2019年 06月 11日
合気は手で情報量が変わる |
◆いくかいかないかで判断するために
2019/6/8
◎合気観照塾(稽古メンバー:M岡さん、KMさん、K元)
今回終始ご指摘頂いたのは『我』を捨てて、相手を受け入れる(力を抜く)ということでした。
合気を何度もかけて頂く度に弛んでいく、頭の固さがどんどん際立ってくる。
M岡さんとスワイショウ的に誘導をして頂いた時に時々見える方向性へ身体が動くとM岡さんへ力が伝わるが、観えても考えた瞬間に手で動いたり、動きが止まったりすると返して下さった。掛けられた直後の道に逆らわずにカウンターの様に返えっていく感じが一番動きやすかった。
師匠に調整を受けた後に手で突いた途端に、M岡さんに『そこで突いたあかんやん』と言われ、自分の現状を感じた。
M岡さん太極棒の持ち方と自分の持ち方を比べると真逆の作用で持っている感じがした。
相手を受け入れる事で吸い込みがかかる道が出来る事も師匠やM岡さんに調整や誘導をして頂いて感じ得た。
手は張るが力を抜く。
一度、ぐでんぐでんになるまで力を抜かないといけない。
◆「情報と五首と私」
さて、変わると言えば、昨夜、「手首」について体感させて頂きました。
その観点と繊細な感覚を体で享受する中、脳がどんどん書き換わる感じで …
一挙手一投足を感じる中、自分に Up Date用 の 修正プログラムを放り込まれて行く様で、
その都度、自分の享受するデータ量が増え、内容に濃さが増して行く気がしました。
必然、自分に内在するデータを精査する細かさや内容が変わる訳で、
より「ちょこちょこ」になるなぁって感じです。
一方、そのデータを処理するプロセッサやメモリ、ソフトが旧型で処理しきれないので、
これまたひとつづつ改良して行く事になると想います。
合気の面白さ、不思議さ、凄さを感じる学びになって来ました。
そして、意図せず、今回、「五首」の特性と凄さを学ぶ流れとなりました。
(「五首」については師匠ブログを御参照下さい)
●MSさんから師匠へのメールです。
土曜日、日曜日ありがとうございました。
遅いですが、「すみません」今回で太極棒のメニューってこう練習するんだ❗️が丹田に情報が行った感じします。
今まで、丹田ですよと言われていても、手の動きに脳が反応してました。
剣の動きと合わせて頂いていたので、「あっそうか❗️」がたくさんころがっていました。
合掌の手の動きの方が、私にはしっくりきたので、ご神仏参拝するときに使います。
ありがとうございました‼️
●師匠からの返信メールです。
御連絡を有り難うございました。
私は、感じた事を適当にこじつけて、辻褄を合わせているだけですから、
ご自分が納得して、普段使いがやりやすいように改変して下さい。
面白くもなく、役にも立たない事を続けるほど無駄なことはありませんから・・・
何時も有り難うございます。
#管理人です。
最近、特に合気の相対稽古が必要と感じています。
と言うのも、やっぱり一人では自分の甘さに気付き切れないと感じているからです。
『肩の力が抜けないと必然性は生まれない』
『手を観れば合気が出来るかどうか解る』
なかなか厳しいですね笑。
でも仕方ないですほんまの事なんで。
マイクロ波の様な感じでした 参照1 ヒジカタさんとクビ?
