2007年 06月 05日
木刀作り |
月刊「剣道時代」の記事から抜粋してご紹介します。
「鉋にたくす木刀作りのいのちを語ることこと」
◆カシという木は、ねうちのある木でしてね
木刀が剣の道の修行に使用されるようになったのがいつのことか、定かではないが、昔、剣士たちは手ずから木を削りこの要具を作っていた。その作り方は流派それぞれに規矩(きく)が定められていた。たとえば薩摩藩の「御流儀」とされた示現流兵法に、三代東郷藤兵衛重利が慶安三年(1650)にしたためた「示現流兵法木刀寸尺」という伝書があって、刃と峯(棟)の削り様、切先の切り様、また、反り、しのぎ(鎬)、柄の作りなどに、詳しく言及している。さらに、古木の木刀で反りのないものは水に一晩入れておき、取り出して火で灸り、柱などに搦めつけ、矯めて反りをかけること・・といった知恵も記されている。用いる原材(原木)については八種をあげているが、中には、柘植、椿、谷渡り(オオタニワタリの異称)といった、今では木刀製作にはほとんど用いられない材もふくまれている。
木刀は、今はこれを専門に作る職人の手にゆだねられている。木刀匠である。
明治時代の末、大和(奈良)、山城(京都)、筑前(福岡)、そして薩摩へと西下した木刀匠の技と心は、それより日向(宮崎県)の都城に伝承されている。そして今、全国の木刀生産量のおよそ九割がこの地から産み出されている。堀之内登さん(74)は、その都城市で五十余年、木刀を作りつづけている。
木刀にする原木は今はカシ[樫]が主流になってますが、カシにも、私たちが本ガシといっているアカガシ[赤樫]、シロガシ[白樫]など、いろんな種類がある。現在いちばん多くつかっているのは、イチイガンです。アカガシやシロガシは密度が高くって、水に入れると沈みますが、イチイガシは浮かびます。ですが、やっぱり堅木〔堅固な木〕には違いないですし、水にも強いから、たとえば船の舵なんかに使ってある。オールや艪などはシイ[椎]でも間に合うが、艪はどうしたってイチイガシじやなかといかん、ということになってますね。
カシの木は寒い時期に伐採します。水分を吸っているので四月から十月までは伐らないんです。木刀に使えるのは、最低で樹齢六十年ぐらいのでなくちゃならん。五十年ぐらいのはスコップなんかの柄を作るにはいいが木刀には使えんとです。八十年とか、九十年とか、年とったカシは、鉋掛けがなめらかにやれるし、きれいな屑がでる。
使うところは枝下……一番下の枝の下。その部分が長ければ長いほど良いということになりますね。それを市場で入札して丸太で買うのですが、その選びかたはやっぱりむずかしいんです。姿がすらっとしていて凹凸のない木を選びますが、山によっては伐り出してきた木に虫がついていることがある。その虫も外虫と内虫があってね。外虫のほうは木の皮を見ればわかるが、内虫は目に見えない。じゃあどうやって識別するかというと、においで判断するのです。においを嗅いで「おかしいな」と感じたのは、まず内虫にやられている。
とにかく、仕入れのときの選木には、神経をつかう。木刀作りの中のむずかしい仕事の一つは、この仕入れです。
カシのほかに木刀になる木はいろいろありますが、一つはイス[柞]の木…こっちではユスと呼んでいる木ですね。はい、示現流の立木打ちに用いられている棒の材です。剣道家の方々があこがれるスヌケは、このイスの老木の芯の部分です。風で倒れるなどしたイスは、何十年かそのままになってるうちに外側は腐りますが、この芯のところは堅さも、ねばりも増して、黒い光沢をもつようになる。スヌケがいかに堅いかってことは、製材の現場を見ているとわかる。火花が散るんですよ。
木刀の珍品中の珍品が南九州の山にしかないスヌケの木刀ですが、今ではスヌケはなかなか手に入らなくなりました。それからコクタン[黒檀]もね。東南アジアなどの高地産のコクタンからは、重いのが特徴の木刀が出来ますが、うちに今かろうじてあるのは、十五年前に仕入れたものなんです。それほど入手がむずかしくなっています。
◆鉋がよく切れれば、仕事は楽Lくって……
堀之内登製作所の建物の一つに、「桜登印都城木刀展示館」があって、そこには様々な木刀が展示されている。鍔付きの木刀、樋入りの木刀、もちろん素振り用の木刀もある。
