2015年 07月 26日
形の心を開拓する |
☆リンク先で更新された記事
(感想)
東雲道場に入門して、最初に驚いたのが、この付ける打ち → 接点を介して押し崩す技でした。
相手を崩す力がどこから湧いてくるのか、分らないまま 常に道場の羽目板にぶつかっていました。
今回、付ける打ちの角度、圧力を変えずに相手に入っていく、鉄球運びの歩法、相手をいかにギリギリまで動かさないか、等を学び、ようやく疑問が解けた思いです。1年半かかりました。
(滋賀から参加の初心者)
世話役です。
自分の力では何も出来ないという起点に立つと、いろんなことが分かってくるかも知れないです。
私は、体を変えれば脳が変わると思っています。
体の使い方を変えれば、脳の使い方も変わると思っています。
#楽隠居です
度々の引用で恐縮ですが
・「外的筋肉」は、〝脳→からだ"という経路をもっています。例えば、あなたが右腕を曲げるときには、あなたの脳が右腕を曲げろと命令を下し、その指令が神経を通して筋肉に伝達され、筋肉が収縮して右腕が曲げられるわけです。
それに対して「内的筋肉」は、まったく逆の、〝からだ→脳"という経路をもっていて、その情報からさらに自律的に調整する働き、つまり〝脳→からだ"という経路ももっていると考えられるのです。
・この経路が胃や心臓のように自律的に働いているものだと考えれば、ランドーン博士が「内的筋肉」は自分の意志ではどうにもならないものだと言った理由が説明できます。
また、「しないこと」のトレーニングによって、「内的筋肉」の自律的な働きを邪魔する固定された観念や身体感覚から自由になれば、自然な秩序が起こってくるということも納得がいきます。
==============
ということは、形を習う時に、何を習うのかということになりますし、多人数を一度に教えるメリットとデメリットは?
級や段を与えるというのは、やる気を出させて継続させる為以外に、どういう目的があるのか?
昇級・昇段の根拠は?
免状は、何の役に立つのか?
自分の意志ではどうにもならない「内的筋肉」は、どうやって制御すればいいのか?
そして、『「しないこと」のトレーニング』を教えるというのは、どうすればいいのか?
ひょっとすると『体を変えれば脳が変わる。体の使い方を変えれば、脳の使い方も変わる。』ということかもしれませんね。
やっぱり私には、何も教えることはないのでしょうね!
参照1:風声明語2
・意志は、体に対して脈一つ多くすることもできなければ、涙一滴流させる働きも持たない無力なものであるが、空想すれば血行を変え、涙を出し、胃液を分泌し、体中の働きをいろいろと方向づけることができる。
・上達の為に為すことは、心を練り新しく創り出す力を逞しく育てることが第一。その為の手段として先人の残した形から、その心を会し、自分の心をもって、その形の心を開拓することがその道である。
形を変え、新たな形式を創り出すことは、必ずしも上達への道ではないということを、はっきり知らねばならぬ。
形は心によって自ずから変わる可きであって、頭の工夫で変えるべきではない。
参照3:独自のやり方を改良できる人
by centeringkokyu
| 2015-07-26 00:03
| リンク先記事