参照2 観念法と呼吸法と触手療法
・霊動が肉眼で見えるのを顕動と云い、肉眼で全く見る事の出来ない微動を潜動と云うのである。要するに顕動は一つには、初学者の為に霊動とは、どんなものであるかを示す為であり、一つには潜動に導く手段である。諸病治療には専ら潜動に依らねばならぬ。霊動の起こって居る手を患部に按手する時は、電気にでもかかってる如く、其の振動を感じ、且つ此の振動が細かい為に、患部の最深部に迄充分伝わり、神秘的な力によって、病細胞を破壊し、如何なる難病をも易々治療する事が出来るのである。此れ即ち中脳を経て植物性神経を刺激し、其の配下にある不随意筋を微動するが故に、効果偉大且つ的確なのである。此れに反し顕動は振動が粗い為に、身体の部まで到達せず表面で消えてしまう為に、治療効果も極めて少ない。而して顕動は終脳より動物性神経を刺激して、随意筋を働かすのである。
参照3 動きは骨盤から生まれる
P51
わたしたちは、どんな動きでも、上下、左右、前後という六つの方向から、なんの事前の準備動作もなしにはじめることができるという考え方に戻ることになります。
P52
動きは骨盤から生まれ、動きの方向は、手でも足でもなく、頭の動きによって導かれるということです。
やったことの意味を学ぶと、すべてを忠実にやらなくても、別のやり方をしてもそのとおりにできます。それでこそ、本当に選択の自由を学んだことになります。動きの真の本質を学ぶと、両手を使うか、違う手を使うか、違う脚を使うかに関係なく、その動きができるようになります。しかし、動いているとき、頭が自由に動けるようにしておく能力は、自己防衛にとって欠かすことができません。
P53
動きはまず、自己防衛のために自然によって創りだされました。どんな動物でも、なにかをするときには頭を自由に動かせる状態にしているのがおわかりでしょう。
頭を固定する動物はいません。頭を固定しなければ、今やったように素早く楽に起き上がれるし、どんなつらいことでもできます。実際、頭が自由に動くならば、脚を緊張させなくてすみます。動きが途中でひっかからなくなります。みなさんは一つの動きを正しく、頭を自由にして骨盤から力が生まれるようにしておこなったのですから、知らないうちにそのことを学んでいるのです。頭を固定して、骨盤から動かない場合は、なにもできません。
P112
筋肉をリラックスさせたい場合、無理にリラックスさせようとしては駄目です。その部分の筋肉が不必要になるようにからだを支えることです。人間の脳はひじょうに利口ですから、そこの筋肉を休めても大丈夫だと感じたら即座にそのように反応します。
☆リンク先で更新された記事
▼「十二年籠山」
ふと「オープン陳列」について想いを馳せました。
稽古のメニューのお話です。
そして、なぜ「なれるかもしれない」と書いてあるか?です。
この真意に気付くことが、とても大事なのかもしれません。
少なくとも、私には大事でした。
ここに気付いて50点が51点になる「可能性」が出て来たのだと想います。
(千日回峰 北嶺大行満 様の言葉 )
ところで … 伝教大師様は「十二年籠山」と言う制度を定められました。
「どんな人でも十二年懸命に励めば、必ず一見を得る」とのお考えからだそうです。
オープン陳列は、おおよそ3年を掛け、全ての陳列を一巡三周で「体験」する所から始まり、
後、それを「叩き台」に10年程かけ、独自にいろいろ紐解いて行く感じとなります。
びっちりやって、早くてざっと13年 … 大師様のお話でも最短距離だと分かります。
十二年を一巡三周の4セットと考えると、
「現状把握」・「修正」・「改善」・「補正」 … やっぱり最小限だ。
しかも、それで「"一見"を見出したのなら、"そこから後が本当のスタート"」と大師は説かれている訳です。
更に、補足として大師は「ただし、情熱を失わなければ」と説かれます。
▼「回る~回る~」
足首や手首回しに夢中になっていたら(「情報と五首と私」)、
何とはなしに「短棒回し」や「廻刀」の感覚が掴めて来ました。
当たり前と言えば当たり前ですが、面白いです。
幾らモノが重くても手や指に力を込めなくて良いんですねぇ …
寧ろ、脱力していないと動けないし、怪我をする … 目指した所だけれど驚きました。
そりゃ、これで工夫し、お稽古していたら「手のオバケ」になりますわ。
「ムドラ(手)」と「アサナ(身勢)」、「意識」も更に一致しそうです。
▼『人の事より自分の事しなさい!!』
自信を無くしてみた
とりあえず、力を抜いてお辞儀と起き上がり
力みを感じたら止まる、力を抜けた分だけ動く
膝と肘の曲がる所だけ意識しておくと随分力の抜け方がかわる
目から入る情報でも認識がかわる
情報は変わっていない受け取り方が変わっている
その受け取り方や目の付け方がその時の現状を表している
親指の使い方や右から抱え込む癖の正体が洗面器で湯船からお湯を掬う時という事が解った
どんどん自信をなくして自己中心で多角的に観察してみよう
2019/6/8
◎合気観照塾(稽古メンバー:M岡さん、KMさん、K元)
