2005年 06月 23日
不貞寝抄 6/22 |
「六合」について・・・心身活動の相対的システム論
Uさんの「三合」記事を拝読致しまして、私の学んだ「六合」について少し振り返ってみたくなりました。
何分、20数年分からなかった事をつい最近、実感出来てきたに過ぎず、当然、未だ不明な所もあり、そこは「?」で表現させて頂きます。
「六合」は心身活動の「相対的システム論」であり「内三合」と「外三合」より成り立っています。
「内三合」は「心と意と気」、「外三合」は「手と足・肘と膝・肩と股関節」の統合の状態を指し、「陰主陽従」よろしく「内主外従」の関係を持っています。
この「内三合」と言うものが比較的皆さんに分かり難いと思いますので、私なりの解釈でご説明しますと・・・例えば、「何かしよう」と思った時、その「動機」「心」、
行動に移す「意識」を「意」、その意識が導く「神経や内的働き」が「気」となり、これら人間にとっての「内的」な連携や循環、相対関係を「内三合」と称した様です。
こう捉えますと、「正体術矯正法」や「霊術」、「生気自強療法の神経訓練法」等に通じる部分を見出す事が出来ます。
実際、この「六合」の原初の形は「洗髄経」と言う中国の「神経訓練法?」を元に構成された様です。
他、この様なシステム論には「太極(拳)」や「八卦(掌)」がありますが、これらが目指す最終段階の「宇宙的バランス」を称しているのに対し、「六合」はその起点となる「自分=小宇宙の統合」を称している所にその特徴を見る事が出来ます(「合気」と「夢想願立」等なんかはどうなんでしょうね?)。
そして「六合」は「十干十二支」と結びついて行く事になります。
具体的に、古人は自然の持つ宇宙的な力を取り入れる為、三才(天・地・人)の関係に注目し、「天」と「地」にある動物の中から優れた十体選び出し、多分、これを「十
干」として自らの「六合」に加え、「天・地・人の合一」から「宇宙的バランス」の体現を目指した様に思います。
この際、ただ「十干」の形態模写をするのでなく、その「十干」を「内三合」レベルから再生表現する事により、「脳レベル」からその動物になって行きます。
人間の旧皮質や脳幹に働き掛ける事になり、人間の持つ「動物脳」が「十干」反応して覚醒する訳です。
この原理を利用し、動物の生命力を活用し「養生」を図ったのが華陀の「五禽戯」です。今で言う「イメージトレーニング」の走りでしょうが、その原理と意味が違うと思います。
ちなみに、「五禽戯」はその原理に「五行説」を用い、「五匹の禽獣」を採用したので「五」です。
さて、「五行説」と言えば・・・戦後、日本において、その身体能力や文化が衰退したのと同じく、「六合」も時代を経るとそれを表現する人の身体能力が衰退し始めました。
そこで、この「六合」の働きのエッセンスや原理を纏め、これを「陰陽五行説」で整理した「形意」と言う概念が出て来ました。
そして、「神経訓練法・フェルデンクライス的訓練法的側面」を「形意」、「五禽戯的側面」を「形態」とし、「形態・形意を以てこれをおこなう」形で整理していきました。
ちなみに「十干」であった動物が「十二支」になりました。この辺は、正経十二経絡の数と合わせたのか?・・・どう言う事情かは私には分かりません。
ただ、「五臓六腑」や「十二経絡」、「五行の色体図」・・・等々が導入されている様に見えます。
その辺は、今度、「陰陽五行説」等を機会が有ればU野さんに伺って、より深く考察してみたいと思います。
その後、「形はあくまで自らの内にある相対のバランスに他ならない」と言う視点から「意念」と言う「内三合からの統合」を深く推し進めたものが現れました。
これはもう内容的に「霊術」や「ボディーワーク」と全く変わりません。
そして・・・そのバックグラウンドにある思想に「重力」や「身体力学」、「生理
学」的なものも加わってきました(経絡的にも原初的な「奇経八脈」に働き掛ける内容である気がします)。
不思議とその時代背景的が古今東西「霊術やボディーワーク」が百花繚乱した時でもあります。
等々・・・それが何なんだ!と言われそうですが、ふと書いてみました。
多分、皆さんのやっておられる事や生活にも色々のシステム、古人の工夫の変遷があるはずです。
それを辿って行くと、今まで見えていなかったものや他との共通性が見えてくるかも知れません。
