2020年 01月 19日
筋力を使っているのか張力を使っているのか |
▼『筋力を超えた「張力」で動く!』JIDAI・著より、一部を引用させて頂きます。
前章の体幹のお話で、単純な筋力の強さではなく、”体幹を構成する骨の位置調整力”に目を向ける必要があることをお伝えしましたが、負荷に対応するため、大きなパワーの発揮にはもちろん相応の筋力が必要です。けれど、筋力を高めればパワーが大きくなるわけではありません。パワーを筋力で考えるのではなく「張力」で考えることをオススメしたいと思います。
張力を働かせることで、力みや脱力といった問題から解放されやすくなります。それはケガや故障を遠ざけることにもなりますし、身体への負担、心への負担も減るということでもあります。
さて、筋肉は骨の動きの邪魔をしないようにすることが重要です。解剖学的には筋肉が骨を動かすことで、身体が動くことになっていますが、その考え方から離れたほうがいいと考えています。「骨の動きに対して、筋肉が邪魔をしないようにする」という考え方をオススメしたいと思います。
OO筋が弱いから鍛えましょうであるとか、OO筋を意識して働かせましょうという考え方ですと、筋肉を収縮させることへの意識が高まってしまいます。筋肉は意図的に収縮させたのでは思ったほど力を発揮してくれません。
実験をしてみましょう。次頁写真のように指を伸ばした状態で指の腹同士をできるだけ強く押しつけ合ってください。離されないようにしっかりと。それを別の人が離そうとします。離れるかどうかは問題ではありませんので、そのことは気にせず、自分がどれくらい力が出ているかに目を向けてください。
次に、同じことをするのですが、押し合う強さは同じまま引っ張り合おうとするのです。自分自身で離そうとする感じですね。けれど、押しつけ合う強さは強いままです。なんだかよくわからないかもしれませんが、やはり別の人に離してもらってください。いかがでしたか? といいましても、今これを読んでいる最中ではできないでしょうから、後で試してみてください。
この”押し合いつつ引っ張り合う”という矛盾したことがうまくできますと、強くなっているはずです(うまくいかなくても何度か試してみてくださいね。肘を伸ばして手を遠く離したほうが違いがわかりやすいかもしれません)。不思議ですよね。そこで、押し合うだけのときと引っ張り合いもするときとで、自分の身体に何か起きているか、どこの筋肉が働いているかといったことを感じ取ってみてください。どうでしたでしょうか?
大雑把な言い方をしますと、押し合うだけのときには身体の前面だけを使い、引っ張り合いもするほうでは背中が働く。そんな感じだと思います。
もう少し詳細に見ますと、拝し合うだけのときは、身体の前面はもちろんのこと全体が縮まる感じだったと思います。一方、引っ張り合いもした場合には、背中側か広がったのではないでしょうか? さらに、それだけでなく前面も少し広がる感じがあったと思います。
筋肉の収縮感はどちらが強いかといえば、当然、押し合うだけのほうですよね。引っ張り合いもするほうでは、収縮感ではなく私の言葉でいいますと”膨張感”ですが、この膨張感のある身体の使い方が、”張力を使えた”ということになります。
このように張力といいますのは、相反する力を同時に成立させる力という言い方ができます(共縮という桔抗筋が同時に働いてしまうこととは異なります)。
筋肉の収縮感が強いほうが力を発揮できているように感じでしまうのですが、それは頑張り感であって現実的な力としては最大にはならないんですね。エネルギーが自分の中で閉じてしまっていて、物に伝わりきっていないということ。力みですね。
といって、力まないように脱力しようと考えてしまいますと、どうしたって押し合う力は弱まります。これは脱力も結局のところ筋肉の収縮具合に意識を向かわせているので、難しくなってしまうのです。そこで、張力という考え方、「膨張感は強くても大丈夫だ」という考え方をしますと、めいっぱい力を出そうとしても問題が生じないだけでなく、より大きなパワーが生まれ、エネルギーを伝えることができるようになるということなのです。
(中略)
前章の末端と体幹のつながりのお話のように、力を発揮する、エネルギーを通すためには力を作用させたいところ(末端)と反力を受けるところ(体幹)が一体化しているほうが良いわけですが、言葉を替えますと、遠心性と求心性の両立が大事ということになります。
一般的には何かをするというほうに意識が傾き過ぎて、遠心性(発信力)ばかりが働いてしまっています。本章のいくつかの例でいいますと、指先を押し合うほうばかり、腕を押し下げられないようにすることばかりということですね。遠心性だけの場合、手先だけ足先だけといった部分的な力の発揮にしかなりません。ここに求心性の力(受信力)を働かせることで、反力を受ける箇所、体幹や反対の末端とつながり、全体的な力の発揮になるのです。これが張力を働かせるということです。
ぜひ、”筋力を使っているのか張力を使っているのか?”に目を向けていただいて、その違いを味わっていただければと思います。
〆管理人です
パントマイムなど表現者である筆者が、ボディーワークを通じて学んだ身体の使い方を書かれています。
合気の身体操法と共通する部分も多く、とても勉強になりました。
参照1:手を張り肩の力を抜く
・手を張り肩の力を抜く。それは非常に難しいことであるが、これを乗り越えなければならぬ。
・相手の力を受けず力の入らないようにして攻めるのが合気である。ただ力を抜くだけではなく、くっ付けなければならない。合気は手の開き方でくっ付く。単に開いただけでは合気ではない。
参照2:ほんのちょっとした操作
原理がわかってくると、足の内側をちょっと張るような感じになるわけですよ。自分の気持ちをふっと締めるような感じなんです。そうすると足の内側の筋肉がすこし張る状態になるんですね、外側の筋肉でなく。一番の問題は出すという考え方なんですよ。
参照3:引きと攻め、分け目、緩みをとる。
『分け目、引きと攻め、緩みをとる』これらは文字にすると別物の様に感じますが
引きと攻めをするから分け目が出来る、緩みがとられると言う事で同じであると思います。
これらを同時に感じる為には体内操作が大事だと思います。
参照4:紐解き呼吸法
精神的な緊張。また、不安を取るために、紐にテンション(張力)を掛けるのが、「紐解き呼吸法」ということになります? 【「紐解き呼吸法」は、N山さんが名付け親となって下さいました。】
テンションを掛けるといっても、筋肉を緊張させないようにして、呼吸を使って弛みをとるということが大切です。
参照5:『あやとり呼吸法』とは
・息を吸いながら呼吸の分だけ紐をピンと張ります
・紐の張力はゆるめずに、肩や腰の 力を抜いて、それから、ゆっくりと息を吐きます
・呼吸に合わせて何度か行い、両腕を脚の上にそっと下ろします
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by centeringkokyu
| 2020-01-19 23:59
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