今回終始ご指摘頂いたのは『我』を捨てて、相手を受け入れる(力を抜く)ということでした。
合気を何度もかけて頂く度に弛んでいく、頭の固さがどんどん際立ってくる。
M岡さんとスワイショウ的に誘導をして頂いた時に時々見える方向性へ身体が動くとM岡さんへ力が伝わるが、観えても考えた瞬間に手で動いたり、動きが止まったりすると返して下さった。掛けられた直後の道に逆らわずにカウンターの様に返えっていく感じが一番動きやすかった。
師匠に調整を受けた後に手で突いた途端に、M岡さんに『そこで突いたあかんやん』と言われ、自分の現状を感じた。
M岡さん太極棒の持ち方と自分の持ち方を比べると真逆の作用で持っている感じがした。
相手を受け入れる事で吸い込みがかかる道が出来る事も師匠やM岡さんに調整や誘導をして頂いて感じ得た。
手は張るが力を抜く。
一度、ぐでんぐでんになるまで力を抜かないといけない。
◆「情報と五首と私」
さて、変わると言えば、昨夜、「手首」について体感させて頂きました。
その観点と繊細な感覚を体で享受する中、脳がどんどん書き換わる感じで …
一挙手一投足を感じる中、自分に Up Date用 の 修正プログラムを放り込まれて行く様で、
その都度、自分の享受するデータ量が増え、内容に濃さが増して行く気がしました。
必然、自分に内在するデータを精査する細かさや内容が変わる訳で、
より「ちょこちょこ」になるなぁって感じです。
一方、そのデータを処理するプロセッサやメモリ、ソフトが旧型で処理しきれないので、
これまたひとつづつ改良して行く事になると想います。
合気の面白さ、不思議さ、凄さを感じる学びになって来ました。
そして、意図せず、今回、「五首」の特性と凄さを学ぶ流れとなりました。
(「五首」については師匠ブログを御参照下さい)
●MSさんから師匠へのメールです。
土曜日、日曜日ありがとうございました。
遅いですが、「すみません」今回で太極棒のメニューってこう練習するんだ❗️が丹田に情報が行った感じします。
今まで、丹田ですよと言われていても、手の動きに脳が反応してました。
剣の動きと合わせて頂いていたので、「あっそうか❗️」がたくさんころがっていました。
合掌の手の動きの方が、私にはしっくりきたので、ご神仏参拝するときに使います。
ありがとうございました‼️
●師匠からの返信メールです。
御連絡を有り難うございました。
私は、感じた事を適当にこじつけて、辻褄を合わせているだけですから、
ご自分が納得して、普段使いがやりやすいように改変して下さい。
面白くもなく、役にも立たない事を続けるほど無駄なことはありませんから・・・
何時も有り難うございます。
#管理人です。
最近、特に合気の相対稽古が必要と感じています。
と言うのも、やっぱり一人では自分の甘さに気付き切れないと感じているからです。
『肩の力が抜けないと必然性は生まれない』
『手を観れば合気が出来るかどうか解る』
なかなか厳しいですね笑。
でも仕方ないですほんまの事なんで。
稽古しましょう!!
最後に、
師匠が持つ太極棒をM岡さんが握った瞬間に太極棒の芯がびびぃー!と響いていたのがとても印象に残りました。
参照2 観念法と呼吸法と触手療法
・霊動が肉眼で見えるのを顕動と云い、肉眼で全く見る事の出来ない微動を潜動と云うのである。要するに顕動は一つには、初学者の為に霊動とは、どんなものであるかを示す為であり、一つには潜動に導く手段である。諸病治療には専ら潜動に依らねばならぬ。霊動の起こって居る手を患部に按手する時は、電気にでもかかってる如く、其の振動を感じ、且つ此の振動が細かい為に、患部の最深部に迄充分伝わり、神秘的な力によって、病細胞を破壊し、如何なる難病をも易々治療する事が出来るのである。此れ即ち中脳を経て植物性神経を刺激し、其の配下にある不随意筋を微動するが故に、効果偉大且つ的確なのである。此れに反し顕動は振動が粗い為に、身体の部まで到達せず表面で消えてしまう為に、治療効果も極めて少ない。而して顕動は終脳より動物性神経を刺激して、随意筋を働かすのである。
参照3 動きは骨盤から生まれる
P51
わたしたちは、どんな動きでも、上下、左右、前後という六つの方向から、なんの事前の準備動作もなしにはじめることができるという考え方に戻ることになります。
P52
動きは骨盤から生まれ、動きの方向は、手でも足でもなく、頭の動きによって導かれるということです。
やったことの意味を学ぶと、すべてを忠実にやらなくても、別のやり方をしてもそのとおりにできます。それでこそ、本当に選択の自由を学んだことになります。動きの真の本質を学ぶと、両手を使うか、違う手を使うか、違う脚を使うかに関係なく、その動きができるようになります。しかし、動いているとき、頭が自由に動けるようにしておく能力は、自己防衛にとって欠かすことができません。
P53
動きはまず、自己防衛のために自然によって創りだされました。どんな動物でも、なにかをするときには頭を自由に動かせる状態にしているのがおわかりでしょう。