Uさんの「三合」記事を拝読致しまして、私の学んだ「六合」について少し振り返ってみたくなりました。
何分、20数年分からなかった事をつい最近、実感出来てきたに過ぎず、当然、未だ不明な所もあり、そこは「?」で表現させて頂きます。
「六合」は心身活動の「相対的システム論」であり「内三合」と「外三合」より成り立っています。
「内三合」は「心と意と気」、「外三合」は「手と足・肘と膝・肩と股関節」の統合の状態を指し、「陰主陽従」よろしく「内主外従」の関係を持っています。
この「内三合」と言うものが比較的皆さんに分かり難いと思いますので、私なりの解釈でご説明しますと・・・例えば、「何かしよう」と思った時、その「動機」「心」、
行動に移す「意識」を「意」、その意識が導く「神経や内的働き」が「気」となり、これら人間にとっての「内的」な連携や循環、相対関係を「内三合」と称した様です。
こう捉えますと、「正体術矯正法」や「霊術」、「生気自強療法の神経訓練法」等に通じる部分を見出す事が出来ます。
実際、この「六合」の原初の形は「洗髄経」と言う中国の「神経訓練法?」を元に構成された様です。
他、この様なシステム論には「太極(拳)」や「八卦(掌)」がありますが、これらが目指す最終段階の「宇宙的バランス」を称しているのに対し、「六合」はその起点となる「自分=小宇宙の統合」を称している所にその特徴を見る事が出来ます(「合気」と「夢想願立」等なんかはどうなんでしょうね?)。
そして「六合」は「十干十二支」と結びついて行く事になります。
具体的に、古人は自然の持つ宇宙的な力を取り入れる為、三才(天・地・人)の関係に注目し、「天」と「地」にある動物の中から優れた十体選び出し、多分、これを「十
干」として自らの「六合」に加え、「天・地・人の合一」から「宇宙的バランス」の体現を目指した様に思います。
この際、ただ「十干」の形態模写をするのでなく、その「十干」を「内三合」レベルから再生表現する事により、「脳レベル」からその動物になって行きます。
人間の旧皮質や脳幹に働き掛ける事になり、人間の持つ「動物脳」が「十干」反応して覚醒する訳です。
この原理を利用し、動物の生命力を活用し「養生」を図ったのが華陀の「五禽戯」です。今で言う「イメージトレーニング」の走りでしょうが、その原理と意味が違うと思います。
ちなみに、「五禽戯」はその原理に「五行説」を用い、「五匹の禽獣」を採用したので「五」です。
さて、「五行説」と言えば・・・戦後、日本において、その身体能力や文化が衰退したのと同じく、「六合」も時代を経るとそれを表現する人の身体能力が衰退し始めました。
そこで、この「六合」の働きのエッセンスや原理を纏め、これを「陰陽五行説」で整理した「形意」と言う概念が出て来ました。
そして、「神経訓練法・フェルデンクライス的訓練法的側面」を「形意」、「五禽戯的側面」を「形態」とし、「形態・形意を以てこれをおこなう」形で整理していきました。
ちなみに「十干」であった動物が「十二支」になりました。この辺は、正経十二経絡の数と合わせたのか?・・・どう言う事情かは私には分かりません。
ただ、「五臓六腑」や「十二経絡」、「五行の色体図」・・・等々が導入されている様に見えます。
その辺は、今度、「陰陽五行説」等を機会が有ればU野さんに伺って、より深く考察してみたいと思います。
その後、「形はあくまで自らの内にある相対のバランスに他ならない」と言う視点から「意念」と言う「内三合からの統合」を深く推し進めたものが現れました。
これはもう内容的に「霊術」や「ボディーワーク」と全く変わりません。
そして・・・そのバックグラウンドにある思想に「重力」や「身体力学」、「生理
学」的なものも加わってきました(経絡的にも原初的な「奇経八脈」に働き掛ける内容である気がします)。
不思議とその時代背景的が古今東西「霊術やボディーワーク」が百花繚乱した時でもあります。
等々・・・それが何なんだ!と言われそうですが、ふと書いてみました。
多分、皆さんのやっておられる事や生活にも色々のシステム、古人の工夫の変遷があるはずです。
それを辿って行くと、今まで見えていなかったものや他との共通性が見えてくるかも知れません。
by centeringkokyu
| 2005-06-23 20:56
| ネコ殿