自動手当て |
▼『手の治癒力』 山口 創・著より、一部を引用させて頂きます。
「心」と「体」が乖離すると、人は身体の感覚が感じられなくなってくる。
痛みや温度感覚といった皮膚感覚や、空腹や満腹感といった内臓の感覚などが鈍くなってくる。
これらの症状は学問的には「失感情症」と呼ばれるが、その手前には「失感覚症」あるいは「失身体症」ともいえる状態がある。
このような危険を察知した身体は、自然に身体感覚を覚醒するための行動をして、それを回復させようとする。
たとえば頭を使いすぎたあとに、無性に運動したくなったり、甘い食べ物を食べたくなったりすることはないだろうか。
あるいは、外側から自分の体を刺激して皮膚感覚を呼び覚まそうとする。
「皮膚は露出した脳」ともいわれるため、この方法が脳や心に与える効果は特別に大きい。
朝、目覚めてぼーっとしているとき、冷たい水で顔を洗うとか、ストレスがたまると熱い温泉に浸かりたくなるのもそうだ。
もっと無意識のうちにしている行動もある。
不安や緊張を感じたときに、頬を撫でたり手をさすったりして、心を落ち着かせる。
お腹が痛いときはお腹を撫で、頭が痛ければ頭を抱える。
いずれも身体に自然に備わっている本能的ともいえる行動なのである。
こうして私たちは、自分自身の身体に手を当て、撫でさすり、皮膚を手で刺激することで感覚を覚醒させ、「体」を「心」へとつなげ、さらには「頭」を「心」とつなげようと無意識のうちにしているのである。
「手当て」の原点は、そのように人間が自然にしている、手を使って全体のつながりを回復させようとする行為にある。
(中略)
さらに心理的な皮膚はもう1つの見方もできる。
一人の人間を環境から区別している境界面は、物理的には皮膚であるが、心理的には必ずしもそうではない。
自信がなかったり恥ずかしかったりすると、自己の境界は皮膚の内側へと縮小し入り込んでいく。
逆にお酒に酔ったり、自己愛が強すぎたり、躁状態のとき、「自己」の感覚は皮膚の外側へと大きく膨張していく。
そのようなとき、皮膚を撫でたり叩いたりして剌激して皮膚感覚が覚醒すると、実際の境界が意識されて自己の境界は皮膚へと戻ってくる。
不安や緊張が高まったときに自分に触れるのは、皮膚の内側へと縮小してしまった自己の境界を、皮膚にまで拡大させるための手段であるとも考えられる。
〆管理人です
この本には、「手を当てる」という根源的な行動がもたらす効果について書かれており、機械化が進み、触れなくなっていく医療への警鐘を鳴らされています。
現代は、「治療」という行為が特殊なものになり過ぎてしまっているのかも知れませんね。
参照1:相手と心理的な交流が発生する
▼愛撫・人の心に触れる力 山口創著から抜粋してご紹介します。
参照2:中心感覚を維持し続ける
『皮膚という「脳」 心をあやつる神秘の機能』 山口 創著
参照3:皮膚が感情を変える
▼子供の「脳」は肌にある 山口創・著 より、一部を引用させて頂きます。
参照4:相手と一体となるタッチ
相手と一体となるタッチができると、触れるだけでも中の繋がりを誘導できます。
☆リンク先で更新された記事
◆響きあう脳と身体 (甲野善紀 × 茂木健一郎) Ⅴ
武術は、その起源は、
相手を殺傷する技術ではあるわけですが、
突き詰めると
「相手への対応」をどうするか、
ということにつきます。
ですから、
「武術なんて野蛮なものは私には関係ない」
なんて言う人がいますが、
生きている限り、
関係ないことはないはずです。
たとえば仕事をする中では
いろいろな人に会うでしょうし、
その中には論理的に片づくこともあれば、
論理じゃないところで
ぱっと切り替えて対応しなければいけない
場面も必ず出てきます。