2006年 12月 06日
達人が人を見る目 |
徒然草 第194段の現代語訳をご紹介します。
達人が人を見る目は少しの狂いもない。
例えば、誰かが世間をあざむこうとして出鱈目を考え出したとしよう。
1.そんな場合、言われたままを素直に信じて騙される人がいる。
2.あまりに深く信じたあげく尾鰭を付けて話をややこしくする人がいる。
3.話を聞いても何とも思わず、気にもかけない人がいる。
4.少し不安を感じて、信じるでもなく信じないでもなくどうしようかと迷う人もいる。
5.ありそうもない話だとは思うが、相手が口に出して言う以上はそんなこともあるかもしれないと、疑うのを止めてしまう人もいる。
6.相手の本心をいろいろ推測して、ニコニコとさも心得顔で賢そうにうなずいてはいるが、嘘を少しも見抜けない人もいる。
7.嘘を見抜いて「ああ、そういうことか」と内心では思っていても、自信がなく思い違いかもしれないと思っている人もいる。
8.「よくある作り話だ」と手をたたいて笑う人もいる。
9.分かり切ったことをとやかく言っても始まらないと、嘘を見抜いても口に出しては言わず、そのまま騙された振りをしている人もいる。
10.嘘をはじめから見抜きながらも相手を軽蔑することなく、嘘を思いついた人と同じ気持ちになって協力する人がいる。
凡人の戯れ事でも、嘘だと知っている者が見れば、このようにさまざまな受け取り方をする様子が、言葉や顔つきからはっきりと分かってしまう。まして、道理を極めた人が迷える我らを見るのは、掌(たなごころ)の上のものを見るようなものだ。ただし、このような当て推量は仏の信心のありようについては適用すべきでない。
詳しくは徒然草をご覧下さい。
#楽隠居です
昔から情報は操作するものというのが常識だったのかもしれません。現代の日本人は、情報を鵜呑みにしすぎるような気がします。政治経済や国際問題は勿論、様々な技術論などについても、自分でいろいろな可能性を考える癖をつけなければならないと思います。
自由・平等という共産党の宣伝文句を、まじめに実現しようとした毛沢東の部下は、毛沢東に粛清されたという話が「マオ」に書かれていました。本音と建て前ということもよく考えてみる必要があります。
偽書といわれている「プロトコール」からも引用します。
1.古代において「自由 平等 博愛」を民衆に叫んだのは、ほかでもない、われわれOO人である。
この言葉はそれ以来、餌に誘われて群がる愚かなオウムたちによって、いやというほど繰り返された。この言葉は世界の安らぎ、つまりかつては民衆の圧力から保護されていた、真の個人的自由も破壊してしまった。教養あり分別めかした非OO人も、この言葉の陰に隠された矛盾を見抜く事ができなかった。
彼らは自然というものに、平等や自由のあり得ない事を知らなかった。
自然そのものが悟性、性格、知能の不平等をつくり、これを自然の法則に従うようにしておいたのである。
5.個人の自由を発揮して行う試みは、他人の自由と衝突して萎縮してしまう。そこで精神的な打撃を受け、幻滅し、失望するだろう。こうして我々は非OO人をくたくたに疲れさせる。
12.我々は時に応じ状況に従い、国政に対する世論を刺激したり鎮めたりできる。我々はある時は真実、ある時はデマを流し、説得したり逆用したりする。それは民衆がどう反応するかを見て対応するのであり、事実に基づいて述べもするし、また事実否定もしなければならないのだ。(引用終わり)
ひょとしたら毛沢東はんも、プロトコールを読んではったんやろか?
