2016年 03月 22日
身体から心を開く |
「フェルデンクライス身体訓練法」M.フェルデンクライス
安井 武 訳 大和書房より
◎能力と意思力
効果的に体を働かすすべを心得ている人は、大した準備も大騒ぎもせずに事をやってのける。意志力の強い人は、適度の力を効率よく使う代わりに、大きな力を込めすぎるきらいがある。
もっぱら意志力に頼ると、緊張する能力ばかりを高める結果になり、エネルギーを適当に配分して方向付ければはるかに少ないエネルギーで実現できる行動に、とてつもない力を込めるのが習慣になってしまう。
この二つのやり方は、どちらもたいてい目的を達成できるけれども、後の方法は、重大な傷害の原因になることがある。動きに転化されない力は、簡単に消滅しないばかりか、分散して努力を生み出すのに使用した体の各所に傷害を引き起こす。動きに転化されないエネルギーは、体の機構の中で熱に変わり、その機構が再び効果的に活動するためには、修理を要するような変化を生み出す。
どんなことでもうまくやれた場合には、難しくは見えない。難しく見える動きは、正しく行われていないからだと言ってもさしつかえないだろう。
◎動きを理解するには緊張せずに感じ取らねばならない
学ぶには、時間、注意力、識別力が必要である。識別するには、感じ取らねばならない。要するに、学ぶためには、感覚の力を研ぎ澄まさなくてはならないのだ。ただ力だけに頼ってほとんどのことを行おうとするならば、求めているのとは全く正反対のことを実現する破目になるだろう。
行動を学ぶときには、自分の内部に生じていることに対して、自由自在に注意を向けられなくてはならない。なぜなら、そのような状態でこそ、我々の精神は明晰なものとなり、生き生きとしてコントロールしやすいものとなるのだ。そこにはもはや、力みからくる緊張というものがない。
ところが、最大限の緊張という状態で学習が行われる場合、能力はすでにその限界まで使われているので、まだ不充分だと思っても、もはや行動を速めたり、強めたり、改善したりする余地はない。そうなると、息は詰まってしまい、あるのはただ過剰な努力だけ、観察する力は皆無に近くなり、改善の期待は一切なくなってしまう。
◎識別力をみがくこと
細かい力の変化をつかむためには、力そのものがまず小さくなくてはならない。動きのコントロールを改善して、より繊細なものにすることは、感受性を強め、差異を感じ取る能力を高めることによってしか実現できない。
◎習慣の力
姿勢や動きの間違った習慣は、たとえはっきり気づいていても、改めるのは極めて難しい。欠陥そのものと、行動するときのそれの現れ方の両方を改めなくてはならないからである。根気よく何度も繰り返し、認識を充分に深めないことには、習慣を捨て去り、自分で理解したとおりに動けるようになることはできない。
いつも腹部と骨盤を前へ突き出しすぎていて、その結果、頭が後ろへ傾いている人は、背骨のそりがきつくなりすぎているので、良い姿勢をしているとはいえない。そこで頭を前に起こし、骨盤を後ろへ引くとすると、今度は頭を前へ傾けすぎ、骨盤を後ろへ引きすぎているような感じをもつだろう。その結果、すぐさまいつもの姿勢に舞い戻ってしまうことになるだろう。
だから、感覚だけに頼って習慣を変えることは不可能である。意識的な内的努力を重ね、調整された姿勢が不自然な感じでなくなり、それが新しい習慣になるようにしなければならない。習慣を変えるのは、思ったよりも遙かに難しく、その努力を試みた人ならば、だれでも身に覚えがあるはずだ。
◎練習中の呼吸のリズム
レッスンを正しく行った場合は、熟睡した後や、休息を取った後のように、新鮮な気持ちがし、解放感を味わうはずである。そうならないとすれば、おそらく動きを急いでやりすぎて、呼吸に注意を払わなかったからなのだ。
練習の速度は、つねに呼吸のリズムに一致させなくてはならない。体の調整ができあがると、呼吸は自動的にさまざまな動きに対して適合するものである。
