2020年 05月 10日
内なるものに触れる |
▼柔道整復師の業務範囲
柔道整復師の業務範囲は、患者に苦痛を与えない、つまり麻酔を必要としないで整復できる骨折・脱臼であり、麻酔と共に特別な整復器機を必要とするものや手術を必要とするものは、外科・整形外科の治療分野に属すべきと解さなければいけない。このケジメをつけないで治療をしたときには、国民から柔道整復術は見放されるときであろう。
無痛、またはそれに近い整復法が柔道を通じて体得されることを考えるとき、桑道を単なる格闘技、スポーツ競技としてだけ促えることなく、呼吸、筋肉生理、筋力強化、筋力維持、運動生理、運動療法、心理・精神療法、食物、姿勢等生命活動の一環としてあらゆる面から研究し、その中に柔道整復術の真髄を見出さなければならない。
骨折、脱臼、捻挫、打撲等の怪我の修繕をする柔道整復師であってはいけない。これらの治療をとおして、人間性を向上させる。つまり局部の治療と共に怪我人の治療をも出来てこそ真の柔道整復術であり、柔道整復師であると思う。
食事・姿勢・呼吸・歩き方・運動法・物の見方・考え方等の生活指導を通じて局部治療をしてこそ、治療の効果はより高まり、怪我の再発を予防し、さらには慢性的な肉体異常を予防すると同時に治し、結果として「あの時に怪我をしたのは悪かった。しかし、今思うとあの時に怪我をしてよかった」といわれる治療、これが柔道整復術の本来の在り方であり、そのためには、現在の修学年限を延長し、充分な養成教育がなされることを望むものである。
◆勘
吾らは、解剖生理の学問に一生懸命になり過ぎて、生きた人間を、解剖生理の側からのみ観ることの弊に陥らぬよう心すべきだ。生きた人間を生きたまま直視するということはもっと大切なことだ。
知は開けて愈々複雑になり微細に至ってその終るところが無いが、勘は啓けて益々単純にその全体を感得して行く。知はものの外側を撫で回すものだが、勘は端的にその内なるものに触れて行く。総てものごとを知る側からばかり眺めていると、人間の勘は鈍る。
整体指導に必要なことは、知より勘である。知を追うに忙し過ぎて、勘を養うことを怠ってはならぬ。吾らは学者ではない。
他人の観察でも、形骸の変化だけを如何に丁寧に観たとて、内的興奮をつかまえねば生きた体を観たとはいえない。
生体解剖をいくら行なった としても、借金の苦しみも、姑の目の怖さも、見つけることは出来ない。生体を観察する以上、内的興奮の体の作用に及ぼしている実際をつかまえ出すことに焦点をおかねばならない。これを逸したら生態観察とはいえない。これが判れば、″自分を救う道はこれである″、″自分を生かすには斯く為す″と、内的興奮を導くことが、生体変動の急処であり、これが生ずれば水を呑んでも、栄養となり、芋を囓ることがペニシリンより効くことも稀なことではない。
治療ということ、薬を服し、電気をかけ、また指で押圧したりすることに非ずして、受ける人自身の裡なるはたらき也。
それを促す手段を世の人々治療というも、治るということをその手段に求めて、薬や治療行為を追い求め、自分の体の裡なるはたらきを喚び起こすことを忘れているが故に、手段が多く工夫されるほど治療ということ失う也。
いよいよ治療の手段を求め、養生の可からずに立て籠れど、裡なる治療のはたらきはその為に萎縮し、人間が弱くなるほど病気や不養生は増して、人の世は忙しくなる也。
治療行為を受ける人のみならず、それを行う人までが、治療ということを機械や、薬が行う如く考えて、ペニシリンが無くては治療できず、レントゲンが無くては診断できぬものの如く思いこんで、人間というものが薬や機械の下敷きになっている也。
されど治療ということ、病菌を殺すことに非ずして、人を活かすこと也。その人間を動けなくしてしまうようでは、治療とは言えぬ筈也。
脚下を照顧し、人の裡なるはたらきに目醒むるの日に、新しき治療の道拓かるる可し。その日を待つに堪えず、敢えて筆を持ちて、その日を招かんと欲する也。
治療ということ、人を活かすこと也。
〆管理人です
当ブログの過去の記事から、いくつか紹介させて頂きました。
「治療」をどのように捉えるかによって、患者さんに向き合う姿勢やするべきことが全く違ってきますね。
参照1:力尽くで花は咲かない
参照2:薬で治った人は再発する!?
参照3:「改善」に限界はない
参照4:養生とは?
参照5:呼吸法 レッスンの要点
参照6:簡単ですばらしい身体調整法
☆リンク先で更新された記事
コロナ太りと言いながら、1年程前から徐々に太り始めていて、
この時期にようやく、無駄に太ったと認めました。
前から時々、前菜を摂ることをしていました。
今回は、毎食に前菜を摂る事にしました。
前菜といっても、生キャベツをかじっているだけです。
野菜の甘さは好きなので苦痛にはならず美味しいです。
でも辛さには人一倍敏感で痛みを感じるので省いています。
自分でもびっくりしているのですが、本当に食欲が抑えられます。
横隔膜と骨盤底膜(骨盤底筋群)の提灯。
先日、久しぶりに剣の上げ下げをしてみた。
中段までは上がりやすい。
それより上は、肩に力が入る。
鉄の棒を合掌で挟んでも肩に力が入る。
肩の位置が悪い事が解った。
うなじ筋と腹直筋と僧帽筋を伸ばしてから、
鳩尾玉【太陽神経叢(仮)】と丹田玉。
の観察を続けていると、膻中の奥にも玉の感覚が出る。
膻中玉が加わると、動作の負担が減った。
玉の感覚を出そうとせずに出た。
まだまだ、バランスはとりづらい。
でも、とれると楽。
頸の位置の重要性を改めて感じる。
昨日も昨日で、「 なんでこんなこと分からなかったの? 」とすっかり頭を抱えました。
どうすれば、こんなに分からないでいられたのか? … そんな自分に理解に苦しみます。
ほんとガックリ … 。
か、と言って 今、どなたかにそれを上手く誘導出来るか?と想うと
その方法がサッパリ分からない …
せいぜい、自分の分かる範囲でトスを上げ続ける位しか出来ません。
ああ …「 まずそうな 」ことは何となく分かります … 説明できないですが。
でも、この状態が「 腑に落ちる 」と言うことなんでしょうね …
頭による理解とは違う。
単なる 経験 や 感覚 からの 自覚とも。
「 肚 を 作れ 」・「 肚 で 感じろ 」… くどい程、「 それだけ 」を言われ続けて来て、
( 先生の性格上、かなり大変でお手間だったと想います )
ず~っと「 なんじゃそれ? 」だった訳ですが (笑)、
おっしゃる通り、学びは常にそこに「 終始 」、それが「 すべて 」なのかもしれません …。
by centeringkokyu
| 2020-05-10 23:29
| リンク先記事