2007年 07月 11日
治療といふこと |
「治療の書」 野口晴哉著から抜粋してご紹介します。
治療といふこと いつも人の体の自然の働きによらざる可からず。護ること庇ふこと出来て、鍛へしむること突き放すこと出来ざるは彼をして独り立たしめざる也。治療のこと 人を強くする為に導く也。時に突き放し、背くこと必要也。
然るに親切第一にすると称して同情の押売りをし、彼を慰め「お大切に」といへば親切のつもりの人あるも、治療する者の親切は彼をして独り立たしむるのみ親切也。その為に冷淡も不親切も、彼の為それを用ふるを是也と信ずる時は褒貶(ほうへん)を度外してすらすら用ひ彼をして強くする也。同情は人を弱くしその弱きに快感あらしめ、親切は人を依りかゝらしめて独り立つ気力を失はしめ、慈悲は治療する者を快ならしむるも受くる者を高圧し、冷淡は人を憤らせることあるも又奮発せしめ、突き放せば倒れることあるも独り立つ機となることもある也。補ひ庇ひ護ること必ずしも人を強くせず、飢へし人の食を奪ひ、盲人の杖を捨てしむること必ずしも不親切に非ず冷酷ならず心の表面のことしか見得ざる人は別として、心を感ずるすべての人はこのこと親切なることを知る也。
治療といふこと この親切に依ってのみ行はる可き也。それ故自分で自分を守る心ありては治療のこと行ひ得ざる也。自分の利不利のみ考へてゐては治療のこと出来ぬ也。慎重も親切も守る可きに守り 捨つ可きに捨て、如何なる時にもこだはることなく常に白紙に動き明鏡の心に生きてのみ治療のことある也。持つべきものあらばこだはる也。持つべきものなく こだはる可きもの無く いつも静かに息してゐること大切也。治療のこと先づ自分を静かならしむる也。
風邪で死ぬ体あり、肺炎もすらすら経過する体あり。風邪軽きに非ず 肺炎重きに非ず 体の問題也。体のこと先づ見る可き也。体を見て体の保たるゝ裡なるはたらきを知り、更に心を感じ、その動かざるに動くを見、病気の経過変ぜざるに変ずるを知る也。
治療のこと気を感じて始めて為すを得る也。気は見えざる気見るに至って治療のことある也。気枯れ又気去るは癒えず、古人 けがれ くさる といひし所以也。気伸は癒ゆ也。気を感ずれば裡なるはたらき自づから知るを得る也。又心のこと自づから判る也。
心のこと 表面に動く心をのみ見てゐては判らぬ也。その潜伏観念の動きを見る也。その抑圧されし感情の潜在活動を読む也。表に現れし一の心の動きも 又その反映也。怒る人には怒る理由既に裡にある也。月を見て泪する人の泪する理由、月を見る前よりある也。されば過剰な感情のうしろには性慾ある也。病気を激しく恐怖するも、人の為せしこと激しく怒るもその鬱散運動也。表面のことつかまへて頭にむかって如何に説教しても之の恐怖去らず、その怒り解けざるはもとより也。
治療するの人 体を見て気を感じ、気を感じて心を知り、心を知りて人間の生くる動きを感じ、その生きてゐることの現はれとして 体のこと 心のこと感ずるを得る也。斯くしてのみ姿勢を見て裡の平衡維持のはたらきを知り、一言の不平に百千の抑制されてゐる感情を感じ、一の庄痛にその生理的状況の変を知るを得る也。
指一本見ても、その人間を見るを得るは是治療のこと為し得るの人也。治療するの人 それ故見得るものを見て 見えざるものを見る也。見得るものを見て、見得るもののみ見てゐるは治療のこと為し得ざる也。
治療するの人 風俗習慣 季候風土はもとより、気圧の変雨風晴雪に至る迄治療の道として見る也。湿度温度はもとより、着物の着方髯の剃り方髪のとかし方迄がその観察の対象也。そのことを観察するに非ずして、そのことに動く人間の裡の動きを見る也。
隠居してゐる人の胃病と働いてゐる人の胃病を一に見ず、八百屋の下痢と役人の下痢と一に見ず、雨の日の腹痛と晴れた日の腹痛を一に見ず。老人と小児の消化不良を一と見ず、また心悸冗進と胃痙攣と別なるものと見ず、老人の不平と汚れた手で給仕する妻君の行動を別なるものと見ず、学生の神経衰弱と女の白粉つけることを別なるものと見ず、また眠れぬことゝ眠れぬと思ってゐることを区別し、痛いことと痛いことを訴へることを区別して見る也。雨の日と晴れた日の操法に対する感受性に違ひあること、信ずるものと信ぜざる者に於ける感受性の相違、南の人と北の人の感じ方の相違もとより知る也。
参照1:治療ということ
参照2:心理指導は自発的変化喚起の術也
参照3:体癖(2)