◎骨格・筋肉・重力
骨格構造が引力に抗って働き、筋肉がいつでも動けるように自由になっていればいいのだ。そのように、神経系と筋肉骨格組織が重力の作用のもとでひとつになって働けば、骨格は引力の影響にもかかわらずエネルギーを浪費せずに体を支えられることになるのである。
ところが、もしも筋肉が骨格の代わりを努めねばならなくなると、無駄なエネルギーを使うことになるばかりか、体の姿勢を変える、つまり動くという筋肉本来の主要な働きを遂行する妨げとなる。
悪い姿勢では、筋肉が骨の役目の一部を努めている。姿勢をよくするためには、重力に対する神経系の反応をなにが歪めているかを発見することが重要である。生きている限り、全身体機構のあらゆる部分が、重力に対して適合しなくてはならないからである。
◎選択することがないと緊張は習慣に変わる
どのような行動であっても、不必要な努力を注いでいる限り、人は身を守ることを忘れ、快くも楽しくもなく、気の進まない大きな困難に立ち向かわなくてはならない。努力することが必要か否かを選択する力がないと、行動が習慣に変わってしまい、ついには、自分の慣れ親しんだ行動がたとえ理性や必然性に背くものだとしても、それだけが自然なものに思えるようになってしまう。
習慣は一つの行動に固執しやすいものであり、したがって一般にきわめて貴重なものでもある。しかしながら、我々は習慣に溺れすぎるきらいがあり、そのため自己批判の声はおさえられ、識別能力は弱められてしまい、我々は次第に考えずに動く機械と化してしまうのである。
◎改善に限界はない
個人が自己開発を進めれば進めるだけ、その行動は楽なものになる。楽な行動とは、感覚と筋肉が調和をもって調整されることである。行動が緊張と無駄な努力から解放されると、楽に行動できるようになるので、感受性と識別力が高まるが、そのことがまた一層行動を楽にしてくれる。
そうすると、それまで自分には楽に出来ると思っていた行動の中にさえ、不必要な努力があるのを見抜くことが出来るようになる。行動におけるこのような感受性は、さらに磨き上げると、ますます精妙になり、ついに一定の水準まで高まる。そしてこの線を越えるためには、全人格構成を改善しなくてはならなくなる。しかしこの段階になると、そこから先への前進は、ゆっくりと少しずつではなくて、突然の飛躍によって達成される。行動ははるかに楽になり、新たなる地平線をもった未知の質を獲得する。
◎きつい仕事には大きい筋肉を使う
効果的な動きをするためには、体を動かすのがつらい仕事は、その目的のためにつくられた筋肉に任せなくてはならない。
注意深く観察すれば、一番強くて大きい筋肉は、骨盤につながっているのが分かるだろう。ほとんどの仕事は、これらの筋肉、とくに臀部、大腿部、下腹部の筋肉が行う。体の中心部から四肢の方へ移るにつれて、筋肉は次第に小さくなる。四肢の筋肉の役目は、四肢の動きを正確に方向づけることであるが、骨盤の筋肉の主要な力は、四肢の骨格を伝わり、作用する地点まで到達する。
体が良く調整されていれば、大きい筋肉の行う仕事は、骨格を伝わり、弱い筋肉の助けをえて、最終目的地点まで到達するが、その途中でほとんど力を失うことがない。
◎理想的な動作の通路を開く
ある姿勢から別の姿勢に動く~座っていて立ち上がるとか、寝ていて座るとか~ときに、骨盤にとって理想的な動作の筋道は、筋肉が一切なくて骨が靱帯だけでつながっていると仮定した場合に取るような動きの線である。最短距離の最も効率の良い道を通って床から立ち上がるためには、頭部を引っ張り上げた場合に骨格組織が描く道を、全身の骨が通過できるように体が調整されていなくてはならない。この道を通る限り、筋肉の力は、骨格の中を伝わり、骨盤筋の力はすべて有効な仕事に変化する。
◎不必要な努力は体を短縮させる
