お互いの体験が溶け合う |
▼『治療のこころ 巻二』 著・神田橋 條治 より引用させて頂きます。
人と技法
皆さんは、いろんな治療のやり方が分かって、あるいは、できるようになって、サポートとか、解釈とか、直面化とか、本に書いてあるやり方を、正しく理解して、それを使えるようになっている、と思っているでしょう?
その通りです。
おおむね正しいのです。
なのに、効果は予想した通りにならない。
何故だろう?
そのわけは、正しく理解して、正しいやり方で技法が行われても、やっている人は、皆それぞれがやっているわけでしょ。
(中略)
そうじゃなくて、日常、皆さんの生活の中で、自分は、人にどういう影響を与えているか、を見てみたらいい。
たとえば、みんなから、優しい人だと感じられているような生き方をしている人は、そういう、優しい態度、日常生活の場で、人々が受け取る、自分の態度の上に、技法をのっけるわけ、鹿爪らしい人だな、と受け取られている人は、その鹿爪らしい態度の上に、技法をのっけるわけ。
だから、違ってくるのよ。
われわれは、始めから色のついた、キャンバスなの。
青色が塗ってあるとか、赤色が塗ってある、キャンバスなの。
その上に、色をのっけていくわけだから。
技法っていうのはね。
だから、自分がもっている、非常に個性的なある雰囲気、日常生活で、自分の連れ合いとか、親兄弟とか、友達とかに、自分がいつも及ぼしている影響、と正反対の技法を身につけてやろうとしたら、さあ大変だよ。難しいよ。
ビールにケチャップ入れて飲むような感じ。ゲテモノみたいになっちゃうの。
だから、できるだけ、自分のもっている雰囲気、自分が、人々に、常々与えているムードに相性のいい技法、から取り入れていったほうが早いの。
人と理論
いろんな人が、いろんな治療技法や理論をつくる。
治療技法をつくったときに、そのほとんどは、そのつくった人のもっているある特徴を、補うためにつくられてくるわけなの。
その人にとっては、それが必要なんだね、だから、みんな、自分で、一所懸命治療をやってれば、必ず、そうした、自分自身の特徴を補うための技法、が必要になってくる。
そして、小此木先生が言われたように、その技法は、つくられた当時は、強固なもので、強い力をもつためのものであるわけ。
そして、だんだん、その治療者が成長し、円熟してくるにつれて、その技法は、柔らかなものになって、だんだんと、うす味のものになって、力がなくなってきて、不必要なものになっていくという経過をたどるものなんだね。
だから、みんな、自分の技法をつくらないといけないし、その技法は、他の人の技法をそのまま使ったのでは、恐らく駄目だね。
自分の、人間としての限界の部分、欠損の部分、を補うようなものをつくらないといけないわけ。
体験に近い・遠い
一般に、どういう分野であっても、理論が整備されてくるということは、体験から遠い概念、が整ってくることなんです。
皆さんが勉強されている、精神療法っていうものは、ある程度、完成されたものを勉強しておられますから、体験から遠いものから入っているわけです。
いろんな理論の勉強からね。
ところが、精神療法の、そういう体系が出来たのは、体験に近い、悲しいとか嬉しいとか、嬉悲しいとか、いうような体験があるなぁ。
感情というものは、シンプルではない、とかいうことが分かって、だから、ambivalentなんて概念は、とても体験に近いわけね。
誰でも、自分で内省してみると、あぁ、本当にそういうことってあるなぁと、思えるような概念です。
次に、そういうものが集積されていって、だんだん、だんだん、より無機質的な概念、が登場してくるにつれて、理論は、整合性を備えて行くのです。
体験と理論
現在の、精神療法を勉強したり、やったりしてる人たちは、体験に遠い理論が濃くて、体験に近い理論が少し薄くて、体験自体の理解がさっぱりなの。
そうすると、結局、正しい。考えは正しい。正しいけど、そういう正しさは、あんまり役に立だない正しさです。
「これは母子関係に問題があって、母子の間の、攻撃的要素が表在化して、リビディナルなものが作動しないような体制が、母子の間に生じ、膠着している状態だ」っていう認識、それは正しいけどね。
それじゃどうするかって、いいですか、ここからが大事よ。
治療者がいろいろやるということは、結局のところ、その治療者と患者との間で、何かやられるわけだから、患者から見たら、この治療者が行なう操作というのは、患者の側から見たら、experienceなんだ。
体験の一部なんだよ。
そうすると、患者がしている体験、いま困ってるとか、何か辛いとか、悲しいとかいうことと、治療者自身がしてる体験とが、溶け合いやすいものじゃなければ、治療効果は出てこんのよ。
いくら正しいことをしても、さっぱりなの。
〆管理人です
最近、神田橋先生の『治療のこころ』を順番に読んでいます。
精神科の講義が始まる前にされていた講話をまとめたものですが、目が覚めるような面白い話でいっぱいです。
知識を得るためではなく、学び方を学ぶために活かしたいと思います。
参照:生体が自己修正して正常化する
治療のこころ 巻8 平成8年 神田橋條治
カイロから学ぶ
カイロプラクティックとは、背骨や、骨盤、つまり、骨を修正する、エイッとやって、ゴキッとやったりするものだと思ってましたけど、まあ、いまでもそういうカイロの先生がたくさんいるようですが、もうそれはいまでは、少し時代遅れになりつつあるんだそうです。
参照:円環的思考
どのような人がシステムセラピストに向いているかという質問をよく受けます。その場合、聞き手は性格的なものをたずねているようですが、どうも性格には関係ないように思われます。穏やかな人は穏やかな人なりに、にぎやかな人はにぎやかな人なりに、その人の持ち味を利用した治療が功を奏します。
参照:合気道の奥義
どんな技でも技ができてから理論が作られた。したがって理論を考えてから技を覚えようとするのは間違いである。まず体をつくり、動けるようになるのが先決である。タイミングが大切。技の利くポイントを狙う。いたずらに速くてもまた遅くても技は掛からぬ。
参照:医術は芸術?
科学においては再現性ということがもっとも重要な意味を持つだろう。となると、医学は果たして、現代において科学と考えられるだろうか。医術(アート)と呼ばれていたギリシャの医学と比べて、本当に現代医学は科学となってきたのだろうか。
☆リンク先で更新された記事
◆二重螺旋で分け目と搦め
◆稽古メモ その5