2007年 01月 10日
武蔵 |
私のHPのコラム(2003-03-02)から転載させていただきます。
NHKのドラマが放送開始されるのに合わせて、書店には、武蔵関連書籍のコーナーまで作られています。武蔵は二刀流で有名ですが、実際に二刀で戦ったことはないという説もあります。「五輪書」には、「両手に物を持つ事、左右ともに自由には叶いがたし、太刀を片手にてとりならわせんため也」と、修練のためであると記されています。
武蔵に関しては、二刀流と五輪書が、主に取り上げられます。しかし、明石城下の町割りや、寺院の造園もしたという説まであります。他にも、武蔵作と伝えられる刀の鍔や絵画・書・彫刻なども残されているようです。
絵画では、宮本武蔵肖像(島田美術館)・枯木鳴鵙図(島田美術館)・正面達磨図(永青文庫)・鵜図(永青文庫)・布袋観闘鶏図(福岡市美術館)などが、関連書籍によく掲載されています。
以前、武蔵が描いた絵を研究している人の、「武蔵は左利きだったに違いない。」との説を読んだ事があります。実際、正面達磨図には、右から左に左手で引かれたに違いないと思える部分があります。さらに、武蔵は右のほうを見ている鳥を描いています。一般的に、右利きは左向きの顔を、左利きは右向きの顔を得意とすると言われています。因みに、蒔絵の出口先生が描かれた鳥などの作品を調べてみましたら、約8割は左向きでした。
普通、右利きの画家が花を描く時は、まず花の部分を描いて、それから枝を付けて根の方に描いていきます。しかし、左利きの場合は、枝を下から上へと描き上げていって、葉を描いて、最後に花となるという、筆運びをすることもあるようです。
ピカソは左利きらしいのですが、そのピカソが描いている映画のシーンを見て、「ピカソは素晴らしい、自然の理に適った描き方をしている。」と感動した人がいたそうです。
左利きの人の特徴的な筆運びが、花の成長に合わせた描き方になっていたのか、ピカソが意識してそのような描き方をしていたのか、ご存じの方がおられましたら、教えて頂きたいものです。
武蔵に関しては、鍛錬の為に左手で描いたと、考えられないこともありません。兵法三十五箇条には、「此道二刀として太刀を二つ持つ儀、左の手にさして心なし…」とも記されています。しかし、武蔵は飽く迄も武術家ですので、自分は左利きであるという秘密を、簡単に公にするとも思えません。
武蔵が、実際に描いている姿を、見てみたいような気がします。その姿勢や、運筆の速度や間、さらに雰囲気はどのようなものだったのでしょうか。
横山大観は、最初に紙に気を通してから、描いたと言われています。
武蔵が、両手に筆を持って描いていたというような事は、有り得ないでしょうね!
#楽隠居です
成人式の日に、ボクシングで世界チャンピオンの亀田興毅君は、左手で「一日一日」と書いておられました。言葉遣いはあまり変わっていませんでしたが、何となく本来のやさしい気性が伺えるようなインタビューでした。まあ、テレビ局や親父さんの都合で働かされているようにも思えますので、ご本人の努力の方を見守ってあげたいものです。亀田兄弟頑張れ!親父さんとテレビ局は、ほどほどにしてあげて下さいネ!