ほとんどあらゆる場合に、筋肉に残る余分の緊張は、背骨を短縮させる原因となる。動作につきまとう不必要な努力は、体を縮小させることになりやすい。ある程度の困難が予想されるような動作に取りかかる際には常に、その困難に対する防衛手段として体が縮こまる。まさに体のこの硬化反応こそ、不必要な努力が生ずる原因であり、体を動作のために正しく組織するのを妨げるものである。能力の限界を拡げるためには、執拗な努力を重ねたり、体をかばおうとしたりすべきではなく。探求と理解の力によらなくてはならない。
#楽隠居です
センタリング呼吸法の『心と身体のセンタリング』という言葉の原点は、フェルデンクライス身体訓練法の『からだからこころをひらく』という題名にあります。
ですから、合気観照塾も呼吸法中心塾も基本原理はフェルデンクライス身体訓練法的なやりかたをしているかもしれないと考えています。
仮想対談で、殆どはすでに紹介済みですが、纏めて載せておきました。
参照1:センタリング呼吸法
「センタリング呼吸法」は治療法ではなく、『センタリング』が出来てくると、自然に健康を保て、精神的にも安定してくるのだと考えています。自分の現状を認識し、無意識に行っている動作や姿勢の癖に気づき、それを確認しながら自分で修正する為の、ユニークなボディ・ワークなのです。
呼吸することで、身体のバランスを確認し
呼吸に合わせた動きを誘導し
呼吸で心と身体をリラックスさせます。
深く静かな呼吸が出来るようになったことを感じられると
呼吸で身体を内部から動かすことができる事に気づきます。
そして、体幹からつながりを保った動作が
自然にできるようになります。
参照2:自己修練
最高の治療家は、癒そうと企てないと私は信じている。癒しは治療される側にあるのだ。むしろ治療家は、病んだ場が変化するよう促し、強く光り輝く完全な場を現すために、ポジティブで啓発的な外見を表現することを意図している。
☆リンク先で更新された記事
◆自分の変化を待てない=相手の変化も待てない
安井 武 訳 大和書房より
◎能力と意思力
効果的に体を働かすすべを心得ている人は、大した準備も大騒ぎもせずに事をやってのける。意志力の強い人は、適度の力を効率よく使う代わりに、大きな力を込めすぎるきらいがある。
もっぱら意志力に頼ると、緊張する能力ばかりを高める結果になり、エネルギーを適当に配分して方向付ければはるかに少ないエネルギーで実現できる行動に、とてつもない力を込めるのが習慣になってしまう。
この二つのやり方は、どちらもたいてい目的を達成できるけれども、後の方法は、重大な傷害の原因になることがある。動きに転化されない力は、簡単に消滅しないばかりか、分散して努力を生み出すのに使用した体の各所に傷害を引き起こす。動きに転化されないエネルギーは、体の機構の中で熱に変わり、その機構が再び効果的に活動するためには、修理を要するような変化を生み出す。
どんなことでもうまくやれた場合には、難しくは見えない。難しく見える動きは、正しく行われていないからだと言ってもさしつかえないだろう。
◎動きを理解するには緊張せずに感じ取らねばならない
学ぶには、時間、注意力、識別力が必要である。識別するには、感じ取らねばならない。要するに、学ぶためには、感覚の力を研ぎ澄まさなくてはならないのだ。ただ力だけに頼ってほとんどのことを行おうとするならば、求めているのとは全く正反対のことを実現する破目になるだろう。
行動を学ぶときには、自分の内部に生じていることに対して、自由自在に注意を向けられなくてはならない。なぜなら、そのような状態でこそ、我々の精神は明晰なものとなり、生き生きとしてコントロールしやすいものとなるのだ。そこにはもはや、力みからくる緊張というものがない。
ところが、最大限の緊張という状態で学習が行われる場合、能力はすでにその限界まで使われているので、まだ不充分だと思っても、もはや行動を速めたり、強めたり、改善したりする余地はない。そうなると、息は詰まってしまい、あるのはただ過剰な努力だけ、観察する力は皆無に近くなり、改善の期待は一切なくなってしまう。
