2020年 03月 31日
合気虎の巻? |
▼深淵の色は 佐川幸義伝 津本陽 より抜粋致します。
・合気は力を入れてはだめだ。力は抜くが気は抜かないのだ。
・私らの動きは刀にしても本当に斬ってしまう動きだから迫力もあるし、芝居のような作った形よりもかえって美しいこともあるのですよ。
・力士も柱を押す鉄砲をやったりして腰を鍛えればいい。筋肉トレーニングで肩にばっかり筋肉をつけるからだめなんだ。
・まず相手の力を抜く合気を出来ることから始まるんだ。それができないと、いくら技を覚えてもだめだ。
・私は練習なんかしない。理論がわかればその理論通りに動かせば、必ず技が掛かる。ただ体ができていないとだめだ。皆、体ができていない。
・調和を本質とする合気が、人間社会に応用できるのが理想です。本当は、合気は武術だけではなく、治療、芸術、人間関係、すべてに合気調和の考え方を生かすことが出来れば、良い変化を起こせるはずです。
・他人の駄目なところは分かっても、自分のことはなかなか分からない。結局、自分の弱点、欠点をどれだけ気付けるか、そこが進化と調和の唯一の道のような気がします。
・私が先生の首をうしろから締めた瞬間に、先生の肩が生きもののように動くやいなや、私の足は宙に浮き、逆さまになって、先生の頭の上を越えて前に投げられてしまいました。
・先生の合気はどちらの方向に崩されたか、まったく力を感じないから分からないのである。タイミングなどは必要ではない。スピードも必要ではない。
・稽古をしていただくとき、むかいあった空間が先生の空間で、私はすでに制圧されているような気持ちになっているのです。それは気迫に圧倒されるというような、心理的な衝動のようなものではなく、まさに私がいる空間そのものコントロールされているという、時間空間的な次元のことです。
・先生の動作には気配がなかった。
・先生は道場に影のように入ってこられるので、先生が坐る椅子に背を向けて稽古をはじめている先輩たちは気づかない。
・先生は形稽古はしない。すべて実戦であった。先生が静かに流水のように動いているだけであるのに、木村さんは見たこともないような体勢に崩されたと思うと、そのあとものすごい速さと勢いで吹っ飛んだ。
・先生の鍛え抜かれた腕は、骨ばった感触はほとんどなく、握るとゲル状のものが入った膜の上から握っているように、指が先生の腕に入りこんでゆける、どこまでも握りこんでいけるような奇妙な柔軟性があったという。
・日常生活でも佐川先生は、日頃から細心の注意を払い、工夫を凝らし、それを実際に試し、また更に改良しておられる。
・大きな気合いは心が弱いから出すものだ。心が強く、恐怖心がなければ、大きな声など出す必要がない。
・声を出すのは、それだけ体内のエネルギーを放出しているということだ。りきみをなくすためには掛け声に頼らず、常に自然体でいるように心がける。
・本来合気に予備動作は必要ないのですが、諸手捕りや片手捕りで木村さんに合気を掛けるときには『ここで合気を掛ける』といってから合気を掛ける動作をされ、力を抜いてから透明な力で投げる、と木村さんに教えておられる様子でした。
第7章 佐川合気活法の神髄
・合気は調和であり、肉体のみならず精神、意識まで整え、統合させる働きがある。
・活法者は心静かにして下腹に力を込め落ち着きて行うべし。手の使用は仮死体に触れる時は柔らかく合気の柔らかさにて取り扱うべし。又、足の作用も手の用法と同様なり。
・長い生涯をかけて身体を壊しながらも合気の体を作っていった佐川先生は、痛めた体を乗り越えていくために、治療の原理を知っていく必要があったのです。
・ある時、先生のお腹を診察させていただいたことがあった。お腹を押すと、非常にやわらかいので驚いたことがある。
・人間の持っている能力が凄いんだ。僕たちは命の応援をしているだけで、治しているのは本人だから。誤解しないように。
・先生は吉原さんの治療を受けながら、彼の技を鋭敏に分析されていたのであった。吉原さんが触れる柔らかさと体の芯部まで効かせる技術が合気と共通するところだと先生に教えられた気がした。
第8章 武田惣角先生の足跡
・「ふしぎです」と言うと、「触れてつぎに合気を掛けているのだ」と言われたが、あまりに速くてわからなかった。合気は謎だ、と思った。
