2005年 12月 29日
緊張について |
私が本部15周年記念誌(1995年発行)に投稿した原稿を載せます。
OS先生が、御来阪下さるようになって8年、そろそろ初期の頃の緊張が取れ、技術的進歩のない自分に疲れ、少々気持ちが弛みがちな今日この頃です。古い会員さんが少しずつ減り、何か刺激を見付けないと、自分も淘汰されてしまうのではないかと心配しています。
そこで、色々なことを考えていてふと気がついたのですが、講習会での新しい会員さんを見ていますと、必要以上に緊張してしまい、全く技が出来なくなっているのです。大阪では、普段は先生がいらっしゃいませんので、気楽に皆で技を研究しましょうという感じで稽古していますから、皆さん結構リラックスしているんですが、講習会では、先生がいらっしゃった上、横にきて丁寧に説明して下さると、一層緊張して手先だけの技になってしまっているようなのです。無駄な緊張が身体全体の動きとそのリズムを崩してしまうようです。
投げようとか倒そうとする必要以上の意識と、無駄な緊張が正確な円運動と呼吸のリズムを崩してしまうのではないでしょうか。さらに、武道はこうあらねばならないとか、先輩だとか後輩だとか考え過ぎることも、無駄な緊張の大きな要素になると思います。先生が技をかけたあと、「アッ、どうしたんですか?大丈夫ですか」と言われるのが、私は大好きです。自分は無意識に動いただけなのに、何故か相手が倒れている。これが私の究極の目標です。
そこに到達するためには、むしろ冗談でも言いながら、楽しく稽古するほうがいいと考えています。しかし、いい加減な稽古にならないために、自分の身体の中の力の伝達の様子を軽く意識する、という方法をとっています。相手からの力が、自分の身体のどこを伝わって行くか、また自分の力が、自分の身体の中から相手の身体に、どう伝わって行くかを感じていると、いい加減な稽古になることはないと思います。しかし、そのことでさえ意識し過ぎると緊張してしまいます。
どんな時も平静な心で過ごせるということも、武術における重要な要素ではないでしょうか。平静な心で過ごすということは、禅や気功の目標の一つでもあります。相手の攻撃は、ある意味において、禅における公案のようなものではないでしょうか。相手に何かを気付かせるような攻撃をしてあげることが、相手も自分も共に向上できる稽古方法だと思います。
日本の古流武術の型稽古では、先輩が後輩のレベルに合わせた攻撃をしかけ、後輩はそれに勝つことによって、その流派の大切な技を徐々に身につけて行ったようです。ですから、あるレベル以上にならないと、後輩の指導や自由乱取りは許されなかったそうです。大東流では、最大限の緊張と弛緩を瞬時に行なうことも大切ですから、緊張し続けると技にはならないわけです。緊張してから弛緩するか、弛緩してから緊張するか、それが問題です。
大阪の漫才では、一人がツッコミ、他の一人がボケるという役割になっています。ボケとツッコミの掛け合いが面白いわけです。ところが、一般の大阪人の中には、一人ツッコミ一人ボケという特技を持った人が生息しているようです。一人で両方の役をして笑いをとるわけです。これは、きっと大東流の奥義に通じるのではないかと思います。一人ツッコミ一人ボケの研究をなさりたい方は是非大阪に稽古にお越し下さい。ただし、真面目なだけで、冗談のわからない方には無駄になりますのでお薦めは致しかねます。
「まあぼちぼちと稽古しますよって、これからもよろしゅうたのんます」というのが大阪流の緊張緩和法ですので、失礼の段お許し下さい。
#管理人です
この頃は、先生の講習会があるたびに、会員の皆さんの動きが手先だけになり、それまで稽古してきた身体の中の伝達系が全く無視されてしまい、がっかりしたものです。さらに、「かかり稽古」だけしかしませんので、伝達系を無視して早く投げようとする癖がついてしまうので、まるで「賽の河原」ではないかと思っていました。ですから、やはり「合気以前」をきっちりと稽古するべきだと考えた訳です。
ボケは「抜き合気」であり「吸い込み」であり「弛緩」。突っ込みは「入れる合気」で「緊張」だと考えてみました。しかし、漫才や落語と同じで大切なのは、緊張と弛緩の隙間でニュートラルの状態ではないでしょうか。12時〜中心〜6時などの骨盤時計も、身体の歪みがとれて、本当にバランスがとれた身体の状態になれば、楽に中心を保つ事が出来るはずです。
最近の漫才では、「笑い飯」のような、「ダブル ボケ」というパターンも出てきました。それにしても、「ブラック マヨネーズ」は腕を上げましたなぁ〜