◎識別力をみがくこと
細かい力の変化をつかむためには、力そのものがまず小さくなくてはならない。動きのコントロールを改善して、より繊細なものにすることは、感受性を強め、差異を感じ取る能力を高めることによってしか実現できない。
◎習慣の力
姿勢や動きの間違った習慣は、たとえはっきり気づいていても、改めるのは極めて難しい。欠陥そのものと、行動するときのそれの現れ方の両方を改めなくてはならないからである。根気よく何度も繰り返し、認識を充分に深めないことには、習慣を捨て去り、自分で理解したとおりに動けるようになることはできない。
いつも腹部と骨盤を前へ突き出しすぎていて、その結果、頭が後ろへ傾いている人は、背骨のそりがきつくなりすぎているので、良い姿勢をしているとはいえない。そこで頭を前に起こし、骨盤を後ろへ引くとすると、今度は頭を前へ傾けすぎ、骨盤を後ろへ引きすぎているような感じをもつだろう。その結果、すぐさまいつもの姿勢に舞い戻ってしまうことになるだろう。
だから、感覚だけに頼って習慣を変えることは不可能である。意識的な内的努力を重ね、調整された姿勢が不自然な感じでなくなり、それが新しい習慣になるようにしなければならない。習慣を変えるのは、思ったよりも遙かに難しく、その努力を試みた人ならば、だれでも身に覚えがあるはずだ。
◎練習中の呼吸のリズム
レッスンを正しく行った場合は、熟睡した後や、休息を取った後のように、新鮮な気持ちがし、解放感を味わうはずである。そうならないとすれば、おそらく動きを急いでやりすぎて、呼吸に注意を払わなかったからなのだ。
練習の速度は、つねに呼吸のリズムに一致させなくてはならない。体の調整ができあがると、呼吸は自動的にさまざまな動きに対して適合するものである。
◎骨格・筋肉・重力
骨格構造が引力に抗って働き、筋肉がいつでも動けるように自由になっていればいいのだ。そのように、神経系と筋肉骨格組織が重力の作用のもとでひとつになって働けば、骨格は引力の影響にもかかわらずエネルギーを浪費せずに体を支えられることになるのである。
ところが、もしも筋肉が骨格の代わりを努めねばならなくなると、無駄なエネルギーを使うことになるばかりか、体の姿勢を変える、つまり動くという筋肉本来の主要な働きを遂行する妨げとなる。
悪い姿勢では、筋肉が骨の役目の一部を努めている。姿勢をよくするためには、重力に対する神経系の反応をなにが歪めているかを発見することが重要である。生きている限り、全身体機構のあらゆる部分が、重力に対して適合しなくてはならないからである。
◎選択することがないと緊張は習慣に変わる
どのような行動であっても、不必要な努力を注いでいる限り、人は身を守ることを忘れ、快くも楽しくもなく、気の進まない大きな困難に立ち向かわなくてはならない。努力することが必要か否かを選択する力がないと、行動が習慣に変わってしまい、ついには、自分の慣れ親しんだ行動がたとえ理性や必然性に背くものだとしても、それだけが自然なものに思えるようになってしまう。
習慣は一つの行動に固執しやすいものであり、したがって一般にきわめて貴重なものでもある。しかしながら、我々は習慣に溺れすぎるきらいがあり、そのため自己批判の声はおさえられ、識別能力は弱められてしまい、我々は次第に考えずに動く機械と化してしまうのである。
◎改善に限界はない
個人が自己開発を進めれば進めるだけ、その行動は楽なものになる。楽な行動とは、感覚と筋肉が調和をもって調整されることである。行動が緊張と無駄な努力から解放されると、楽に行動できるようになるので、感受性と識別力が高まるが、そのことがまた一層行動を楽にしてくれる。