頭を固定する動物はいません。頭を固定しなければ、今やったように素早く楽に起き上がれるし、どんなつらいことでもできます。実際、頭が自由に動くならば、脚を緊張させなくてすみます。動きが途中でひっかからなくなります。みなさんは一つの動きを正しく、頭を自由にして骨盤から力が生まれるようにしておこなったのですから、知らないうちにそのことを学んでいるのです。頭を固定して、骨盤から動かない場合は、なにもできません。
P112
筋肉をリラックスさせたい場合、無理にリラックスさせようとしては駄目です。その部分の筋肉が不必要になるようにからだを支えることです。人間の脳はひじょうに利口ですから、そこの筋肉を休めても大丈夫だと感じたら即座にそのように反応します。
参照4 いつでも発勁できる姿勢
◆相手の中心に焦点を合わす
合気観照塾 2018.10.06
足首を決めたまま、吸って弛めて吐く動きで内部からバランスを変えて重心移動する
軸が伸びて肩甲骨が寄り、五首が決まるバランスで吸い上げ、いつでも発勁できる姿勢で待つ
体幹を立体的なレンズとして、相手の中心に焦点が合うように、骨盤や肋骨を組み上げる
触れた時点で接点にそれ以上の圧を加えず、自分の軸で相手の軸を攻めて全体を動かす
接点に合わせて手部が締まっていくと、それに応じて体幹が絞られ、勝手に細く伸びていく感覚を得られた
肩を押してくる負荷を反対側の足底まで落とすように吸い込み、呼吸での立ち上がりによって力を返す
横隔膜を浮かせたまま肩の力を抜き、上肢をプラプラにして肘を転がし、肘後面で相手を攻める
ピッタリ労宮と合う位置で吸い込めると後方の正中に意識が通り、前後の奥行きを広げるように力を放つ
◆相手の中心に焦点を合わす
合気観照塾 2018.10.06
足首を決めたまま、吸って弛めて吐く動きで内部からバランスを変えて重心移動する
軸が伸びて肩甲骨が寄り、五首が決まるバランスで吸い上げ、いつでも発勁できる姿勢で待つ
体幹を立体的なレンズとして、相手の中心に焦点が合うように、骨盤や肋骨を組み上げる
触れた時点で接点にそれ以上の圧を加えず、自分の軸で相手の軸を攻めて全体を動かす
接点に合わせて手部が締まっていくと、それに応じて体幹が絞られ、勝手に細く伸びていく感覚を得られた
肩を押してくる負荷を反対側の足底まで落とすように吸い込み、呼吸での立ち上がりによって力を返す
横隔膜を浮かせたまま肩の力を抜き、上肢をプラプラにして肘を転がし、肘後面で相手を攻める
ピッタリ労宮と合う位置で吸い込めると後方の正中に意識が通り、前後の奥行きを広げるように力を放つ
☆リンク先で更新された記事
▼「十二年籠山」
ふと「オープン陳列」について想いを馳せました。
稽古のメニューのお話です。
そして、なぜ「なれるかもしれない」と書いてあるか?です。
この真意に気付くことが、とても大事なのかもしれません。
少なくとも、私には大事でした。
ここに気付いて50点が51点になる「可能性」が出て来たのだと想います。
(千日回峰 北嶺大行満 様の言葉 )
ところで … 伝教大師様は「十二年籠山」と言う制度を定められました。
「どんな人でも十二年懸命に励めば、必ず一見を得る」とのお考えからだそうです。
オープン陳列は、おおよそ3年を掛け、全ての陳列を一巡三周で「体験」する所から始まり、
後、それを「叩き台」に10年程かけ、独自にいろいろ紐解いて行く感じとなります。
びっちりやって、早くてざっと13年 … 大師様のお話でも最短距離だと分かります。
十二年を一巡三周の4セットと考えると、
「現状把握」・「修正」・「改善」・「補正」 … やっぱり最小限だ。
しかも、それで「"一見"を見出したのなら、"そこから後が本当のスタート"」と大師は説かれている訳です。
更に、補足として大師は「ただし、情熱を失わなければ」と説かれます。
▼「回る~回る~」
足首や手首回しに夢中になっていたら(「情報と五首と私」)、
何とはなしに「短棒回し」や「廻刀」の感覚が掴めて来ました。
当たり前と言えば当たり前ですが、面白いです。
幾らモノが重くても手や指に力を込めなくて良いんですねぇ …
寧ろ、脱力していないと動けないし、怪我をする … 目指した所だけれど驚きました。
そりゃ、これで工夫し、お稽古していたら「手のオバケ」になりますわ。
「ムドラ(手)」と「アサナ(身勢)」、「意識」も更に一致しそうです。
▼『人の事より自分の事しなさい!!』
自信を無くしてみた
とりあえず、力を抜いてお辞儀と起き上がり
力みを感じたら止まる、力を抜けた分だけ動く
膝と肘の曲がる所だけ意識しておくと随分力の抜け方がかわる
目から入る情報でも認識がかわる
情報は変わっていない受け取り方が変わっている
その受け取り方や目の付け方がその時の現状を表している
親指の使い方や右から抱え込む癖の正体が洗面器で湯船からお湯を掬う時という事が解った
どんどん自信をなくして自己中心で多角的に観察してみよう
by centeringkokyu
| 2019-06-11 23:59
| 合気観照塾