さて、観照塾では剣術の稽古の割合が増えてきます。そこで、皆さんにアドバイス。剣は右手で振らないで、左手中心で振るように心がけてください。片手で振ったり、できれば同じような木刀2本を、片手ずつに持ち、合気二刀剣の稽古をしてみてください。私は合気二刀剣を習ってはいませんが、一刀を両手で持って振る場合と、二刀を振る場合では、頸椎の感じが異なるような気もします。
新陰流にも円明流(二天一流の古い名前?)の二刀の型が伝わり、それを破る工夫もしたようです。 (天狗抄奥には 「二刀」「二刀打物」「二人懸」があります)
参照1:武蔵の剣
参照2:基礎の重視と日常からの鍛錬
参照3:武蔵畑仕事の意味
NHKのドラマが放送開始されるのに合わせて、書店には、武蔵関連書籍のコーナーまで作られています。武蔵は二刀流で有名ですが、実際に二刀で戦ったことはないという説もあります。「五輪書」には、「両手に物を持つ事、左右ともに自由には叶いがたし、太刀を片手にてとりならわせんため也」と、修練のためであると記されています。
武蔵に関しては、二刀流と五輪書が、主に取り上げられます。しかし、明石城下の町割りや、寺院の造園もしたという説まであります。他にも、武蔵作と伝えられる刀の鍔や絵画・書・彫刻なども残されているようです。
絵画では、宮本武蔵肖像(島田美術館)・枯木鳴鵙図(島田美術館)・正面達磨図(永青文庫)・鵜図(永青文庫)・布袋観闘鶏図(福岡市美術館)などが、関連書籍によく掲載されています。
以前、武蔵が描いた絵を研究している人の、「武蔵は左利きだったに違いない。」との説を読んだ事があります。実際、正面達磨図には、右から左に左手で引かれたに違いないと思える部分があります。さらに、武蔵は右のほうを見ている鳥を描いています。一般的に、右利きは左向きの顔を、左利きは右向きの顔を得意とすると言われています。因みに、蒔絵の出口先生が描かれた鳥などの作品を調べてみましたら、約8割は左向きでした。
普通、右利きの画家が花を描く時は、まず花の部分を描いて、それから枝を付けて根の方に描いていきます。しかし、左利きの場合は、枝を下から上へと描き上げていって、葉を描いて、最後に花となるという、筆運びをすることもあるようです。
ピカソは左利きらしいのですが、そのピカソが描いている映画のシーンを見て、「ピカソは素晴らしい、自然の理に適った描き方をしている。」と感動した人がいたそうです。
左利きの人の特徴的な筆運びが、花の成長に合わせた描き方になっていたのか、ピカソが意識してそのような描き方をしていたのか、ご存じの方がおられましたら、教えて頂きたいものです。
武蔵に関しては、鍛錬の為に左手で描いたと、考えられないこともありません。兵法三十五箇条には、「此道二刀として太刀を二つ持つ儀、左の手にさして心なし…」とも記されています。しかし、武蔵は飽く迄も武術家ですので、自分は左利きであるという秘密を、簡単に公にするとも思えません。
武蔵が、実際に描いている姿を、見てみたいような気がします。その姿勢や、運筆の速度や間、さらに雰囲気はどのようなものだったのでしょうか。
横山大観は、最初に紙に気を通してから、描いたと言われています。
武蔵が、両手に筆を持って描いていたというような事は、有り得ないでしょうね!
#楽隠居です
成人式の日に、ボクシングで世界チャンピオンの亀田興毅君は、左手で「一日一日」と書いておられました。言葉遣いはあまり変わっていませんでしたが、何となく本来のやさしい気性が伺えるようなインタビューでした。まあ、テレビ局や親父さんの都合で働かされているようにも思えますので、ご本人の努力の方を見守ってあげたいものです。亀田兄弟頑張れ!親父さんとテレビ局は、ほどほどにしてあげて下さいネ!
さて、観照塾では剣術の稽古の割合が増えてきます。そこで、皆さんにアドバイス。剣は右手で振らないで、左手中心で振るように心がけてください。片手で振ったり、できれば同じような木刀2本を、片手ずつに持ち、合気二刀剣の稽古をしてみてください。私は合気二刀剣を習ってはいませんが、一刀を両手で持って振る場合と、二刀を振る場合では、頸椎の感じが異なるような気もします。
新陰流にも円明流(二天一流の古い名前?)の二刀の型が伝わり、それを破る工夫もしたようです。 (天狗抄奥には 「二刀」「二刀打物」「二人懸」があります)
参照1:武蔵の剣
参照2:基礎の重視と日常からの鍛錬
参照3:武蔵畑仕事の意味
by centeringkokyu
| 2007-01-10 00:05
| 日常