木刀製作は型取、乾燥、削り、磨き、仕上げといった順序で作るのですが、その流れをおおまかに話しますと、まず、選木のところまではお話しましたね。こうして選んで買った丸太は、多くは二メートルほどの長さのものです。この長さに切ることを、玉切といっている。これをわれわれは製材所に持っていき、板材に切り削ってもらう。費用[賃]を出した分を切ってもらうから、賃引という。この板材が工場に入庫して、天日で乾かすのが大体三ケ月から半年です。
こうして天然乾燥[天乾]した材料を最初に型取[型線引き]して、小割にする。これをまた乾燥させますが、これはうちで人工乾燥機にかけています。このことはあとでまた話すことにしましょう。それから材料を選別して、両端を切って削りの工程に入ります。カンナ盤で面を削って、幅、反り、柄、峯、腹[切刃先]と粗削をへて、ペーパーで粗取りしますが、ここらへんまでは機械の仕事……。
ここから手仕事になりますが、まずは鉋掛けです。刀でいう刃、峯と手鉋を掛けて取っていく。そして段付け……鍔止め部分を切り削って、ガラス片、ついでサンドペーパーを使って磨きます。そのあとに握り、切先をつける〔機械を用いる〕。あとは塗装、磨きといった作業をやるということになりますね。
工場をごらんになっておわかりになるように、機械にまかせられるところはそうなっていますが、要の部分はやっばり手作業でなくてはならない。木刀の生命である姿、バランスの良さ、風合は鉋掛けから出てくるものです。だから、鉋の刃は切れるように、いつもぴしゃっと研いでおかんとね。
切れる鉋だと、きれいな鉋屑も出る、うれしいもんですよ、これは……。
◆機械化が進んでも、かなめの部分は手仕事
木刀の姿になっていない木刀、粗削りされたばかりのそれを固定する台が幾つも並んでいる。ツメ(爪)と呼ばれる鉄の固定具と万力によってその台に固定された木刀に、鉋が掛けられる。台は手作り。その高さも、勾配も、人それぞれに使い勝手が好いように工夫されているのである。
堀之内さんが飽を掛ける。何とも小気味の良い音とともにシューッ、シューッと、鉋屠が舞い上がる。幾度も木刀は万力からはずされる。それをかざして見る堀之内さんの眼が、鋭く光る。すぐにまた、木刀は台に固定される。傍に置かれた面取鉋、丸鉋、平鉋などの鉋に、流れるように堀之内さんの手が動いて、また、鉋屑の舞いがはじまる……。
最も技を要するところは、峯の線を真っ直ぐに付けることだ、と堀之内さんは語る。木刀には、反りがある。ということは湾曲しているということであって、それに直なる峯を付けるのには、卓越した技倆が要るのである。峯付けが出来るようになるまでには、まず、十年はかかるという。
この事仕上げの工程を、堀之内さんは一本七分間で済ませるのである。
天然乾燥だと三年かかっていたのが、この乾燥機を導入したことで短い日数〔8~15日〕で出来るようになりました。はい、自動セットでその間作動させて乾かします。カシの製品は水分があると曲りやくせが出がちなんで、この人工乾燥機は含水率が15パーセント以下に抑えられるようにセットされるようになっている。おかげで、以前ほどではないが今でも日に四百本作ることができてます。
そんなふうで、木刀作りも機械化が進みましたが、要所はやはり手作業でやる。何度も言うようですが、これは変わらんでっしょうな。
◆剣道が絶えないかぎり、木刀も滅びないと信じます
堀之内登製作所では、木刀だけではなく、様々な武道具木工品の製造卸が営まれている。槍、薙刀、木銃、棒杖、空手用の木工品 (トンファー、ヌンチャク)、逮捕術用(警棒、短棒など)、また、刀架(刀掛け)も製作されている。
こうした製品に加えて、古流の木刀が作られている。柳生流、柳生新陰流、二天一流、示現流、鞍馬流、一刀流などなどだ。エ場の壁には、流派それぞれにつかわれる木刀の材料、寸法、反りを記した掲示がなされている。
伝統工芸の仕事は何でもそうだと思うのですが、とりまく状況は残念ながらかんばしくない。木刀作りでいうと、前にも申しましたように、原材料の確保が懸念される状況だっていうことです。
地球温暖化現象の問題などが出てきて、森林保護の声が高まってきていますしね。ほかにも木刀作りの環境には、いろいろ問題がある。早い話が製材ですが、最近は製材にたずさわる人が、めっきり減ってきています。なにしろ危険な作業ですからね。
