2019年 08月 15日
心身ともに相手に訊ける状態 |
◆自分の身体の変化に目を向ける
バランス☆運動療法初級 2019.08.10
K野先生と修験道の先生が、参加者を施術してくださいました。
目を瞑ったまま、眼球の動きを誘導してくださり、伸展してくださいました。
目から先に意識が向かうことで、中が伸びて、弛みが取れていくことを感じました。
趾先と目線が合うと背筋から頚も伸び、全体が繋がっていることを感じられました。
頭部や胸部の縮んでいる場所を開いてくださり、緊張が抜けていきました。
表現の方法が異なる先生方が、同じ方向で施術されていることを体験させて頂き、形ではないことを実感しました。
仰向けで鼠径部を寄せて脚を浮かせ、センターを確認して呼吸と共にゆっくりと弛めることで、繋がっていく様子を見せて頂きました。
動作をした後は、左右で全く上がり方が違っていました。
反対側は動かさずにイメージで同様に行いました。
繋がりを体感できていると動作するのと同じように変化し、バランスが変わるのも、発想が変わるのも同じであるように感じました。
そして、動いていなくても、イメージされている動きが外から観ている人にも伝わることを面白く思いました。
◆視線を使った立体的調整
2019/8/10
◎バランス☆運動療法研究会
修験道の先生が頭を持つと
地中深くへ途轍もない勢いでアースされていく。
それに師匠が脚から調整を加えると
とんでもなく細い軸で調整されていく。
う~ん。凄すぎますよ。これは笑。
でも、この反応を目の当たりに出来る事は本当に毎回財産です。
師匠も変わられていましたが、A先生も変わられていました。
目(視線)で誘導することで、
立体的なバランスが生まる調整。
片目ずつ見る事で目の幅のずれと後頭骨までの深さ、
焦点で立体感が生まれる。
丁度、バランスが取れた所、弛みのとれた所、良い位置で吸って、
二回目の呼吸で頸の後ろを伸ばすように吸う。
呼吸によって更に弛みをとりながら
緊張の臨界点まで自分の軸を細くしながら待つ。
緊張の頂点(臨界)で肩や鎖骨の力を抜き、ずれが生まれる。
そのずれで弛みが取れたら息を吐くと中が伸びて行く。
それに対応して自分の軸も柔らかく細くしていき、
伸展が頸へ繋がって戻ってくる刹那に中心へ。
バランス☆運動療法初級 2019.08.10
K野先生と修験道の先生が、参加者を施術してくださいました。
目を瞑ったまま、眼球の動きを誘導してくださり、伸展してくださいました。
目から先に意識が向かうことで、中が伸びて、弛みが取れていくことを感じました。
趾先と目線が合うと背筋から頚も伸び、全体が繋がっていることを感じられました。
頭部や胸部の縮んでいる場所を開いてくださり、緊張が抜けていきました。
表現の方法が異なる先生方が、同じ方向で施術されていることを体験させて頂き、形ではないことを実感しました。
仰向けで鼠径部を寄せて脚を浮かせ、センターを確認して呼吸と共にゆっくりと弛めることで、繋がっていく様子を見せて頂きました。
動作をした後は、左右で全く上がり方が違っていました。
反対側は動かさずにイメージで同様に行いました。
繋がりを体感できていると動作するのと同じように変化し、バランスが変わるのも、発想が変わるのも同じであるように感じました。
そして、動いていなくても、イメージされている動きが外から観ている人にも伝わることを面白く思いました。
◆視線を使った立体的調整
2019/8/10
◎バランス☆運動療法研究会
修験道の先生が頭を持つと
地中深くへ途轍もない勢いでアースされていく。
それに師匠が脚から調整を加えると
とんでもなく細い軸で調整されていく。
う~ん。凄すぎますよ。これは笑。
でも、この反応を目の当たりに出来る事は本当に毎回財産です。
師匠も変わられていましたが、A先生も変わられていました。
目(視線)で誘導することで、
立体的なバランスが生まる調整。
片目ずつ見る事で目の幅のずれと後頭骨までの深さ、
焦点で立体感が生まれる。
丁度、バランスが取れた所、弛みのとれた所、良い位置で吸って、
二回目の呼吸で頸の後ろを伸ばすように吸う。
呼吸によって更に弛みをとりながら
緊張の臨界点まで自分の軸を細くしながら待つ。
緊張の頂点(臨界)で肩や鎖骨の力を抜き、ずれが生まれる。
そのずれで弛みが取れたら息を吐くと中が伸びて行く。
それに対応して自分の軸も柔らかく細くしていき、
伸展が頸へ繋がって戻ってくる刹那に中心へ。
この工程を瞬間に盗まれていました笑。
#管理人です。
私なりに参照探していると、「千手千眼」は「工夫(切り口)」の数の事を指していて、身体の中心、心の中心が相対的に生まれてくるのではないかな~。と感じました。
師匠や修験道の先生の背中を観て、全く及びませんが私なりに仕事や私生活で工夫をし、ブログ引き継いで2年半も過ぎてようやく、身体創り、心創りの解釈が変わった様に思います。
本当に工夫あるのみです。有難う御座います。
参照1 習い・稽古・工夫
「センタリング呼吸法」でも、レッスンで上手に動くことだけを目的とするのではなく、寧ろ日常動作や仕事上での動作が、楽で効率的なものになる事の方が大切だと考えています。
無理をしなくても良い、効率的な動き方を身に付けるには、呼吸に合わせた、中心からつながった動き方を習い、稽古してみて、自分で日々工夫し、検証することが大切です。その結果として、感性が高まり、厳密で優雅で健康的な身体の使い方を身に付けることになるのです。
レッスンの時には、人が行う動作が、どのような繋がり方をしているかを、しっかり観察し、自分の動き方と照らし合わせてみる。無駄な動きは無いか、動きが大き過ぎないかを、批判的にではなく、自意識を捨てて、他人の動作を観照することが大切です。そうすることによって、自分の心身をも、客観的に観照することができるようになるはずです。
参照2 今回、講習を受けて感じたこと、気づいたことなど
心に残ったこと1.