・佐川先生は、若い頃は何でも試されたそうで、催眠術もやったそうです。
・『催眠術は、相手にすごいと思わせたりする準備が必要で、フイの攻撃に対しては催眠術をかけるひまがないので使えないと思ってやめてしまった』
・『昔は調息法も教えたが、結局何かが不自然になるんだよね。だから今は教えていない。』
第9章 先生の息子さん
・教えてまわっている時は、忙しくてゆっくり考えるひまがなかった。それなりに体が慣れてうまくはなるけどね。ここに落ち着いてから色々な考えがでてきた。やはり合気の本質的な発展や飛翔は、時間や余裕がないと出来ないね。
・佐川先生の技には、場の空間を使った「空間の合気」がある。「整体療法には合気に通じるものがあることを感じた」とIさんは言う。
・自分はすごく出来るという自信があったり、自慢に思えたり、優越意識、そういう心があると、意識の心が大きな天からの意識にぶつかってしまい駄目になってしまう。
・これはこうしてやるとか、どういう技のテクニックというレベルの段階がすべて消えてしまった状態で、想いがそのまま技として実現すること。宇宙のすべての大きな存在と一緒になっている状態になっている。
・大きな意識とか想い、これが合気の本質ですね。
・心も身体も柔らかく穏やかでなければ、すごい域までいけないし、悪い気とぶつかってしまうとやられてしまうことがあるから、心を平常にして、決して満足したら駄目なんですね。自分をすごいと思っては危険です。
・宇宙には色々な意識があるからね。この世にも宇宙にもあらゆる気があるから、進歩して人間の常識のレベルを超える域になればなるほど、色々な魂との波動も影響するので、自分の魂を無心にしていられる心でないと怖いことになるのです。
◆仮想対談2 より引用致します
S:稽古だって、ただ繰り返していたって何にもならない。心が目的を持って働くときに変わる。
ものを見ても、心が働いていなければ何を見たか覚えていない。
S:いくら教えても、習っただけのものはすぐ忘れてしまうのだ。しかし、自得したものは決して忘れず自分のものとなる。
要するに、教えるということはヒントを与えるのにすぎない。自得しなくてはならない。
とくに合気は一種の内部感覚で自得しなければならない。
S:合気は仮に教わったとしても、一年やそこらで出来るというものではない。
体を鍛えないで色々考えたとしても出来るわけがない。
それに合気は本来、口で説明を受けるものではなく、やられた感じをもとに考え、自分のものとしていく種類のものなのだ。
S:足腰を本当に鍛えなければならない。体も柔らかくしなければいけない。そういう体を作っていかなければならない。
熱意が根底にあれば、鍛え方は色々と分かってくるのだ。
私は二十四通りもの鍛え方をしてきて、どうすればどうなるという事が、段々分かっていったのだ。
自分で開拓するつもりでなければだめだ。
熱意のない人には、例えやり方を詳しく教えても結局はだめだし、言われた事だけやっていても、なかなかだめなのだ。
S:体を鍛え続けると、体が変わってきて新しい考えが出てくる。
S:合気は目の付け所が違う。発想がまるで違うのだ。努力すればできるというものではない。
くずしは合気の一部だがすべてではない。考え方がまるで違うから頭を使わなければならない。
S:合気は集中力とか、透明な力というような、いわゆる力とは違うものである。
合気は敵の力を抜いてしまう技術だからである。
そのうえくっつけて離れないようにもしてしまうのだから大変なことである。
S:私の合気は外からいくら見ても分からない。
内部の働きで相手の力を抜いてしまい、形にはあらわれないからね、今では体中のどこをもたれても敵の力を抜いてしまう。
もとは簡単な原理から出発しているのだが誰も気づかない。それに気づいたかどうかは合気あげをみれば分かる。
S:合気が分かってから本当の修行が始まるのだ。
・合気は力を入れてはだめだ。力は抜くが気は抜かないのだ。
・私らの動きは刀にしても本当に斬ってしまう動きだから迫力もあるし、芝居のような作った形よりもかえって美しいこともあるのですよ。
・力士も柱を押す鉄砲をやったりして腰を鍛えればいい。筋肉トレーニングで肩にばっかり筋肉をつけるからだめなんだ。
