2016年 12月 23日
今の合気道に合気は無い? |
★佐川幸義先生談
柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。
結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。
★養神館塩田剛三先生談
こうしてやろう、ああしてやろうという欲を棄てなければなりません。頭で判断して動くのではなく、五感の反応にまかせてしまったとき、初めて自由にさばくことができます。そうなったらもう、相手の攻撃の種類などは問題外になるのです。
★琢磨会総務長森恕先生談
合気をかけ、合気技を行なうためには、関節技で要求されるこのような力・技術・要領等は必要要件ではない。むしろ、邪魔になると言った方が早い。
つまり、合気技と関節技は、技の原理が全く異なっており、極端に言えば、両者の術理は対極にあると言ってもよい。従って、関節技の稽古をどれ程重ねても、それだけでは絶対に合気には到達できないのである。
★大阪合気会田中万川先生談
合氣道は技の形にとらわれず、氣の法線を知り、心線を悟り、自己の氣の流れに喰い込み喰い合して行く道である。
之、呼吸の妙なり。心の妙なり。
大自然の英知を悟り、即ち、腹に自然の英知宿りて氣の先々の流れを知り心の姿勢を正すにある。
心構えとして常に氣線を整えておらねばならない。
氣線とは相手が動く前に先々をくみとって進む道をいう。
所謂、相手が動く前に法線を正しく氣線を整えて速やかにどうかすること。
★心で扱う
・我よりかくして投げん、如何せんと計る事なく、唯心気惣身に満て間に髪を容れざるの勝負をなすべし。活達とは気のくわらりと打開き、物に滞る事なき心を云う。我本心の鏡明かなる時は、敵の邪正移りて勝を得る事、全き道理なり。』
・『口傳に云う。世人常に臍下に気を錬り心を守るなどいひて陥りなづむ者あり。然る時は、是が為に業の微妙を失ふ。業を尽して天然自然と臍下に気の治る所を発明すべし。初心の内より此所に泥む時は、力みの沙汰に至る者多し。故に用いずと云う。』
中川 あのね、僕、まえに、合気道の植芝さんという人に会ったことがあるんですよ。その植芝さんというのは、先代だけれども、とても弱々しいような人に見えるんですがね。非常に動物的な勘みたいなもの、そういうものに鋭い人でしたね。
野口 反射運動的にやってしまうことを、弟子に教える時には、ここでこうやって、こうと、教えなくてはならない。それが教えられないで死んじゃったのでしょうが……。弟子はみんな何を言っているんだか判らないって。
中川 ああ、そうでしょうね。
野口 二代目のほうのは判ると言うんです。「判るかわりに術は使えないだろう」と訊くと、「そうだ」と言うんです。
中川 ああ、そうですか。形で覚えちゃうから……。
野口 そうなんですね。植芝さんは咄嵯に勘から勘へ行っちゃうんです。
#楽隠居です
度々の引用で申し訳ございません。
大阪合気会⇒気の研究会⇒大東流合気柔術六方会⇒合気観照塾と渡り歩いてきた楽隠居ではありますが、『合気』というのは、謎ですし面白いと思っています。
技に名前を付け、昇級昇段の技を決めた段階で、『合気』を伝えることは出来なくなると考えているんですが・・・?
これまで、35年間ほど稽古してきたのですが、自分でも分かっていないものを、人に伝えるなんて、出来るはずがないでしょうね!
でも、これからも少しでも動けるうちは、試行錯誤し続けようと思います。
◆やって忘れる【合気観照塾東雲道場のIYさんからのメール抜粋】
少林寺で多くの技を覚えたがゆえに、技の発動を遅らせる結果になったと実感しました。
技であると情報を捉え、その情報量が増していくと自然に選択抽出作業が必要になります。
多くの情報量を蓄えれば蓄えるほど、反比例して技の発動を遅らせる結果になりました。
やって忘れるという理論は、このパラドックスを打破する理論だと思いますが、忘れたら昇段昇級させないというシステムを作り上げたのが組織武術だと思います。
しかし先生が考案された合気観照之図の説明を聞いて、情報を捉える起点を変えれば、抽出作業は要らないのではないかと思えて来ました。
少林寺で多くの技を覚えたがゆえに、技の発動を遅らせる結果になったと実感しました。
技であると情報を捉え、その情報量が増していくと自然に選択抽出作業が必要になります。
多くの情報量を蓄えれば蓄えるほど、反比例して技の発動を遅らせる結果になりました。
やって忘れるという理論は、このパラドックスを打破する理論だと思いますが、忘れたら昇段昇級させないというシステムを作り上げたのが組織武術だと思います。
しかし先生が考案された合気観照之図の説明を聞いて、情報を捉える起点を変えれば、抽出作業は要らないのではないかと思えて来ました。
☆月刊秘伝2007年11月号
P101
合気道養神館を半世紀以上見続けてきた前館長・井上強一師範が語る
◆養神館スタイルが生まれた現場
昭和35年頃に自衛隊の少年教育隊に合気道を教えることが決まって、私が指導に行ったんです。そこで”体の変更二は足をこう開きます。何か質問は?”と生徒に聞いたら、”教官、それは何度開いたら良いのでしょうか?”ときて(笑)。
その時は、”武道に何度なんか決まりはない。その時の相手の力で変わる”と答えたものの、やっぱり気になって、道場に帰ってから塩田館長に話したところ”さすが自衛隊は細かいな(笑)”と(笑)。
ただ”教えるからには決めなきゃいかんだろう。教える人間によって変わったのでは向こうも困るだろうし、ちょっと考えてくれ”と言われたんです。そこで指導員が集まって、改めて指導法を考えることになった訳です。(中略)
何より重要なのは、必要から生まれた集団指導法が、現在の”養神館スタイル”と呼ばれる独自性を築いたことだ。(中略)
こうした指導法を早い段階で成立させたことが、自衛隊や警察などの公的機関に、養神館合気道が採用された理由と言える。
参照1:身勢をつくる為の型
参照8:私の履歴書 Vol.1【六方会大阪支部15周年記念誌(2002年発行)より】
参照9:私の履歴書 Vol.2
参照10:私の履歴書 Vol.3
楽隠居が1987年に入門した六方会の岡本正剛先生です。
合気が分かってからが、本当の修行だ! 佐川幸義先生
という説もありますが・・・
☆リンク先で更新された記事
◆潜動調整
by centeringkokyu
| 2016-12-23 22:35
| 合気観照塾