:気内蔵療法
参照4:気と練功そして意念について
参照5:外気発功法
参照6:健身益寿功
本宮輝薫著 からご紹介します。
気感を高めて、体内の気の流れをよくし、そして気のパワーを強めていこうとすることが、気をトレーニングする人たちの基本的目標である。
ここにも、いくつかの誤解がある。
よく「気に敏感になればなるほどよく、それは霊的に高まった印だ」というようなことを言う人がいる。しかし、これは間違いである。気に敏感な人はいくらでもいる。そのような人たちのほとんどは、むしろ、その敏感すぎる体質に苦しんでいる。ほんのちょつと気に触れただけで体調を崩し、精神的にも不調になる。このような「不安定感」が霊的に高まった証拠だとすることは誤りである。その人は、たしかに霊的な体質を持っているかもしれない。がしかし、そのような体質と精神性の向上とは、むしろ相反することも少なくないのである。霊的な仕方で透視や占いなどを行う人の中に、多少人間的な「ズレ」や「違和感」を感じさせる人が少なくないことを、多くの人が感じるのはそのためである。大切なことは、気に敏感になることではない。むしろ、気に振り回されるのではなく、気を自らの意志でコントロールすることができるようになることである。そうするためには、もちろんある程度気感を高めなければならない。しかし、気に敏感になることが目的なのではなく、ある一定の目的で気を動かすことが求められているのである。そのために、自らの意志と理性でコントロールできる範囲内で気を感じるようになれることが重要なのである。
他方、気の流れをよくしようとして、身体の中をグルグルと止めどもなく気を流そうとするトレーニング法に没頭する人もいる。確かに、現代人の身体は気の流れがよくない。しかしながら、気をできるだけたくさん流せばそれでよいわけではない。川は水が流れていなければ濁ってしまう。けれども、水を流しすぎれば洪水となって川そのものが壊れてしまう。血液もスムーズに流れている必要がある。しかし、血流量が多すぎて流れすぎれば、血管に過剰な負担をかけるであろう。これと同じように、気も体内を流れすぎれば、身体全体のバランスを壊してしまうだろう。何事も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」。気も流しすぎれば、おかしくなる。実際、気のトレーニングをしすぎて、心身の調和を崩している人も少なくない。
さらに、自身の気のパワーをできる限り増強しようとすることも、ひとつの誤りであろう。すでに述べたように、気にとってもっとも重要なものは、量よりも質である。さらにいえば、質よりも情報である。ところが、質も情報も考慮に入れることなく、ただ気を強くしようとしてトレーニングに励んでいる人も少なくない。これでは、その人自身の気のレベルが低次のものとなり、精神性もかえって低下してゆきかねない。人間にとって癒しとなるものは、「精神的レベルの高い性質や情報を持っている気」であって、単に動物的な生命力ではない。
#楽隠居です
30年くらい前には、一時的ですが仙道に興味をもった時期があり、小周天も自習していたことがあります。
長女が一歳ぐらいだった時に、長女を寝かしつけながら小周天の稽古をしました。調度春先だったので、子供の体温と春の日差しをカーテン越しに感じながら小周天をしてみると、温度計が上がっていくような感じで、暖かさがゆっくり背骨を伝わって上がっていくような気がしました。これが小周天かどうかはわかりませんが、別に小周天でなくてもいいじゃないかと考えるようになりました。
そして、外丹功を習ったあと暫くの間、子供と一緒に風呂につかりながらボールで遊び、子供が風呂場から出て行った後も、独りでボールをお湯の中に押し込んで遊んでいたものです。気のボールをイメージしているだけでは実感がなかったので、実際に大きさの違うボールを使って試してみたのです。
張宇先生や沈再文先生に気功を教えていただいた頃から、「意識」と「力の伝達」の方に興味が移ってしまったのです。
参照1:現代仙道百科
参照2:悠かなる虚空への道
参照3:気内蔵療法
参照4:気と練功そして意念について
参照5:外気発功法
参照6:健身益寿功
by centeringkokyu
| 2008-03-02 10:41
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