・まず相手の力を抜く合気を出来ることから始まるんだ。それができないと、いくら技を覚えてもだめだ。
・私は練習なんかしない。理論がわかればその理論通りに動かせば、必ず技が掛かる。ただ体ができていないとだめだ。皆、体ができていない。
・調和を本質とする合気が、人間社会に応用できるのが理想です。本当は、合気は武術だけではなく、治療、芸術、人間関係、すべてに合気調和の考え方を生かすことが出来れば、良い変化を起こせるはずです。
・他人の駄目なところは分かっても、自分のことはなかなか分からない。結局、自分の弱点、欠点をどれだけ気付けるか、そこが進化と調和の唯一の道のような気がします。
・私が先生の首をうしろから締めた瞬間に、先生の肩が生きもののように動くやいなや、私の足は宙に浮き、逆さまになって、先生の頭の上を越えて前に投げられてしまいました。
・先生の合気はどちらの方向に崩されたか、まったく力を感じないから分からないのである。タイミングなどは必要ではない。スピードも必要ではない。
・稽古をしていただくとき、むかいあった空間が先生の空間で、私はすでに制圧されているような気持ちになっているのです。それは気迫に圧倒されるというような、心理的な衝動のようなものではなく、まさに私がいる空間そのものコントロールされているという、時間空間的な次元のことです。
・先生の動作には気配がなかった。
・先生は道場に影のように入ってこられるので、先生が坐る椅子に背を向けて稽古をはじめている先輩たちは気づかない。
・先生は形稽古はしない。すべて実戦であった。先生が静かに流水のように動いているだけであるのに、木村さんは見たこともないような体勢に崩されたと思うと、そのあとものすごい速さと勢いで吹っ飛んだ。
・先生の鍛え抜かれた腕は、骨ばった感触はほとんどなく、握るとゲル状のものが入った膜の上から握っているように、指が先生の腕に入りこんでゆける、どこまでも握りこんでいけるような奇妙な柔軟性があったという。
・日常生活でも佐川先生は、日頃から細心の注意を払い、工夫を凝らし、それを実際に試し、また更に改良しておられる。
・大きな気合いは心が弱いから出すものだ。心が強く、恐怖心がなければ、大きな声など出す必要がない。
・声を出すのは、それだけ体内のエネルギーを放出しているということだ。りきみをなくすためには掛け声に頼らず、常に自然体でいるように心がける。
・本来合気に予備動作は必要ないのですが、諸手捕りや片手捕りで木村さんに合気を掛けるときには『ここで合気を掛ける』といってから合気を掛ける動作をされ、力を抜いてから透明な力で投げる、と木村さんに教えておられる様子でした。
第7章 佐川合気活法の神髄
・合気は調和であり、肉体のみならず精神、意識まで整え、統合させる働きがある。
・活法者は心静かにして下腹に力を込め落ち着きて行うべし。手の使用は仮死体に触れる時は柔らかく合気の柔らかさにて取り扱うべし。又、足の作用も手の用法と同様なり。
・長い生涯をかけて身体を壊しながらも合気の体を作っていった佐川先生は、痛めた体を乗り越えていくために、治療の原理を知っていく必要があったのです。
・ある時、先生のお腹を診察させていただいたことがあった。お腹を押すと、非常にやわらかいので驚いたことがある。
・人間の持っている能力が凄いんだ。僕たちは命の応援をしているだけで、治しているのは本人だから。誤解しないように。
・先生は吉原さんの治療を受けながら、彼の技を鋭敏に分析されていたのであった。吉原さんが触れる柔らかさと体の芯部まで効かせる技術が合気と共通するところだと先生に教えられた気がした。
第8章 武田惣角先生の足跡
・「ふしぎです」と言うと、「触れてつぎに合気を掛けているのだ」と言われたが、あまりに速くてわからなかった。合気は謎だ、と思った。
・佐川先生は、若い頃は何でも試されたそうで、催眠術もやったそうです。
・『催眠術は、相手にすごいと思わせたりする準備が必要で、フイの攻撃に対しては催眠術をかけるひまがないので使えないと思ってやめてしまった』
・『昔は調息法も教えたが、結局何かが不自然になるんだよね。だから今は教えていない。』
第9章 先生の息子さん