“視線について”
前回、視線と動きの連動を行った時、「ポイントを決めて、そこで一旦視線を留めてから次のポイントへ移動していく」というのが、新しい動き方の経験で、面白いと思いました。
いつもは、スムーズに無理なく動くということに気をとられて、視線をいい加減に流してしまっていたのだということに気づきました。見ているつもりでも、見ていなかったり、一点を見つめるあまり周りが見えなくなってしまったり、見るというのは、集中することと、集中しすぎないことのバランスが難しいと思います。
「眼」についての佐藤勝彦著「心の書」を読み直して、自分の視線の使い方を考えてみると、学んだことの枝葉(技)にとらわれて、その理論の核にたどり着けないのは、この視線の使い方のくせ(いい加減に流す)が、深く関係しているのがわかります。
では、このくせを直して、「見る眼」を養うにはどうすればよいのか。結局、「中心を作る」ことしかないのだということに思い当たります。今までも操体法の中で“中心”ということを言われてきたのに、わかっているつもりになって流してしまっていたことに気づかされました。
参照3 全体を見ること
要する一瓶の花をとゝのへるに際して、全体の調和を見定める極意は次の一言に定まるのである。
「気を奪はれることなく心を瓶華に向け、心を瓶華に向けつゝ気を失はず」 観世音菩薩のやうに「観自在」にこれをみることが出来れば大したものである。自在にこれを観るのである。この観るは、肉眼で見るのではなく、心の眼で観るのである。心眼に近い眼で自在に、花の姿を観察し全体の姿を調整することである。所謂、千手千眼の人となって、はじめて花の姿全体が判るのである。
「センタリング呼吸法」でも、レッスンで上手に動くことだけを目的とするのではなく、寧ろ日常動作や仕事上での動作が、楽で効率的なものになる事の方が大切だと考えています。
無理をしなくても良い、効率的な動き方を身に付けるには、呼吸に合わせた、中心からつながった動き方を習い、稽古してみて、自分で日々工夫し、検証することが大切です。その結果として、感性が高まり、厳密で優雅で健康的な身体の使い方を身に付けることになるのです。
レッスンの時には、人が行う動作が、どのような繋がり方をしているかを、しっかり観察し、自分の動き方と照らし合わせてみる。無駄な動きは無いか、動きが大き過ぎないかを、批判的にではなく、自意識を捨てて、他人の動作を観照することが大切です。そうすることによって、自分の心身をも、客観的に観照することができるようになるはずです。
参照2 今回、講習を受けて感じたこと、気づいたことなど
心に残ったこと1.
“視線について”
前回、視線と動きの連動を行った時、「ポイントを決めて、そこで一旦視線を留めてから次のポイントへ移動していく」というのが、新しい動き方の経験で、面白いと思いました。
いつもは、スムーズに無理なく動くということに気をとられて、視線をいい加減に流してしまっていたのだということに気づきました。見ているつもりでも、見ていなかったり、一点を見つめるあまり周りが見えなくなってしまったり、見るというのは、集中することと、集中しすぎないことのバランスが難しいと思います。
「眼」についての佐藤勝彦著「心の書」を読み直して、自分の視線の使い方を考えてみると、学んだことの枝葉(技)にとらわれて、その理論の核にたどり着けないのは、この視線の使い方のくせ(いい加減に流す)が、深く関係しているのがわかります。
では、このくせを直して、「見る眼」を養うにはどうすればよいのか。結局、「中心を作る」ことしかないのだということに思い当たります。今までも操体法の中で“中心”ということを言われてきたのに、わかっているつもりになって流してしまっていたことに気づかされました。
参照3 全体を見ること
要する一瓶の花をとゝのへるに際して、全体の調和を見定める極意は次の一言に定まるのである。
「気を奪はれることなく心を瓶華に向け、心を瓶華に向けつゝ気を失はず」 観世音菩薩のやうに「観自在」にこれをみることが出来れば大したものである。自在にこれを観るのである。この観るは、肉眼で見るのではなく、心の眼で観るのである。心眼に近い眼で自在に、花の姿を観察し全体の姿を調整することである。所謂、千手千眼の人となって、はじめて花の姿全体が判るのである。
☆リンク先で更新された記事
by centeringkokyu
| 2019-08-15 18:11
| バランス☆運動療法