「反日」とは「道徳」である |
●インタビュー「読者に“思考の補助線”を提供する雑誌をつくりたい」
自分の頭で考える人の新しい雑誌をつくりました。
世界はいま、大きく変わりつつあります。イデオロギーの砦の中にいれば、深く考えなくても暮らせる時代は終わりました。われわれは目の前の課題をいちいち議論し、解決していかなくてはならない、実に"面倒な"時代を生きているのです。
こんなとき、簡単な"正解"が示されると、ついそれに飛びついてしまう。しかし、本当にそれで問題は解決したのでしょうか。 この雑誌は、正解を求めません。ひとつのテーマについて、あらゆる角度から最良のテキストを集め、読者のみなさんに提供します。正反対の意見でも、読むに足るものならどちらも掲載します。正解はみなさん自身の頭で考えてほしいのです。
簡単な正解の代わりに、簡単に読める工夫をしました。忙しい現代人の生活スタイルにあわせ、一本の論考を四ページから六ページにしてあります。ちょっとした移動時間でもまるまる一本読めてしまう分量です。さらに深く知ることができるように関連書籍も示しました。
みなさんが自分自身の正解へたどりつくための思考の補助線になればと願っています。
文藝春秋SPECIAL 2014年夏号 [雑誌]
◎韓国人にとって「反日」とは「道徳」なのである
- 在韓ジャーナリスト 竹嶋渉
「反日無罪」の論理に日本人はどう立ち向かうべきか
ここ数年、報道などで「反日」という言葉を耳にすることが多くなった。言うまでもなく、中国・韓国で「反日感情」が高まっているのがその原因である。周知のように日本と中国・韓国の間には領土問題や歴史認識問題、慰安婦問題、靖国神社参拝問題、戦後補償問題などをめぐる葛藤があり、一般の中国人・韓国人も反日感情を昂ぶらせているのである。そして、その感情は年を追うごとに激しさを増している。ところが、日本では反日感情に対する研究をおろそかにしてきたこともあって、今に至っても韓国・中国の反日感情の実態がよく理解できておらず、その対処もろくになされていない。ここでは韓国の反日感情の実態を大まかに述べ、その対応方法について考えてみたいと思う。
まず、そもそも、韓国人はなぜ反日感情を持っているのだろうか。韓国人が反日感情を持つ最も大きな理由は、日本の侵略行為に対する怨念である。「侵略」という用語に違和感を覚える方もおられるかもしれないが、ここをおろそかにしては反日感情を論じることはできない。日本人は「侵略」と考えていなくても韓国人は「侵略」と考えているからだ。そして、その侵略行為とは「倭寇」「文禄・慶長の役(壬辰倭乱)」「日韓併合」の三つである。侵略された側が侵略した側に怨念を抱くのは当然であって、これは何ら不自然な現象ではない。日本でもそうした認識のもと、指導者らが「侵略」に対する「謝罪」を繰り返してきた。そして、誠意をもって謝罪すれば反日感情は弱まっていくだろう、と考えていたフシがある。しかし、今となってはかなり甘い見通しであったと言わざるを得ない。反日感情とはそんなに単純なものではないからである。
反日感情には「侵略に対する怨念」のほかに、「文化優越意識」に起因するものがある。遠く三国時代(高句麗・百済・新羅)から朝鮮時代に到るまで、韓国人(便宜的にこの用語を用いる)にとって日本人(倭人)とは「夷狄」、つまり野蛮人であった。その一方で自らは中華文明の恩恵にあずかる文明人で、人種的にも日本人より優等であると考えていたのである。これは現在もそうである。そして、前世紀に入って日本が韓国よりも発展したのは、日本人がいち早く西洋文明を模倣し、朝鮮を侵略したためであると見なしている。反面、日本の文化というのは高句麗・百済・新羅・高麗・朝鮮が伝えてやったものがすべてで、半島文化の亜流に過ぎないと考えている。日本独自の文化があったとしても、それは野蛮人の低水準な文化である。彼らが「万葉集は韓国語で読める」などと言ったり、相撲や剣道、華道や茶道、味噌や醤油などがすべて朝鮮半島を起源とするものであると主張するのも、この「文化優越意識」が原因である。明らかな民族的偏見や根拠のないデタラメも交じっているのだが、「侵略に対する怨念」が偏見やデタラメを正当化する根拠となっている。このあたりの事情は日本ではあまり知られていない。長らく「被侵略者である韓国人が人種的偏見を持つはずはない」などという勝手な先入観に惑わされてきた結果である。