・教えてまわっている時は、忙しくてゆっくり考えるひまがなかった。それなりに体が慣れてうまくはなるけどね。ここに落ち着いてから色々な考えがでてきた。やはり合気の本質的な発展や飛翔は、時間や余裕がないと出来ないね。
・佐川先生の技には、場の空間を使った「空間の合気」がある。「整体療法には合気に通じるものがあることを感じた」とIさんは言う。
・自分はすごく出来るという自信があったり、自慢に思えたり、優越意識、そういう心があると、意識の心が大きな天からの意識にぶつかってしまい駄目になってしまう。
・これはこうしてやるとか、どういう技のテクニックというレベルの段階がすべて消えてしまった状態で、想いがそのまま技として実現すること。宇宙のすべての大きな存在と一緒になっている状態になっている。
・大きな意識とか想い、これが合気の本質ですね。
・心も身体も柔らかく穏やかでなければ、すごい域までいけないし、悪い気とぶつかってしまうとやられてしまうことがあるから、心を平常にして、決して満足したら駄目なんですね。自分をすごいと思っては危険です。
・宇宙には色々な意識があるからね。この世にも宇宙にもあらゆる気があるから、進歩して人間の常識のレベルを超える域になればなるほど、色々な魂との波動も影響するので、自分の魂を無心にしていられる心でないと怖いことになるのです。
◆仮想対談2 より引用致します
S:稽古だって、ただ繰り返していたって何にもならない。心が目的を持って働くときに変わる。
ものを見ても、心が働いていなければ何を見たか覚えていない。
S:いくら教えても、習っただけのものはすぐ忘れてしまうのだ。しかし、自得したものは決して忘れず自分のものとなる。
要するに、教えるということはヒントを与えるのにすぎない。自得しなくてはならない。
とくに合気は一種の内部感覚で自得しなければならない。
S:合気は仮に教わったとしても、一年やそこらで出来るというものではない。
体を鍛えないで色々考えたとしても出来るわけがない。
それに合気は本来、口で説明を受けるものではなく、やられた感じをもとに考え、自分のものとしていく種類のものなのだ。
S:足腰を本当に鍛えなければならない。体も柔らかくしなければいけない。そういう体を作っていかなければならない。
熱意が根底にあれば、鍛え方は色々と分かってくるのだ。
私は二十四通りもの鍛え方をしてきて、どうすればどうなるという事が、段々分かっていったのだ。
自分で開拓するつもりでなければだめだ。
熱意のない人には、例えやり方を詳しく教えても結局はだめだし、言われた事だけやっていても、なかなかだめなのだ。
S:体を鍛え続けると、体が変わってきて新しい考えが出てくる。
S:合気は目の付け所が違う。発想がまるで違うのだ。努力すればできるというものではない。
くずしは合気の一部だがすべてではない。考え方がまるで違うから頭を使わなければならない。
S:合気は集中力とか、透明な力というような、いわゆる力とは違うものである。
合気は敵の力を抜いてしまう技術だからである。
そのうえくっつけて離れないようにもしてしまうのだから大変なことである。
S:私の合気は外からいくら見ても分からない。
内部の働きで相手の力を抜いてしまい、形にはあらわれないからね、今では体中のどこをもたれても敵の力を抜いてしまう。
もとは簡単な原理から出発しているのだが誰も気づかない。それに気づいたかどうかは合気あげをみれば分かる。
S:合気が分かってから本当の修行が始まるのだ。
長い間の持続した鍛錬と研究の結果、少しずつできるようになってくるものだ。
▼SKさんから師匠へのメールを紹介致します。
何時もメールをありがとうございます。
自分の身体が出来ることが大切だということ、
あと、普段、意識しているようなところではなく
様々な観点から物事を見なさいというような意味合いで、
文章を拝見出来ました。
僕のレベルでさえも、
この文章に驚きます。
捉え方によって文章が変わるので
本当にありがたいお言葉は、ありがたいです。
今の自分のレベルでしか読めないということですね。
もっとたくさんの方向から物事が読めるように
日常にも合気を活かしていきたいです。
まだまだ、本当に、自分は、まだまだだなー。と