原木の産出量自体も減少しています。私どもは以前は都城一帯のカシで足りていたのですが、近頃はそうもいかなくなって、南九州の三県[宮崎・熊本・鹿児島]にひろ一げて仕入れをすることになっています。熊本県では人吉など、鹿児島では大口などのカシが良質です。カシの木は、霜の降りるところのが良いんですよ。
しかし、木刀はやはり滅びないと私は思います。剣道が絶えないかぎりね……。そう信じて、もう七十の坂をとっくに越えはしたが、つかう人の身になって、良い木刀を作り続けます。木刀を愛する人たちのことを心に焼きつけて……。
いつでしたか、うちで作った赤樫の木刀を見せていただいた方がいましてね。それがまあ、本当にうちで作ったのかな、と疑うくらい重厚で美しい光沢なのです。スヌケの木刀より良い。
その方は大事にして、手入れをよくしておられたのです。ああいうのを目にすると、うれしいですよ、それはもう……。
木刀の手入れについて言いますと、その前に、立てかけたまま放置しておかないということ。木は生きているもの、息を吸っているものだから、まわりの温度、湿度に左右されやすい。立てかけておくとその度合が増します。だから、床飾りにする木刀のほかは、横に寝かせて置いておくことです。刀架に掛けておけば、もちろん理想的ですが。
手入れは、油拭きをしたうえで乾(から)拭きするのがいいのです。油は椿油でも、テレピン油なんかでも結構。手入れといっても、これを半年に一回ぐらいやっておけば十分ですよ。
あとは折にふれて手あぶらで拭くこと。てのひらの脂です。これは最高のあぶらじゃないでしょうか。それで拭いたら乾拭きしておけばいいんです。
そうしているうちに、ご自分の木刀に対する愛着も深まってくるでしょうしね。
#楽隠居です
昔の人は、自分の道具は自分で工夫して作るのが当然だったようです。形や素材も時代によって変化してきたのでしょう。「柳生新陰流を学ぶ」のP.219には、連也・厳春・厳周それぞれが使用した木刀と江戸柳生の木刀の写真が掲載されていました。
また、「新秘抄」(筑波大学武道文化研究所編 新陰流傳書集 中巻)には、木刀の寸法と断面図が掲載されています。
参照:投げない柔術 振らない剣術
「鉋にたくす木刀作りのいのちを語ることこと」
◆カシという木は、ねうちのある木でしてね
木刀が剣の道の修行に使用されるようになったのがいつのことか、定かではないが、昔、剣士たちは手ずから木を削りこの要具を作っていた。その作り方は流派それぞれに規矩(きく)が定められていた。たとえば薩摩藩の「御流儀」とされた示現流兵法に、三代東郷藤兵衛重利が慶安三年(1650)にしたためた「示現流兵法木刀寸尺」という伝書があって、刃と峯(棟)の削り様、切先の切り様、また、反り、しのぎ(鎬)、柄の作りなどに、詳しく言及している。さらに、古木の木刀で反りのないものは水に一晩入れておき、取り出して火で灸り、柱などに搦めつけ、矯めて反りをかけること・・といった知恵も記されている。用いる原材(原木)については八種をあげているが、中には、柘植、椿、谷渡り(オオタニワタリの異称)といった、今では木刀製作にはほとんど用いられない材もふくまれている。
木刀は、今はこれを専門に作る職人の手にゆだねられている。木刀匠である。
明治時代の末、大和(奈良)、山城(京都)、筑前(福岡)、そして薩摩へと西下した木刀匠の技と心は、それより日向(宮崎県)の都城に伝承されている。そして今、全国の木刀生産量のおよそ九割がこの地から産み出されている。堀之内登さん(74)は、その都城市で五十余年、木刀を作りつづけている。
木刀にする原木は今はカシ[樫]が主流になってますが、カシにも、私たちが本ガシといっているアカガシ[赤樫]、シロガシ[白樫]など、いろんな種類がある。現在いちばん多くつかっているのは、イチイガンです。アカガシやシロガシは密度が高くって、水に入れると沈みますが、イチイガシは浮かびます。ですが、やっぱり堅木〔堅固な木〕には違いないですし、水にも強いから、たとえば船の舵なんかに使ってある。オールや艪などはシイ[椎]でも間に合うが、艪はどうしたってイチイガシじやなかといかん、ということになってますね。
カシの木は寒い時期に伐採します。水分を吸っているので四月から十月までは伐らないんです。木刀に使えるのは、最低で樹齢六十年ぐらいのでなくちゃならん。五十年ぐらいのはスコップなんかの柄を作るにはいいが木刀には使えんとです。八十年とか、九十年とか、年とったカシは、鉋掛けがなめらかにやれるし、きれいな屑がでる。