参照:合気とりあえず理論
OS先生が、御来阪下さるようになって8年、そろそろ初期の頃の緊張が取れ、技術的進歩のない自分に疲れ、少々気持ちが弛みがちな今日この頃です。古い会員さんが少しずつ減り、何か刺激を見付けないと、自分も淘汰されてしまうのではないかと心配しています。
そこで、色々なことを考えていてふと気がついたのですが、講習会での新しい会員さんを見ていますと、必要以上に緊張してしまい、全く技が出来なくなっているのです。大阪では、普段は先生がいらっしゃいませんので、気楽に皆で技を研究しましょうという感じで稽古していますから、皆さん結構リラックスしているんですが、講習会では、先生がいらっしゃった上、横にきて丁寧に説明して下さると、一層緊張して手先だけの技になってしまっているようなのです。無駄な緊張が身体全体の動きとそのリズムを崩してしまうようです。
投げようとか倒そうとする必要以上の意識と、無駄な緊張が正確な円運動と呼吸のリズムを崩してしまうのではないでしょうか。さらに、武道はこうあらねばならないとか、先輩だとか後輩だとか考え過ぎることも、無駄な緊張の大きな要素になると思います。先生が技をかけたあと、「アッ、どうしたんですか?大丈夫ですか」と言われるのが、私は大好きです。自分は無意識に動いただけなのに、何故か相手が倒れている。これが私の究極の目標です。
そこに到達するためには、むしろ冗談でも言いながら、楽しく稽古するほうがいいと考えています。しかし、いい加減な稽古にならないために、自分の身体の中の力の伝達の様子を軽く意識する、という方法をとっています。相手からの力が、自分の身体のどこを伝わって行くか、また自分の力が、自分の身体の中から相手の身体に、どう伝わって行くかを感じていると、いい加減な稽古になることはないと思います。しかし、そのことでさえ意識し過ぎると緊張してしまいます。
どんな時も平静な心で過ごせるということも、武術における重要な要素ではないでしょうか。平静な心で過ごすということは、禅や気功の目標の一つでもあります。相手の攻撃は、ある意味において、禅における公案のようなものではないでしょうか。相手に何かを気付かせるような攻撃をしてあげることが、相手も自分も共に向上できる稽古方法だと思います。
日本の古流武術の型稽古では、先輩が後輩のレベルに合わせた攻撃をしかけ、後輩はそれに勝つことによって、その流派の大切な技を徐々に身につけて行ったようです。ですから、あるレベル以上にならないと、後輩の指導や自由乱取りは許されなかったそうです。大東流では、最大限の緊張と弛緩を瞬時に行なうことも大切ですから、緊張し続けると技にはならないわけです。緊張してから弛緩するか、弛緩してから緊張するか、それが問題です。
大阪の漫才では、一人がツッコミ、他の一人がボケるという役割になっています。ボケとツッコミの掛け合いが面白いわけです。ところが、一般の大阪人の中には、一人ツッコミ一人ボケという特技を持った人が生息しているようです。一人で両方の役をして笑いをとるわけです。これは、きっと大東流の奥義に通じるのではないかと思います。一人ツッコミ一人ボケの研究をなさりたい方は是非大阪に稽古にお越し下さい。ただし、真面目なだけで、冗談のわからない方には無駄になりますのでお薦めは致しかねます。
「まあぼちぼちと稽古しますよって、これからもよろしゅうたのんます」というのが大阪流の緊張緩和法ですので、失礼の段お許し下さい。
#管理人です
この頃は、先生の講習会があるたびに、会員の皆さんの動きが手先だけになり、それまで稽古してきた身体の中の伝達系が全く無視されてしまい、がっかりしたものです。さらに、「かかり稽古」だけしかしませんので、伝達系を無視して早く投げようとする癖がついてしまうので、まるで「賽の河原」ではないかと思っていました。ですから、やはり「合気以前」をきっちりと稽古するべきだと考えた訳です。
ボケは「抜き合気」であり「吸い込み」であり「弛緩」。突っ込みは「入れる合気」で「緊張」だと考えてみました。しかし、漫才や落語と同じで大切なのは、緊張と弛緩の隙間でニュートラルの状態ではないでしょうか。12時〜中心〜6時などの骨盤時計も、身体の歪みがとれて、本当にバランスがとれた身体の状態になれば、楽に中心を保つ事が出来るはずです。
最近の漫才では、「笑い飯」のような、「ダブル ボケ」というパターンも出てきました。それにしても、「ブラック マヨネーズ」は腕を上げましたなぁ〜
参照:合気とりあえず理論
by centeringkokyu
| 2005-12-29 10:20
| 合気観照塾