思います。
今日自分の腹の感覚を、意識して電車にのっていたら
自分の内側から物をみているというか、その感覚になったら
目ヂカラが出て、
体が調子悪い日のほうが、内観できるというか、
体の内側に意識を向けやすいのですかね。
今日は、体が少しだるかったのですが、
身体を内観するには、チャンスでした。
自分の体の繋がってない場所を、内側から感じたというか、
腹から感じたら、頭の固まりを始めて感じれた?ような気がしました。
自分の感じ方の理解さえも様々あるということなのでしょうか。
何しか、漠然とこんなのかな?という感覚でしかないので、
もっときっちりと感じれるように
技をかけられたときや、
腹がある人と一緒にいた記憶の感覚から
似ている感覚を体の中で感じとり
それを味わい拡げて
感覚を自分の附に落としていきたいと思います。
▼師匠からSKさんへの返信メールです。
いつもご報告を有り難うございます。
「深淵の色は」から抜粋します。
P312
集中は無心で他に何も気をとられていない状態である。
つまり頑張ろうとも思っていない無心になっている状態のほうが、勉強においても、肉体を鍛えることすらも、集中力が高いことは間違いない。
無心にやることが自分の力を上げていくことになるというのは、こう考えると理解できる。
P334
見えるものと見えないものをつなぐ何か。その存在を究明する行為が、合気につながるだけでなく、人間全体の進化への鍵であるかもしれない。
引用終了
なかなか面白いです。
ではまた・・・
何時もメールをありがとうございます。
自分の身体が出来ることが大切だということ、
あと、普段、意識しているようなところではなく
様々な観点から物事を見なさいというような意味合いで、
文章を拝見出来ました。
僕のレベルでさえも、
この文章に驚きます。
捉え方によって文章が変わるので
本当にありがたいお言葉は、ありがたいです。
今の自分のレベルでしか読めないということですね。
もっとたくさんの方向から物事が読めるように
日常にも合気を活かしていきたいです。
まだまだ、本当に、自分は、まだまだだなー。と
思います。
今日自分の腹の感覚を、意識して電車にのっていたら
自分の内側から物をみているというか、その感覚になったら
目ヂカラが出て、
体が調子悪い日のほうが、内観できるというか、
体の内側に意識を向けやすいのですかね。
今日は、体が少しだるかったのですが、
身体を内観するには、チャンスでした。
自分の体の繋がってない場所を、内側から感じたというか、
腹から感じたら、頭の固まりを始めて感じれた?ような気がしました。
自分の感じ方の理解さえも様々あるということなのでしょうか。
何しか、漠然とこんなのかな?という感覚でしかないので、
もっときっちりと感じれるように
技をかけられたときや、
腹がある人と一緒にいた記憶の感覚から
似ている感覚を体の中で感じとり
それを味わい拡げて
感覚を自分の附に落としていきたいと思います。
▼師匠からSKさんへの返信メールです。
いつもご報告を有り難うございます。
「深淵の色は」から抜粋します。
P312
集中は無心で他に何も気をとられていない状態である。
つまり頑張ろうとも思っていない無心になっている状態のほうが、勉強においても、肉体を鍛えることすらも、集中力が高いことは間違いない。
無心にやることが自分の力を上げていくことになるというのは、こう考えると理解できる。
P334
見えるものと見えないものをつなぐ何か。その存在を究明する行為が、合気につながるだけでなく、人間全体の進化への鍵であるかもしれない。
引用終了
なかなか面白いです。
ではまた・・・
参照1 合気修得への道
木村達雄著「合気修得への道 佐川幸義先生に就いた20年」をM岡さんからお借しました。「透明な力」の続編ということになります。季刊「合気ニュース」に掲載された記事が基になっているので、読んだ記憶がある記事もありましたが、佐川先生の写真も沢山掲載されていますし、木村先生が『合気をとる』為に凄い努力をされたのだということが伝わってくる本でした。
目次を拾い出してみますと、
合気は意識の技術 合気は力ではない 合気は人体の防御システムのスイッチを切る技術 合気は形にはあらわせない 合気は人に元気を与える
