2017年 02月 22日
自分自身の心を見つめる |
◎「ミラレパの十万歌」 『ミラレパの足跡』伊藤健司著より
自分自身の心のなかで
心の本来の状態をじっくり見すえると
幻のようなその考え自体が
法界(ダルマダートウ)へと融け
苦しめるものも、苦しむものもなくなる
骨の折れる経典の勉強も
これ以上のことは教えない(第2章)
見るものも見られるものもなくなるとき
知恵が本当に悟られる(第3章)
雷や稲妻や雲は
空より自ずから生じ
空へと消え去る
虹や霧や霞は
天空より自ずから生じ
天空へ消え去る
蜜蜂や果実や作物は
大地より自ずから生じ
大地へと消え去る
花や木の葉や森は
大地より自ずから生じ
大地へと消え去る
さざ波や潮や流れは
大海より自ずから生じ
大海へと消え去る
思考や執着や欲望は
心の蔵より自ずから生じ
心の蔵へと消え去る
自ずからなる気づきや明知や解脱は
心の精髄より生じ
すべては心へと融け入る
不生、不滅、不可説なものは
法界(ダルマダートウ)より出で
すべては法界へと消え去る
幻覚や妄想や悪霊は
ヨーガより生じ
すべてはヨーガへと消え去る
もし悪霊の幻に執着するなら
瞑想は迷いに陥るだろう
一切の障害は空(くう)であり
心の現れだと知らなかったら
瞑想は迷いに陥るだろう
すべての迷いの根源もまた
同じく心からくる
心の本性を悟る者は
去来することのない大いなる明知を知り
外なるすべての現象の本性に気づき
それらが心から生じた幻にすぎぬことを悟り
空と現象が別のものでないことを知る
さらには、瞑想することは幻
瞑想しないことも幻
お前が瞑想してもしなくても同じこと
二つに分けることは一切の誤解の源
究極の知恵からはいかなる見解もない
これが心の本性(第4章)
ブッダは探して見つかるはずがない
だから、自分自身の心を見つめなさい(第9章)
マハームドラーを行ずるとき
わたしは気を散らすことも労することもなく
あるがままの状態にくつろぐ
空の境地では
明知にくつろぎ
至福の境地では
自覚にくつろぎ
無想の境地では
裸の心にくつろぎ
現象の現れと活動においては
三昧(サマーディ)にくつろぐ
このようにして心の精髄に瞑想すると
おびただしい理解と確信が湧いてくる
自ずから目覚めるによって
一切は労せずして成就される
もはや悟りを求めることなく
わたしはとても幸せ
望みからも恐れからも自由で
わたしはとても楽しい
ああ、迷いが知恵として現れるとき
それを楽しむのは何と愉快なことか(第34章)
『われわれヨーギは、障害というものが邪悪で害を及ぼすとはまったく考えない。悪霊がどんな姿かたちをとって現れようとも、それを助けとなる状況、あるいは恵み深い贈り物として受け入れる。
馬の鞭のぴしゃりという一撃のように、それら悪霊たちによる障害は、怠惰な初心者にはたいへん良い刺激になる。また、すでに安心を得た熟達したヨーギにとって、それらの障害は知恵を養うものとなる。
わたしは、このようにして障害を精神的成長を助けるものに変え、邪悪なものを徳に転じた。
いまや、一切の妄念は法身(ダルマカーヤ)そのものとして現れている。こうして、実際におまえたちは、私が仏道に帰依するために必要な一切の援助をしてくれたのだ。』
◎ジェツン(尊者=ミラレパ)の歌 【出典が異なるようです】
秘伝の教えを瞑想してきて
倫理学の書物は忘れてしまった
ひとりあることに喜びを味わって
ひとを喜ばすことは忘れてしまった
自分の体内に僧院を造って
外の僧院は忘れてしまった
言葉よりも心に帰依して
言葉をもてあそぶ仕方は忘れてしまった
ひとを導くふりをする者は
自分自身のゆくえは知らぬまま
自分やひとを傷つける
あなたが本当に苦悩を避けたいなら
ひとへのあらゆる悪意を避けなさい
純化したたえまない努力をしなさい
無知を追い払い、功徳を積みなさい
そうすれば、ダルマを愛する神々が耳を傾けにやってくる
さらに自分自身のなかに
至高至聖の法身(ダルマカーヤ)を見るだろう
輪廻(サンサーラ)と解脱(ニルヴァーナ)についての
真実を見いだすだろう
そして業(カルマ)から自由になるだろう
ひとりであることで、友を見いだそう
低くあることで、高い目標に至ろう
〆管理人です。
K野先生に紹介して頂いた本の内容を掲載します。
「心の本性」について説かれた部分が、特に印象に残りました。
自分の心の動きを丁寧に観察していきたいと思います。
☆リンク先で更新された記事
◆「手が離れなくなる感覚」
◆包帯の勉強会に参加してきました
◆練習者は、ここより練習を始めよ。
自分自身の心のなかで