使うところは枝下……一番下の枝の下。その部分が長ければ長いほど良いということになりますね。それを市場で入札して丸太で買うのですが、その選びかたはやっぱりむずかしいんです。姿がすらっとしていて凹凸のない木を選びますが、山によっては伐り出してきた木に虫がついていることがある。その虫も外虫と内虫があってね。外虫のほうは木の皮を見ればわかるが、内虫は目に見えない。じゃあどうやって識別するかというと、においで判断するのです。においを嗅いで「おかしいな」と感じたのは、まず内虫にやられている。
とにかく、仕入れのときの選木には、神経をつかう。木刀作りの中のむずかしい仕事の一つは、この仕入れです。
カシのほかに木刀になる木はいろいろありますが、一つはイス[柞]の木…こっちではユスと呼んでいる木ですね。はい、示現流の立木打ちに用いられている棒の材です。剣道家の方々があこがれるスヌケは、このイスの老木の芯の部分です。風で倒れるなどしたイスは、何十年かそのままになってるうちに外側は腐りますが、この芯のところは堅さも、ねばりも増して、黒い光沢をもつようになる。スヌケがいかに堅いかってことは、製材の現場を見ているとわかる。火花が散るんですよ。
木刀の珍品中の珍品が南九州の山にしかないスヌケの木刀ですが、今ではスヌケはなかなか手に入らなくなりました。それからコクタン[黒檀]もね。東南アジアなどの高地産のコクタンからは、重いのが特徴の木刀が出来ますが、うちに今かろうじてあるのは、十五年前に仕入れたものなんです。それほど入手がむずかしくなっています。
◆鉋がよく切れれば、仕事は楽Lくって……
堀之内登製作所の建物の一つに、「桜登印都城木刀展示館」があって、そこには様々な木刀が展示されている。鍔付きの木刀、樋入りの木刀、もちろん素振り用の木刀もある。
木刀製作は型取、乾燥、削り、磨き、仕上げといった順序で作るのですが、その流れをおおまかに話しますと、まず、選木のところまではお話しましたね。こうして選んで買った丸太は、多くは二メートルほどの長さのものです。この長さに切ることを、玉切といっている。これをわれわれは製材所に持っていき、板材に切り削ってもらう。費用[賃]を出した分を切ってもらうから、賃引という。この板材が工場に入庫して、天日で乾かすのが大体三ケ月から半年です。
こうして天然乾燥[天乾]した材料を最初に型取[型線引き]して、小割にする。これをまた乾燥させますが、これはうちで人工乾燥機にかけています。このことはあとでまた話すことにしましょう。それから材料を選別して、両端を切って削りの工程に入ります。カンナ盤で面を削って、幅、反り、柄、峯、腹[切刃先]と粗削をへて、ペーパーで粗取りしますが、ここらへんまでは機械の仕事……。
ここから手仕事になりますが、まずは鉋掛けです。刀でいう刃、峯と手鉋を掛けて取っていく。そして段付け……鍔止め部分を切り削って、ガラス片、ついでサンドペーパーを使って磨きます。そのあとに握り、切先をつける〔機械を用いる〕。あとは塗装、磨きといった作業をやるということになりますね。
工場をごらんになっておわかりになるように、機械にまかせられるところはそうなっていますが、要の部分はやっばり手作業でなくてはならない。木刀の生命である姿、バランスの良さ、風合は鉋掛けから出てくるものです。だから、鉋の刃は切れるように、いつもぴしゃっと研いでおかんとね。
切れる鉋だと、きれいな鉋屑も出る、うれしいもんですよ、これは……。
◆機械化が進んでも、かなめの部分は手仕事
木刀の姿になっていない木刀、粗削りされたばかりのそれを固定する台が幾つも並んでいる。ツメ(爪)と呼ばれる鉄の固定具と万力によってその台に固定された木刀に、鉋が掛けられる。台は手作り。その高さも、勾配も、人それぞれに使い勝手が好いように工夫されているのである。
堀之内さんが飽を掛ける。何とも小気味の良い音とともにシューッ、シューッと、鉋屠が舞い上がる。幾度も木刀は万力からはずされる。それをかざして見る堀之内さんの眼が、鋭く光る。すぐにまた、木刀は台に固定される。傍に置かれた面取鉋、丸鉋、平鉋などの鉋に、流れるように堀之内さんの手が動いて、また、鉋屑の舞いがはじまる……。
