2008年 01月 08日
合力は強い |
「養老訓」養老孟司著からご紹介します。
古武術家の甲野善紀さんという方がいます。桑田真澄投手などさまざまなジャンルのスポーツ選手に指導したことでも知られている人です。彼がある日、私の家にやってきてデモンストレーションしてくださいました。
甲野さんがお弟子さんと竹刀を持って向かい合って打ち合う。同じくらいの力の持ち主同士ですから、普通にやったらガチンと当たってそこで力が伯仲して止まってしまいます。実際に最初の打ち合いではそうなりました。
ところが、次の回では甲野さんがちょっとやり方を変えてみました。すると今度は甲野さんが打ち勝ったのです。甲野さんによると力の入れ方が違うということでした。
どちらも竹刀を斜めに振り下ろすという点では同じです。第三者から見ていると同じ行動なのですが、当の甲野さんの意識はまったく違うというのです。
斜めの動きを、垂直、つまりまっすぐ下に竹刀を振り下ろす動きと、水平に身体を回転させる動きの合成に分解して考えます。最初にお弟子さんと伯仲したときの意識は「力いっぱい斜めに振り下ろす」というものでした。
二回目のときは分解して考えた「まっすぐ下に振り下ろす動き」と、「水平に身体を回転させる動き」を「同時に別々にやったのですよ」と言うのです。
つまり直角の動きを同時に行ったとき、斜めのカは最大限になったのです。武道をやらない私にはわかったような、わからないような説明でしたが、それでも面白いなと思いました。ここでも「直角」であることが最大のカを生むという理屈だったからです。
実は基礎の学問の価値というのもまさにここにあるといえます。学問において、水平、垂直の方向のベクトルは基礎学問です。その基礎が伸びれば合力、応用の学問は自然と伸びます。
垂直の動き、水平の動き、どちらを伸ばしても構いません。どちらを伸ばしても、合力は伸びていくのです。学問の世界で、応用の学問が軽く見られる理由はここにあります。なぜかというと、応用の学閥とは最初から竹刀を斜めに振っているようなものなのです。最初から斜めに振る動きを覚えると、一見、すぐに役に立つように思われます。しかし、実はそれは発展性のないマニュアルを身に付けているようなものです。
本当に力をつけようと思ったら、垂直に振り下ろす動きと真横に回転する動きの二つだけ練習すれば、斜めを練習する必要はないのです。
逆に言えば斜めの動きを一生懸命学ぶ必要はありません。基本の動きを身につけておけばあらゆる応用がきいて、現実に対応できるということです。
最近の学生に基礎学力がないということが問題とされています。問題はまさにここにあります。このことと何にでも「マニュアルください」という学生とはまったく同じです。いきなり「斜めに振る方法を教えてください」ということです。斜めに振るのは別に練習しなくてもいいということが、学生はもちろん先生にもわかっていないのです。
基本があれば力は自然と伸びるものです。単純な例をあげれば、国語と算数を両方やっておくことで論理的にものを書くことの訓練になるわけです。何も改めて「小論文」を学ぶ必要はありません。
甲野さんに教わって私も実際に竹刀を振ってみました。それで「同時に別々にやる」という意味がわかりました。「同時に別々にやる」ことを意識してやった瞬間にまったく違う。何が違うかというと、お腹にグッと力が入る。よく臍下丹田に力を入れろというけれど、こういうものかと初めて気づかされました。
これが斜めに振ろうとすると肩に力が入る。軽い動きになってしまう。外から見ると同じ動きでもまったく威力が違います。
#楽隠居です
この本は、年末にI川さんからお借りしました。
「不機嫌なじいさんにならない」「夫婦は向かい合わないほうがいい」「面白がって生きる」「決まりごとに束縛されない」などの養老訓があり、私のような老人には、なかなか参考になる内容でした。
しかし、今月からの観照塾は、歩法と剣の素振りがテーマになっていますので、「合力は強い」を引用させて頂きました。
参照1:神力徹眼心
参照2:水
参照3:釣り合い
参照4:剣を使った呼吸力養成法
参照5:袋撓いでの相対稽古
参照6:意識のベクトルと合気二刀剣
参照7:基礎の重視と日常からの鍛錬