教科書と新聞と偽書、何がほんまなんですやろかねぇ・・・
日韓併合前後 朝鮮半島写真館にはいろいろな写真が紹介されていますので、これもご紹介しておきます。その真偽の程は定かではありませんが・・・
参照1:日本人のわすれもの
参照2:アメリカの鏡・日本
達人が人を見る目は少しの狂いもない。
例えば、誰かが世間をあざむこうとして出鱈目を考え出したとしよう。
1.そんな場合、言われたままを素直に信じて騙される人がいる。
2.あまりに深く信じたあげく尾鰭を付けて話をややこしくする人がいる。
3.話を聞いても何とも思わず、気にもかけない人がいる。
4.少し不安を感じて、信じるでもなく信じないでもなくどうしようかと迷う人もいる。
5.ありそうもない話だとは思うが、相手が口に出して言う以上はそんなこともあるかもしれないと、疑うのを止めてしまう人もいる。
6.相手の本心をいろいろ推測して、ニコニコとさも心得顔で賢そうにうなずいてはいるが、嘘を少しも見抜けない人もいる。
7.嘘を見抜いて「ああ、そういうことか」と内心では思っていても、自信がなく思い違いかもしれないと思っている人もいる。
8.「よくある作り話だ」と手をたたいて笑う人もいる。
9.分かり切ったことをとやかく言っても始まらないと、嘘を見抜いても口に出しては言わず、そのまま騙された振りをしている人もいる。
10.嘘をはじめから見抜きながらも相手を軽蔑することなく、嘘を思いついた人と同じ気持ちになって協力する人がいる。
凡人の戯れ事でも、嘘だと知っている者が見れば、このようにさまざまな受け取り方をする様子が、言葉や顔つきからはっきりと分かってしまう。まして、道理を極めた人が迷える我らを見るのは、掌(たなごころ)の上のものを見るようなものだ。ただし、このような当て推量は仏の信心のありようについては適用すべきでない。
詳しくは徒然草をご覧下さい。
#楽隠居です
昔から情報は操作するものというのが常識だったのかもしれません。現代の日本人は、情報を鵜呑みにしすぎるような気がします。政治経済や国際問題は勿論、様々な技術論などについても、自分でいろいろな可能性を考える癖をつけなければならないと思います。
自由・平等という共産党の宣伝文句を、まじめに実現しようとした毛沢東の部下は、毛沢東に粛清されたという話が「マオ」に書かれていました。本音と建て前ということもよく考えてみる必要があります。
偽書といわれている「プロトコール」からも引用します。
1.古代において「自由 平等 博愛」を民衆に叫んだのは、ほかでもない、われわれOO人である。
この言葉はそれ以来、餌に誘われて群がる愚かなオウムたちによって、いやというほど繰り返された。この言葉は世界の安らぎ、つまりかつては民衆の圧力から保護されていた、真の個人的自由も破壊してしまった。教養あり分別めかした非OO人も、この言葉の陰に隠された矛盾を見抜く事ができなかった。
彼らは自然というものに、平等や自由のあり得ない事を知らなかった。
自然そのものが悟性、性格、知能の不平等をつくり、これを自然の法則に従うようにしておいたのである。
5.個人の自由を発揮して行う試みは、他人の自由と衝突して萎縮してしまう。そこで精神的な打撃を受け、幻滅し、失望するだろう。こうして我々は非OO人をくたくたに疲れさせる。
12.我々は時に応じ状況に従い、国政に対する世論を刺激したり鎮めたりできる。我々はある時は真実、ある時はデマを流し、説得したり逆用したりする。それは民衆がどう反応するかを見て対応するのであり、事実に基づいて述べもするし、また事実否定もしなければならないのだ。(引用終わり)
ひょとしたら毛沢東はんも、プロトコールを読んではったんやろか?
教科書と新聞と偽書、何がほんまなんですやろかねぇ・・・
日韓併合前後 朝鮮半島写真館にはいろいろな写真が紹介されていますので、これもご紹介しておきます。その真偽の程は定かではありませんが・・・
参照1:日本人のわすれもの
参照2:アメリカの鏡・日本
by centeringkokyu
| 2006-12-06 00:03
| 社会