最も技を要するところは、峯の線を真っ直ぐに付けることだ、と堀之内さんは語る。木刀には、反りがある。ということは湾曲しているということであって、それに直なる峯を付けるのには、卓越した技倆が要るのである。峯付けが出来るようになるまでには、まず、十年はかかるという。
この事仕上げの工程を、堀之内さんは一本七分間で済ませるのである。
天然乾燥だと三年かかっていたのが、この乾燥機を導入したことで短い日数〔8~15日〕で出来るようになりました。はい、自動セットでその間作動させて乾かします。カシの製品は水分があると曲りやくせが出がちなんで、この人工乾燥機は含水率が15パーセント以下に抑えられるようにセットされるようになっている。おかげで、以前ほどではないが今でも日に四百本作ることができてます。
そんなふうで、木刀作りも機械化が進みましたが、要所はやはり手作業でやる。何度も言うようですが、これは変わらんでっしょうな。
◆剣道が絶えないかぎり、木刀も滅びないと信じます
堀之内登製作所では、木刀だけではなく、様々な武道具木工品の製造卸が営まれている。槍、薙刀、木銃、棒杖、空手用の木工品 (トンファー、ヌンチャク)、逮捕術用(警棒、短棒など)、また、刀架(刀掛け)も製作されている。
こうした製品に加えて、古流の木刀が作られている。柳生流、柳生新陰流、二天一流、示現流、鞍馬流、一刀流などなどだ。エ場の壁には、流派それぞれにつかわれる木刀の材料、寸法、反りを記した掲示がなされている。
伝統工芸の仕事は何でもそうだと思うのですが、とりまく状況は残念ながらかんばしくない。木刀作りでいうと、前にも申しましたように、原材料の確保が懸念される状況だっていうことです。
地球温暖化現象の問題などが出てきて、森林保護の声が高まってきていますしね。ほかにも木刀作りの環境には、いろいろ問題がある。早い話が製材ですが、最近は製材にたずさわる人が、めっきり減ってきています。なにしろ危険な作業ですからね。
原木の産出量自体も減少しています。私どもは以前は都城一帯のカシで足りていたのですが、近頃はそうもいかなくなって、南九州の三県[宮崎・熊本・鹿児島]にひろ一げて仕入れをすることになっています。熊本県では人吉など、鹿児島では大口などのカシが良質です。カシの木は、霜の降りるところのが良いんですよ。
しかし、木刀はやはり滅びないと私は思います。剣道が絶えないかぎりね……。そう信じて、もう七十の坂をとっくに越えはしたが、つかう人の身になって、良い木刀を作り続けます。木刀を愛する人たちのことを心に焼きつけて……。
いつでしたか、うちで作った赤樫の木刀を見せていただいた方がいましてね。それがまあ、本当にうちで作ったのかな、と疑うくらい重厚で美しい光沢なのです。スヌケの木刀より良い。
その方は大事にして、手入れをよくしておられたのです。ああいうのを目にすると、うれしいですよ、それはもう……。
木刀の手入れについて言いますと、その前に、立てかけたまま放置しておかないということ。木は生きているもの、息を吸っているものだから、まわりの温度、湿度に左右されやすい。立てかけておくとその度合が増します。だから、床飾りにする木刀のほかは、横に寝かせて置いておくことです。刀架に掛けておけば、もちろん理想的ですが。
手入れは、油拭きをしたうえで乾(から)拭きするのがいいのです。油は椿油でも、テレピン油なんかでも結構。手入れといっても、これを半年に一回ぐらいやっておけば十分ですよ。
あとは折にふれて手あぶらで拭くこと。てのひらの脂です。これは最高のあぶらじゃないでしょうか。それで拭いたら乾拭きしておけばいいんです。
そうしているうちに、ご自分の木刀に対する愛着も深まってくるでしょうしね。
#楽隠居です
昔の人は、自分の道具は自分で工夫して作るのが当然だったようです。形や素材も時代によって変化してきたのでしょう。「柳生新陰流を学ぶ」のP.219には、連也・厳春・厳周それぞれが使用した木刀と江戸柳生の木刀の写真が掲載されていました。
また、「新秘抄」(筑波大学武道文化研究所編 新陰流傳書集 中巻)には、木刀の寸法と断面図が掲載されています。
参照:投げない柔術 振らない剣術
by centeringkokyu
| 2007-06-05 00:00
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