第6章の佐川幸義宗範 語録には
本当の鍛錬とは 教えて学べ 合気について りきんではならない
常に研究せよ 常に考えよ 心・精神について 一生修行
木村達雄著「合気修得への道 佐川幸義先生に就いた20年」をM岡さんからお借しました。「透明な力」の続編ということになります。季刊「合気ニュース」に掲載された記事が基になっているので、読んだ記憶がある記事もありましたが、佐川先生の写真も沢山掲載されていますし、木村先生が『合気をとる』為に凄い努力をされたのだということが伝わってくる本でした。
目次を拾い出してみますと、
合気は意識の技術 合気は力ではない 合気は人体の防御システムのスイッチを切る技術 合気は形にはあらわせない 合気は人に元気を与える
第6章の佐川幸義宗範 語録には
本当の鍛錬とは 教えて学べ 合気について りきんではならない
常に研究せよ 常に考えよ 心・精神について 一生修行
参照2 本当の合気とは
★佐川幸義先生談
柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。
結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。
★佐川幸義先生談
柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。
結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。
参照3 合気道の奥義 【合わせて読むと深みがましました】
参照4 合気剣 【二刀なのに一刀に観えるのは私だけでしょうか??】
参照5 脚下証拠 【佐川先生の経歴】
参照6 合気はヒーリング?
▼大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法“合気"への道標
P48
実は佐川先生の技を受けると、ものすごくいい気持ちになるんです。いまでも、あれはまさにヒーリングではなかったかと思います。投げられると、体のなかを芯がスーッと通るようで、なにか浄化されたような感じがある。力がわいてきて、すごく元気になるんです。
P52
ですから先生も「私は、自分の体を使って実験しているようなものだ」と自分でおっしゃっていました。誰も知らないような現象もずいぶん起こったそうです。
P59
佐川先生は、これでいいと満足されることが決してなかった。「何事も完全というのはないんだ!そう思ったらそこでその人の上達はとまってしまう」「どんな高い段階に達しても、これでもう自分は(十分に)達したのだ、と考えたなら、(その時点で)何の価値もないんだ!」とまでおっしゃってね。
▼大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法“合気"への道標
P48
実は佐川先生の技を受けると、ものすごくいい気持ちになるんです。いまでも、あれはまさにヒーリングではなかったかと思います。投げられると、体のなかを芯がスーッと通るようで、なにか浄化されたような感じがある。力がわいてきて、すごく元気になるんです。
P52
ですから先生も「私は、自分の体を使って実験しているようなものだ」と自分でおっしゃっていました。誰も知らないような現象もずいぶん起こったそうです。
P59
佐川先生は、これでいいと満足されることが決してなかった。「何事も完全というのはないんだ!そう思ったらそこでその人の上達はとまってしまう」「どんな高い段階に達しても、これでもう自分は(十分に)達したのだ、と考えたなら、(その時点で)何の価値もないんだ!」とまでおっしゃってね。
コロナウィルス騒動のお蔭で、合気虎の巻?を読み直しています。
同じ内容のお話しも随所に書かれていますが、それはそれで
大切な事なのだろうと思いながら読んでいます。
豊富な写真も掲載されていますので、参考になります。
「見えるものと見えないものをつなぐ何か」を改題しました。
私が検索しやすいかな?と、ふと思ったもので・・・
by centeringkokyu
| 2020-03-31 23:59
| 本などの紹介