そうすると、それまで自分には楽に出来ると思っていた行動の中にさえ、不必要な努力があるのを見抜くことが出来るようになる。行動におけるこのような感受性は、さらに磨き上げると、ますます精妙になり、ついに一定の水準まで高まる。そしてこの線を越えるためには、全人格構成を改善しなくてはならなくなる。しかしこの段階になると、そこから先への前進は、ゆっくりと少しずつではなくて、突然の飛躍によって達成される。行動ははるかに楽になり、新たなる地平線をもった未知の質を獲得する。
◎きつい仕事には大きい筋肉を使う
効果的な動きをするためには、体を動かすのがつらい仕事は、その目的のためにつくられた筋肉に任せなくてはならない。
注意深く観察すれば、一番強くて大きい筋肉は、骨盤につながっているのが分かるだろう。ほとんどの仕事は、これらの筋肉、とくに臀部、大腿部、下腹部の筋肉が行う。体の中心部から四肢の方へ移るにつれて、筋肉は次第に小さくなる。四肢の筋肉の役目は、四肢の動きを正確に方向づけることであるが、骨盤の筋肉の主要な力は、四肢の骨格を伝わり、作用する地点まで到達する。
体が良く調整されていれば、大きい筋肉の行う仕事は、骨格を伝わり、弱い筋肉の助けをえて、最終目的地点まで到達するが、その途中でほとんど力を失うことがない。
◎理想的な動作の通路を開く
ある姿勢から別の姿勢に動く~座っていて立ち上がるとか、寝ていて座るとか~ときに、骨盤にとって理想的な動作の筋道は、筋肉が一切なくて骨が靱帯だけでつながっていると仮定した場合に取るような動きの線である。最短距離の最も効率の良い道を通って床から立ち上がるためには、頭部を引っ張り上げた場合に骨格組織が描く道を、全身の骨が通過できるように体が調整されていなくてはならない。この道を通る限り、筋肉の力は、骨格の中を伝わり、骨盤筋の力はすべて有効な仕事に変化する。
◎不必要な努力は体を短縮させる
ほとんどあらゆる場合に、筋肉に残る余分の緊張は、背骨を短縮させる原因となる。動作につきまとう不必要な努力は、体を縮小させることになりやすい。ある程度の困難が予想されるような動作に取りかかる際には常に、その困難に対する防衛手段として体が縮こまる。まさに体のこの硬化反応こそ、不必要な努力が生ずる原因であり、体を動作のために正しく組織するのを妨げるものである。能力の限界を拡げるためには、執拗な努力を重ねたり、体をかばおうとしたりすべきではなく。探求と理解の力によらなくてはならない。
#楽隠居です
センタリング呼吸法の『心と身体のセンタリング』という言葉の原点は、フェルデンクライス身体訓練法の『からだからこころをひらく』という題名にあります。
ですから、合気観照塾も呼吸法中心塾も基本原理はフェルデンクライス身体訓練法的なやりかたをしているかもしれないと考えています。
仮想対談で、殆どはすでに紹介済みですが、纏めて載せておきました。
参照1:センタリング呼吸法
「センタリング呼吸法」は治療法ではなく、『センタリング』が出来てくると、自然に健康を保て、精神的にも安定してくるのだと考えています。自分の現状を認識し、無意識に行っている動作や姿勢の癖に気づき、それを確認しながら自分で修正する為の、ユニークなボディ・ワークなのです。
呼吸することで、身体のバランスを確認し
呼吸に合わせた動きを誘導し
呼吸で心と身体をリラックスさせます。
深く静かな呼吸が出来るようになったことを感じられると
呼吸で身体を内部から動かすことができる事に気づきます。
そして、体幹からつながりを保った動作が
自然にできるようになります。
参照2:自己修練
最高の治療家は、癒そうと企てないと私は信じている。癒しは治療される側にあるのだ。むしろ治療家は、病んだ場が変化するよう促し、強く光り輝く完全な場を現すために、ポジティブで啓発的な外見を表現することを意図している。
☆リンク先で更新された記事
◆自分の変化を待てない=相手の変化も待てない
by centeringkokyu
| 2016-03-22 00:03
| フェルデンクライス関連