心の本来の状態をじっくり見すえると
幻のようなその考え自体が
法界(ダルマダートウ)へと融け
苦しめるものも、苦しむものもなくなる
骨の折れる経典の勉強も
これ以上のことは教えない(第2章)
見るものも見られるものもなくなるとき
知恵が本当に悟られる(第3章)
雷や稲妻や雲は
空より自ずから生じ
空へと消え去る
虹や霧や霞は
天空より自ずから生じ
天空へ消え去る
蜜蜂や果実や作物は
大地より自ずから生じ
大地へと消え去る
花や木の葉や森は
大地より自ずから生じ
大地へと消え去る
さざ波や潮や流れは
大海より自ずから生じ
大海へと消え去る
思考や執着や欲望は
心の蔵より自ずから生じ
心の蔵へと消え去る
自ずからなる気づきや明知や解脱は
心の精髄より生じ
すべては心へと融け入る
不生、不滅、不可説なものは
法界(ダルマダートウ)より出で
すべては法界へと消え去る
幻覚や妄想や悪霊は
ヨーガより生じ
すべてはヨーガへと消え去る
もし悪霊の幻に執着するなら
瞑想は迷いに陥るだろう
一切の障害は空(くう)であり
心の現れだと知らなかったら
瞑想は迷いに陥るだろう
すべての迷いの根源もまた
同じく心からくる
心の本性を悟る者は
去来することのない大いなる明知を知り
外なるすべての現象の本性に気づき
それらが心から生じた幻にすぎぬことを悟り
空と現象が別のものでないことを知る
さらには、瞑想することは幻
瞑想しないことも幻
お前が瞑想してもしなくても同じこと
二つに分けることは一切の誤解の源
究極の知恵からはいかなる見解もない
これが心の本性(第4章)
ブッダは探して見つかるはずがない
だから、自分自身の心を見つめなさい(第9章)
マハームドラーを行ずるとき
わたしは気を散らすことも労することもなく
あるがままの状態にくつろぐ
空の境地では
明知にくつろぎ
至福の境地では
自覚にくつろぎ
無想の境地では
裸の心にくつろぎ
現象の現れと活動においては
三昧(サマーディ)にくつろぐ
このようにして心の精髄に瞑想すると
おびただしい理解と確信が湧いてくる
自ずから目覚めるによって
一切は労せずして成就される
もはや悟りを求めることなく
わたしはとても幸せ
望みからも恐れからも自由で
わたしはとても楽しい
ああ、迷いが知恵として現れるとき
それを楽しむのは何と愉快なことか(第34章)
『われわれヨーギは、障害というものが邪悪で害を及ぼすとはまったく考えない。悪霊がどんな姿かたちをとって現れようとも、それを助けとなる状況、あるいは恵み深い贈り物として受け入れる。
馬の鞭のぴしゃりという一撃のように、それら悪霊たちによる障害は、怠惰な初心者にはたいへん良い刺激になる。また、すでに安心を得た熟達したヨーギにとって、それらの障害は知恵を養うものとなる。
わたしは、このようにして障害を精神的成長を助けるものに変え、邪悪なものを徳に転じた。
いまや、一切の妄念は法身(ダルマカーヤ)そのものとして現れている。こうして、実際におまえたちは、私が仏道に帰依するために必要な一切の援助をしてくれたのだ。』
◎ジェツン(尊者=ミラレパ)の歌 【出典が異なるようです】
秘伝の教えを瞑想してきて
倫理学の書物は忘れてしまった
ひとりあることに喜びを味わって
ひとを喜ばすことは忘れてしまった
自分の体内に僧院を造って
外の僧院は忘れてしまった
言葉よりも心に帰依して
言葉をもてあそぶ仕方は忘れてしまった
ひとを導くふりをする者は
自分自身のゆくえは知らぬまま
自分やひとを傷つける
あなたが本当に苦悩を避けたいなら
ひとへのあらゆる悪意を避けなさい
純化したたえまない努力をしなさい
無知を追い払い、功徳を積みなさい
そうすれば、ダルマを愛する神々が耳を傾けにやってくる
さらに自分自身のなかに
至高至聖の法身(ダルマカーヤ)を見るだろう
輪廻(サンサーラ)と解脱(ニルヴァーナ)についての
真実を見いだすだろう
そして業(カルマ)から自由になるだろう
ひとりであることで、友を見いだそう
低くあることで、高い目標に至ろう
〆管理人です。
K野先生に紹介して頂いた本の内容を掲載します。
「心の本性」について説かれた部分が、特に印象に残りました。
自分の心の動きを丁寧に観察していきたいと思います。
☆リンク先で更新された記事
◆「手が離れなくなる感覚」
◆包帯の勉強会に参加してきました
◆練習者は、ここより練習を始めよ。
by centeringkokyu
| 2017-02-22 23:21
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