2015年 02月 15日
独自の道 |
今日は、長堀教室に出発する前に日曜美術館をみました。
独特の書体で、心に響くことばを創り続けた、相田みつを(1924~1991)。60歳のときに出版した初めての著書「にんげんだもの」は、初版から30年を迎える現在も、多くの人に深い感銘を与えている。ところが、その創作活動は、葛藤の連続だった。
栃木県足利市に生まれ、19歳から書を習い始めたみつを。着実に伝統的な書の技法を習得していくが、その一方で、"現代には現代の書をかかなければならない"という思いが強くなってゆく。ろうけつ染めを用いた前衛書や詩文書などに挑戦。高い評価を得る。
そして、書への探求心は強くなるばかり。作者の思いや感動を伝えるにはどうしたらいいのか。たどり着いたのが、"自分のことばをじぶんの書で伝える"ということだった。みつをは、書壇を離れ、独自の道を歩み始める。自分と向き合って、素直な自分をさらけ出し、そのときの思いを筆に込め、生涯、みずからの理想の書を追い求め続けた。
相田みつをにひかれている人たちのインタビューを交え、書の魅力を紹介。"ことば"と"書"を融合させた、独自の作品世界に迫っていく。
参照1:自得して忘れず
参照2:メタモルフォーゼ
参照3:ゼロ化する
・書画同時、書をかくことは自分を正す事である。
・上手でも下手でも字を生かす道は一つである。筆端に気力を集中するというただ一つのことである。
・若いときの勉強は、何でもとりいれ貯めることである。老年の仕事は、いらないものをすててゆくことである。すて去りすて去りして、純粋になってゆくことである。
・私は自分の力というものの限定をしない。限定したらそれ迄で止まる。やって見なければわからない。そう思って来た。
・書をかいている気持はすきだ。うまいまずいはどうでもよい。
・書は誰でも書ける。その人の力量だけのものは書ける。
・蟹ののような字を書く先生の弟子はみな蟹のような字を書き、柳のような字をかく先生の弟子は柳のような字を書く。みな字を書けるようになったが、目は盲にされてしまう。技術は教えられるが、芸術というものは教えられないものだ。先生に頼るということは先生の眼鏡をかけて物事をみることだ。自分の眼で見ることを忘れてしまうことだ。
・筆法を如何に習ったとて、それ自身はばらばらのものである。息を吹き込まれて、それで生き出すのである。
by centeringkokyu
| 2015-02-15 22:27
| 日常