2005年 05月 23日
経絡体操 |
イメージ健康体操 増永静人著から抜粋してご紹介します。
移精変気の法
基本体操のスジのツレ、すなわち気のとどこおりを抜くための呼吸の仕方、また補助体操による気の抜き方、あるいは職場体操よってその気を動かす、といったコツを教えてきました。これも気のめぐりをよくする一つの方法なのですが、これから行なうタイプ別体操では、東洋医学の秘法ともいえる(虚実)による移精変気の方法をお教えしようと思います。
タイプ別体操で、やりにくい体操、スジがツレて苦しい時、この姿勢をムリにとろうとしないことは、基本体操やその他のイメージ体操と同じです。ヨガや他の体操指導でも、そのことは注意していますが、ではどうすればそれができるようになるか教えていません。自然とやれるようになるまで、ただくり返すだけでは、なかなか進歩がないので、ついムリをしてかえって身体を痛めている例が多いようです。
やりにくい姿勢やスジのツレ、筋肉のコワバリ、不愉快な症状、身体の重い感じなどというのは、東洋医学では「実」といいます。実とはり(ウカンムリ)の家の中に、貫(もの)がいっぱいつまっている、という意味で、このため重く動きが悪いのです。実は瀉すといって、これを写(うつす)→移すことが必要なのです。どうすれば、その実が移って、気の流れがよくなるかといえば「気を変える」ことなのです。よく「気分を変えて」というように全く違った方向に気をもっていくと、気のつまり、こだわりがとれやすいのですが、つい私達は症状のあるところ、気になるところにとらわれて、そこにこだわりやすいのです。気にするな、といわれればいわれるほど、つい意識がそこにいってしまうわけです。「できなければムリしなくてもよい」といわれても、「できないものをそのままにしておくと、気がかりで、落着けない」のが人情です。
「眠れないときは眠ろうとしないで、眠れないままにしておきなさい」といわれても、不眠症の人がそれで納得して眠れるようになるでしょうか。眠ろうとするのも意識ですし、眠ろうとしないで、というのも意識です。そのように眠るということに意識がかかわっている限り意識があるから眠れないのです。
気がつまっているのを気にしている限り、気のつまりはとれないので、その気をどうして抜くかをはっきり示さないと駄目でしょう。
気分を変えるには、全く別のことをするのが一番です。だから仕事の後には遊ぶのですが、遊ぶとは「仕事をしない」ことなので、「遊ばなくてはいけない」と思えば、それは遊びでなくなってしまいます。
意識しない、とは意識のない所へ気をもっていくことです。そのない所を「実」に対して「虚」というのです。虚とは見えないもので、手にとれないものです。そこに気がないから、気が移っていけるわけです。どうも最近の東洋医学では、虚実補瀉ということを口にしながら、この虚が本当にわかっていないようです。虚を補う、ところに東洋医学の本質があり、その効果の神秘さもここから生まれます。これは実地に、自分でつかんでみないと、これが虚だ、と言葉で教えることができにくいのですが、一応その概略をのべておきます。
※管理人です
本当に素晴らしい本だと思います。左のページには概略をまとめ、右のページで詳しく解説されています。実際に動きながら、自分で検証できる本です。
参照1:指圧事始め
参照2:経絡指圧の理論と実際
参照3:部分と全体
参照4:動作のイメージ
参照5:体操とは生き方の反省である
移精変気の法
基本体操のスジのツレ、すなわち気のとどこおりを抜くための呼吸の仕方、また補助体操による気の抜き方、あるいは職場体操よってその気を動かす、といったコツを教えてきました。これも気のめぐりをよくする一つの方法なのですが、これから行なうタイプ別体操では、東洋医学の秘法ともいえる(虚実)による移精変気の方法をお教えしようと思います。
タイプ別体操で、やりにくい体操、スジがツレて苦しい時、この姿勢をムリにとろうとしないことは、基本体操やその他のイメージ体操と同じです。ヨガや他の体操指導でも、そのことは注意していますが、ではどうすればそれができるようになるか教えていません。自然とやれるようになるまで、ただくり返すだけでは、なかなか進歩がないので、ついムリをしてかえって身体を痛めている例が多いようです。
やりにくい姿勢やスジのツレ、筋肉のコワバリ、不愉快な症状、身体の重い感じなどというのは、東洋医学では「実」といいます。実とはり(ウカンムリ)の家の中に、貫(もの)がいっぱいつまっている、という意味で、このため重く動きが悪いのです。実は瀉すといって、これを写(うつす)→移すことが必要なのです。どうすれば、その実が移って、気の流れがよくなるかといえば「気を変える」ことなのです。よく「気分を変えて」というように全く違った方向に気をもっていくと、気のつまり、こだわりがとれやすいのですが、つい私達は症状のあるところ、気になるところにとらわれて、そこにこだわりやすいのです。気にするな、といわれればいわれるほど、つい意識がそこにいってしまうわけです。「できなければムリしなくてもよい」といわれても、「できないものをそのままにしておくと、気がかりで、落着けない」のが人情です。
「眠れないときは眠ろうとしないで、眠れないままにしておきなさい」といわれても、不眠症の人がそれで納得して眠れるようになるでしょうか。眠ろうとするのも意識ですし、眠ろうとしないで、というのも意識です。そのように眠るということに意識がかかわっている限り意識があるから眠れないのです。
気がつまっているのを気にしている限り、気のつまりはとれないので、その気をどうして抜くかをはっきり示さないと駄目でしょう。
気分を変えるには、全く別のことをするのが一番です。だから仕事の後には遊ぶのですが、遊ぶとは「仕事をしない」ことなので、「遊ばなくてはいけない」と思えば、それは遊びでなくなってしまいます。
意識しない、とは意識のない所へ気をもっていくことです。そのない所を「実」に対して「虚」というのです。虚とは見えないもので、手にとれないものです。そこに気がないから、気が移っていけるわけです。どうも最近の東洋医学では、虚実補瀉ということを口にしながら、この虚が本当にわかっていないようです。虚を補う、ところに東洋医学の本質があり、その効果の神秘さもここから生まれます。これは実地に、自分でつかんでみないと、これが虚だ、と言葉で教えることができにくいのですが、一応その概略をのべておきます。
※管理人です
本当に素晴らしい本だと思います。左のページには概略をまとめ、右のページで詳しく解説されています。実際に動きながら、自分で検証できる本です。
参照1:指圧事始め
参照2:経絡指圧の理論と実際
参照3:部分と全体
参照4:動作のイメージ
参照5:体操とは生き方の反省である
by centeringkokyu
| 2005-05-23 20:46
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