2006年 11月 23日
移るから映るへ |
前回引用させていただいた「本当に相手と一つになったとき、相手の苦痛がそのまま自分に感じられて、それが自分の前に投影されているような気持になる。」をよく読んでみると、『自分の前に投影されるような気持ちになる』と書かれていますので、この場合は、「移ってくる」のではなく、「映ってくる」ということのはずです。
「移ってくる」と、患者さんの症状が自分の身体に出てしまいますから、患者さんが楽になったとしても、自分が苦しまなければならないかもしれません。「映ってくる」のでしたら、テレビと同じですからチャンネルを変えるか、テレビの電源を切ってしまえばいいわけです。イメージとしては、分かりやすいのですが、いざ実際に患者さんと関わるとなると、どうしても同調しやすくなりますし、何とかしてあげられないかと思ってしまいます。
私の場合は治療家ではありませんから、患者さんと接触することはありませんので、問題ないはずですが、それでも根が軽率ですからいろいろな目に遭ったのは事実です。ですから、治療方法に興味を持つよりも、自分の身体や心が如何に人の影響を受けなくなるようにするかということが、最重要課題になったのです。
心の問題は「あっしには関わりのねぇことでございます。」と唱えることで、基本的には大丈夫なのですが、身体の方をどう作っていくべきか、試行錯誤したのです。そのヒントになったのが、「一刀流極意」に書かれていた「和而不同(わしてどうぜず)」でした。
合気とは何かでご紹介した笹森 順造著「一刀流極意」より抜粋します。
四、和而不同 『敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。』
身体を調整するのは、相手との戦いではありませんが、「平らかに和して自ら勝」そして、「平法」という心持ちが大切ではないかと考えたのです。そして、自由自在に「敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ」為には、自分を調整しておかなければならないことに気づいたのです。その為には、合気の「手解き技」を稽古するのが一番だと思うのですが、その前に「センタリング呼吸法」をしっかり稽古しておいたほうが、身体全体を使った稽古ができると思い、現在の稽古方法を選択したのです。
辞書によりますと「手解き」とは、「学問や技術などの初歩を教えること。」という意味のようですが、私は合気道などの「抜き手」または「外し手」といわれる稽古を「手解き技」と考えています。「手解き技」から「付ける合気の技」への変換が、「移るから映る」への変換と共通する体内操作と意識操作になるのではないかと考えているのです。
3年前の手帳から抜粋します。
『8月には、Y本さんから、手を持つ意味が分からないというご質問がありましたので、手解き技の解説から始めました。中心軸を立ててから、力を抜き、手をそれなりに開いて、相手との接点の弛みを取る。それから、接点を中心にして、主に親指と小指で、引きと攻めを行うというところを、ゆっくり体験してもらいました。説明しながら私は、手首を持って貰って、身体の伝達系を確認するというのは、なかなかよく出来た方法だと気付きました。』
『杖をこちらが握りしめていると、相手は動かないが、相手に任せてしまうと、案外簡単につながって、こちらの思う通りに動いてくれるという事を、体験して貰いました。パドリングや天地人との共通性や、意識の使い方、相手に任せてから、「の」の字を自由に描けるようにすることを、習得目標にしてみました。「のし」をつけたらお返しをする。』
『目の使い方を実際にやりながら、骨盤→後頭部→頭頂部と繋がることを、さわって確認して貰いました。気の研究会での立ち姿の統一を、動くか動かないかではなく、相手の力を自分の身体の中に吸い込んでゆくという事を実験したのです。自分のラインを想定して、目で掴むというところを実感してもらいたかったのですが…』
このあたりの稽古をすることで、「移るから映るへ」移行できるかもしれません・・・
兵法の 習くもらぬ 月かげも にごる水には うつりかねつつ
待ちもすな 懸る心も さだむなよ 味は敵より 出る物なり
色につき 色に随ふ 風情こそ これ新陰の 心なりけれ
出でぬ間の 山のあなたを 思ひ遣る 心やさきに 月をみるらん