◆「反日」に反対する者は「正気」ではない
実は、韓国人が自らの反日感情や反日行動を指して、「反日」と呼ぶことは稀である。大抵の場合、「民族感情」「国民感情」と呼ぶ。韓国語の「反日(パニル)」という語彙には「日本に対する敵対感情・敵対行動」という意味合いがある。ところが、韓国人は自らの反日感情が日本に対する「敵愾心」に基づくものだとは思っていない(思いたがらない)。実際はそうなのだと指摘すると怒り出すことも多い。韓国人にしてみれば、自らの反日感情は日本の侵略に対する崇高な怒りであり、人間的にも当然な感情であり、かつ極めて道徳的なものであり、「敵愾心」などに基づくものではない、ということになる。だから、敢えて「反日感情」とは言わず、「民族感情」「国民感情」という語彙が用いられているのである。
韓国で「民族感情」「国民感情」という用語が用いられている理由はもう一つある。「反日感情」は国民や民族が等しく共有すべき「道徳」である、という強固な思い込みである。だから、反日感情に基づく言説に少しでも異議を唱える者は反道徳的であり、「民族」「国民」ではなく、「民族反逆者」「非国民」である、ということになる。そうした者は韓国では「売国奴」「親日派(売国奴とほぼ同義)」として徹底的に糾弾され、社会的に抹殺される。そのため、韓国では反日感情には何らの批判も加えられない。日本については何を言おうと言いたい放題で、どこからも文句をつけられない。まさに「愛国無罪」ならぬ「反日無罪」状態なのである。こうした健全な批判のない土壌に健全な言説が育つ余地などあろうはずがない。そのため、年を追うごとに反日感情は過激さの度合いを増し、反日行動は奇矯さの度合いを増す、ということになる。ちなみに、韓国ではこうした「国民感情」「反日感情」を基盤とした国粋主義(としか言いようがない)を「民族正気(「精気」とも書く)」などという崇高な用語で呼んでいる。つまり、これに反する言動を取る者は「正気」ではない、ということである。そうした意味で韓国の反日は原理主義的で、一切の妥協的解釈を許さない。
◆「商売」にも「犯罪」にも利用される
さて、そのような崇高な概念であるはずの反日感情なのであるが、それが表出する場面を見てみると、崇高どころか稚拙で荒唐無稽なものが多い。反日感情の表出の事例としてよく知られているものとしては「デモ」がある。日本大使館の前で反日団体が繰り広げている様々な反日デモが有名であるが、日本の国鳥であるキジを生きたまま裂いたり、大使館の建物に卵や塗料の入った瓶を投擲したり、日本の首相の顔を布にプリントして口の部分を縫う(「妄言」を糾弾するという意味があるらしい)などの奇行が数多く見られる。中にはデモ参加者が指を切り落としたり、焼身自殺を図ったりしたケースもある。外国公館に対する破壊行為は如何なる場合でも批判の対象になるはずだが、韓国ではそうした批判はほとんど起きない。
次にスポーツ観戦における無軌道な応援やパフォーマンスが挙げられる。サッカーの日韓戦で「歴史を忘れる国には未来がない」という横断幕を掲げて応援したり(二〇一三年七月のサッカー東アジアカップ)、サッカーの選手が「独島は我が領土」というプラカードを持って競技場を走り回ったりした行為(二〇一二年のロンドン五輪)はかなりの物議を醸した。挙句の果てには「日本の大震災をお祝います(原文ママ)」という常軌を逸した垂れ幕を掛けたりした事例(二〇一一年のアジア・チャンピオンズリーグ)もあった。さすがにこの垂れ幕に対しては韓国国内からも批判が出たのだが、これは極めて稀なケースである。大抵の場合、何をやっても批判されない。二〇一一年のAFCアジアカップの日韓戦では韓国の選手がゴールを決めた後、日本人を猿になぞらえたパフォーマンスを行って物議を醸した。この背景には日本人に対する「文化優越意識」があるが、他民族を畜類に譬えて侮辱するのは明らかな人種差別である。しかし、この選手が「(観客席の)旭日旗に腹が立った」という言い訳をしたため、韓国内での批判は消散した(実際には観客席には旭日旗はなかったことが明らかになっている)。