治療といふこと いつも人の体の自然の働きによらざる可からず。護ること庇ふこと出来て、鍛へしむること突き放すこと出来ざるは彼をして独り立たしめざる也。治療のこと 人を強くする為に導く也。時に突き放し、背くこと必要也。
然るに親切第一にすると称して同情の押売りをし、彼を慰め「お大切に」といへば親切のつもりの人あるも、治療する者の親切は彼をして独り立たしむるのみ親切也。その為に冷淡も不親切も、彼の為それを用ふるを是也と信ずる時は褒貶(ほうへん)を度外してすらすら用ひ彼をして強くする也。同情は人を弱くしその弱きに快感あらしめ、親切は人を依りかゝらしめて独り立つ気力を失はしめ、慈悲は治療する者を快ならしむるも受くる者を高圧し、冷淡は人を憤らせることあるも又奮発せしめ、突き放せば倒れることあるも独り立つ機となることもある也。補ひ庇ひ護ること必ずしも人を強くせず、飢へし人の食を奪ひ、盲人の杖を捨てしむること必ずしも不親切に非ず冷酷ならず心の表面のことしか見得ざる人は別として、心を感ずるすべての人はこのこと親切なることを知る也。
治療といふこと この親切に依ってのみ行はる可き也。それ故自分で自分を守る心ありては治療のこと行ひ得ざる也。自分の利不利のみ考へてゐては治療のこと出来ぬ也。慎重も親切も守る可きに守り 捨つ可きに捨て、如何なる時にもこだはることなく常に白紙に動き明鏡の心に生きてのみ治療のことある也。持つべきものあらばこだはる也。持つべきものなく こだはる可きもの無く いつも静かに息してゐること大切也。治療のこと先づ自分を静かならしむる也。
風邪で死ぬ体あり、肺炎もすらすら経過する体あり。風邪軽きに非ず 肺炎重きに非ず 体の問題也。体のこと先づ見る可き也。体を見て体の保たるゝ裡なるはたらきを知り、更に心を感じ、その動かざるに動くを見、病気の経過変ぜざるに変ずるを知る也。
治療のこと気を感じて始めて為すを得る也。気は見えざる気見るに至って治療のことある也。気枯れ又気去るは癒えず、古人 けがれ くさる といひし所以也。気伸は癒ゆ也。気を感ずれば裡なるはたらき自づから知るを得る也。又心のこと自づから判る也。
心のこと 表面に動く心をのみ見てゐては判らぬ也。その潜伏観念の動きを見る也。その抑圧されし感情の潜在活動を読む也。表に現れし一の心の動きも 又その反映也。怒る人には怒る理由既に裡にある也。月を見て泪する人の泪する理由、月を見る前よりある也。されば過剰な感情のうしろには性慾ある也。病気を激しく恐怖するも、人の為せしこと激しく怒るもその鬱散運動也。表面のことつかまへて頭にむかって如何に説教しても之の恐怖去らず、その怒り解けざるはもとより也。
治療するの人 体を見て気を感じ、気を感じて心を知り、心を知りて人間の生くる動きを感じ、その生きてゐることの現はれとして 体のこと 心のこと感ずるを得る也。斯くしてのみ姿勢を見て裡の平衡維持のはたらきを知り、一言の不平に百千の抑制されてゐる感情を感じ、一の庄痛にその生理的状況の変を知るを得る也。
指一本見ても、その人間を見るを得るは是治療のこと為し得るの人也。治療するの人 それ故見得るものを見て 見えざるものを見る也。見得るものを見て、見得るもののみ見てゐるは治療のこと為し得ざる也。
治療するの人 風俗習慣 季候風土はもとより、気圧の変雨風晴雪に至る迄治療の道として見る也。湿度温度はもとより、着物の着方髯の剃り方髪のとかし方迄がその観察の対象也。そのことを観察するに非ずして、そのことに動く人間の裡の動きを見る也。
隠居してゐる人の胃病と働いてゐる人の胃病を一に見ず、八百屋の下痢と役人の下痢と一に見ず、雨の日の腹痛と晴れた日の腹痛を一に見ず。老人と小児の消化不良を一と見ず、また心悸冗進と胃痙攣と別なるものと見ず、老人の不平と汚れた手で給仕する妻君の行動を別なるものと見ず、学生の神経衰弱と女の白粉つけることを別なるものと見ず、また眠れぬことゝ眠れぬと思ってゐることを区別し、痛いことと痛いことを訴へることを区別して見る也。雨の日と晴れた日の操法に対する感受性に違ひあること、信ずるものと信ぜざる者に於ける感受性の相違、南の人と北の人の感じ方の相違もとより知る也。
参照1:治療ということ
参照2:心理指導は自発的変化喚起の術也
参照3:体癖(2)
by centeringkokyu
| 2007-07-11 00:06
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