古武術家の甲野善紀さんという方がいます。桑田真澄投手などさまざまなジャンルのスポーツ選手に指導したことでも知られている人です。彼がある日、私の家にやってきてデモンストレーションしてくださいました。
甲野さんがお弟子さんと竹刀を持って向かい合って打ち合う。同じくらいの力の持ち主同士ですから、普通にやったらガチンと当たってそこで力が伯仲して止まってしまいます。実際に最初の打ち合いではそうなりました。
ところが、次の回では甲野さんがちょっとやり方を変えてみました。すると今度は甲野さんが打ち勝ったのです。甲野さんによると力の入れ方が違うということでした。
どちらも竹刀を斜めに振り下ろすという点では同じです。第三者から見ていると同じ行動なのですが、当の甲野さんの意識はまったく違うというのです。
斜めの動きを、垂直、つまりまっすぐ下に竹刀を振り下ろす動きと、水平に身体を回転させる動きの合成に分解して考えます。最初にお弟子さんと伯仲したときの意識は「力いっぱい斜めに振り下ろす」というものでした。
二回目のときは分解して考えた「まっすぐ下に振り下ろす動き」と、「水平に身体を回転させる動き」を「同時に別々にやったのですよ」と言うのです。
つまり直角の動きを同時に行ったとき、斜めのカは最大限になったのです。武道をやらない私にはわかったような、わからないような説明でしたが、それでも面白いなと思いました。ここでも「直角」であることが最大のカを生むという理屈だったからです。
実は基礎の学問の価値というのもまさにここにあるといえます。学問において、水平、垂直の方向のベクトルは基礎学問です。その基礎が伸びれば合力、応用の学問は自然と伸びます。
垂直の動き、水平の動き、どちらを伸ばしても構いません。どちらを伸ばしても、合力は伸びていくのです。学問の世界で、応用の学問が軽く見られる理由はここにあります。なぜかというと、応用の学閥とは最初から竹刀を斜めに振っているようなものなのです。最初から斜めに振る動きを覚えると、一見、すぐに役に立つように思われます。しかし、実はそれは発展性のないマニュアルを身に付けているようなものです。
本当に力をつけようと思ったら、垂直に振り下ろす動きと真横に回転する動きの二つだけ練習すれば、斜めを練習する必要はないのです。
逆に言えば斜めの動きを一生懸命学ぶ必要はありません。基本の動きを身につけておけばあらゆる応用がきいて、現実に対応できるということです。
最近の学生に基礎学力がないということが問題とされています。問題はまさにここにあります。このことと何にでも「マニュアルください」という学生とはまったく同じです。いきなり「斜めに振る方法を教えてください」ということです。斜めに振るのは別に練習しなくてもいいということが、学生はもちろん先生にもわかっていないのです。
基本があれば力は自然と伸びるものです。単純な例をあげれば、国語と算数を両方やっておくことで論理的にものを書くことの訓練になるわけです。何も改めて「小論文」を学ぶ必要はありません。
甲野さんに教わって私も実際に竹刀を振ってみました。それで「同時に別々にやる」という意味がわかりました。「同時に別々にやる」ことを意識してやった瞬間にまったく違う。何が違うかというと、お腹にグッと力が入る。よく臍下丹田に力を入れろというけれど、こういうものかと初めて気づかされました。
これが斜めに振ろうとすると肩に力が入る。軽い動きになってしまう。外から見ると同じ動きでもまったく威力が違います。
#楽隠居です
この本は、年末にI川さんからお借りしました。
「不機嫌なじいさんにならない」「夫婦は向かい合わないほうがいい」「面白がって生きる」「決まりごとに束縛されない」などの養老訓があり、私のような老人には、なかなか参考になる内容でした。
しかし、今月からの観照塾は、歩法と剣の素振りがテーマになっていますので、「合力は強い」を引用させて頂きました。
参照1:神力徹眼心
参照2:水
参照3:釣り合い
参照4:剣を使った呼吸力養成法
参照5:袋撓いでの相対稽古
参照6:意識のベクトルと合気二刀剣
参照7:基礎の重視と日常からの鍛錬
by centeringkokyu
| 2008-01-08 22:12
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