こうした無批判な反日感情は様々な商売にも利用されている。最近は独島問題などによって反日感情が盛り上がるたびに関連商品が売り上げを伸ばす、という現象が見られる。その最も成功した一例として、大邱銀行という地方銀行が二〇〇三年に開設した「独島支店」を挙げることができる。これはネット上のサイバー支店であるが、この支店に口座を持つ顧客は金利・手数料を優遇されるということもあって、三十万人が口座を開設したという。二〇〇五年には企業銀行が税引き後の利子の二パーセントを独島関連団体に寄付する「独島は我が領土通帳」を販売した。一部では「反日感情を利用した商法」という批判も提起されたが、反日感情がネタになっている限り、そうした批判が共感を得ることは少ない。【以下省略】
古田博司氏に聞く「東アジア3カ国との付き合い方」2015.4.4(土)
【本稿(2015年4月6日公開)はプレミアム会員限定の記事ですが、現在、特別に全編を公開しています。】(JBpress)
参照2:まるで金太郎アメ 韓国歴代大統領「反日・侮日」妄言集
▼韓国に残る日本由来の制度、文化
韓国においては、既にずいぶん前から「日本残滓を清算しよう」という運動が行われてきた。日本の残滓とは日本統治期(1910-1945)に朝鮮半島に導入された日本式制度、言語、風習、文化のうち、終戦後にも韓国に残り韓国人の生活に大きな影響を与えてきたものをいう。
別の言葉で表現するのであれば(それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ)日本統治時代の「遺産」ともいえる。日本残滓清算運動とは、これらを排斥しようという一種の反日民族主義的な性格の運動である。
参照6:日韓併合前後 朝鮮半島写真館
こちらはミラーサイトですが、本家は削除されたようです。
参照7:韓国人と「口約束」
オールドカマーの在日韓国人が韓国人との間で絶対にしないものが幾つかあります。その一つが、「口約束」です。在日同胞もオールドカマーの3世とかになると口約束も少しは守る様になります。4世で日本の学校に通っていると、口約束の大切さをかなり理解していると思います。
同じ在日でも、ニューカマーは口約束を守りません。日本で生計を立てているくせに日本の風習を大切にしないばかりか、日本の心すら否定するのがニューカマーです。「言葉に魂ありき」なんて事は塵ほども理解できていないでしょう。
韓国人はそれに輪をかけた人たちです。
口約束は守らない。それが、韓国人の特徴の一つなんですね。
#楽隠居です
このところの韓国との問題ついて、なんだかもやもや感が抜けませんので、ちょっと検索してみました。
既に、5年前にはいろいろと書かれていたのでした。
そこで、『「反日」とは「道徳」である。』という言葉に、何となく納得してしまいました。
ですから、日本のすることに同意したり、日本製品を買ったり、日本旅行をすることは、不道徳?なのかもしれませんね!
韓国と協議しても、日本が韓国の意見に従わないと、協議に出席した韓国の人が、親日だと認定されるので、自分の立場や命を守るためには、韓国に都合の良い、日本を従わせたというアピールをしないといけないのかもしれません。
ということは、説明しても協議せず、韓国は韓国の立場を守っていただくしか方法はないような気がします。
日本の文化に影響を受けたものが、すべて精算される日まで、貿易や旅行も取りやめた方が安全かもしれません。