参照1:上丹田と下丹田
参照2:チェックポイントの解説? 前半
参照3:チェックポイントの解説? 後半
「移ってくる」と、患者さんの症状が自分の身体に出てしまいますから、患者さんが楽になったとしても、自分が苦しまなければならないかもしれません。「映ってくる」のでしたら、テレビと同じですからチャンネルを変えるか、テレビの電源を切ってしまえばいいわけです。イメージとしては、分かりやすいのですが、いざ実際に患者さんと関わるとなると、どうしても同調しやすくなりますし、何とかしてあげられないかと思ってしまいます。
私の場合は治療家ではありませんから、患者さんと接触することはありませんので、問題ないはずですが、それでも根が軽率ですからいろいろな目に遭ったのは事実です。ですから、治療方法に興味を持つよりも、自分の身体や心が如何に人の影響を受けなくなるようにするかということが、最重要課題になったのです。
心の問題は「あっしには関わりのねぇことでございます。」と唱えることで、基本的には大丈夫なのですが、身体の方をどう作っていくべきか、試行錯誤したのです。そのヒントになったのが、「一刀流極意」に書かれていた「和而不同(わしてどうぜず)」でした。
合気とは何かでご紹介した笹森 順造著「一刀流極意」より抜粋します。
四、和而不同 『敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。』
身体を調整するのは、相手との戦いではありませんが、「平らかに和して自ら勝」そして、「平法」という心持ちが大切ではないかと考えたのです。そして、自由自在に「敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ」為には、自分を調整しておかなければならないことに気づいたのです。その為には、合気の「手解き技」を稽古するのが一番だと思うのですが、その前に「センタリング呼吸法」をしっかり稽古しておいたほうが、身体全体を使った稽古ができると思い、現在の稽古方法を選択したのです。
辞書によりますと「手解き」とは、「学問や技術などの初歩を教えること。」という意味のようですが、私は合気道などの「抜き手」または「外し手」といわれる稽古を「手解き技」と考えています。「手解き技」から「付ける合気の技」への変換が、「移るから映る」への変換と共通する体内操作と意識操作になるのではないかと考えているのです。
3年前の手帳から抜粋します。
『8月には、Y本さんから、手を持つ意味が分からないというご質問がありましたので、手解き技の解説から始めました。中心軸を立ててから、力を抜き、手をそれなりに開いて、相手との接点の弛みを取る。それから、接点を中心にして、主に親指と小指で、引きと攻めを行うというところを、ゆっくり体験してもらいました。説明しながら私は、手首を持って貰って、身体の伝達系を確認するというのは、なかなかよく出来た方法だと気付きました。』
『杖をこちらが握りしめていると、相手は動かないが、相手に任せてしまうと、案外簡単につながって、こちらの思う通りに動いてくれるという事を、体験して貰いました。パドリングや天地人との共通性や、意識の使い方、相手に任せてから、「の」の字を自由に描けるようにすることを、習得目標にしてみました。「のし」をつけたらお返しをする。』
『目の使い方を実際にやりながら、骨盤→後頭部→頭頂部と繋がることを、さわって確認して貰いました。気の研究会での立ち姿の統一を、動くか動かないかではなく、相手の力を自分の身体の中に吸い込んでゆくという事を実験したのです。自分のラインを想定して、目で掴むというところを実感してもらいたかったのですが…』
このあたりの稽古をすることで、「移るから映るへ」移行できるかもしれません・・・
兵法の 習くもらぬ 月かげも にごる水には うつりかねつつ
待ちもすな 懸る心も さだむなよ 味は敵より 出る物なり
色につき 色に随ふ 風情こそ これ新陰の 心なりけれ
出でぬ間の 山のあなたを 思ひ遣る 心やさきに 月をみるらん
参照1:上丹田と下丹田
参照2:チェックポイントの解説? 前半
参照3:チェックポイントの解説? 後半
by centeringkokyu
| 2006-11-23 00:00
| 呼吸法中心塾