2011年 06月 06日
早く俺のまねをやめろ |
「良寛とこれからの書」村上三島著からご紹介します。
P8
現在でも中国には文人と称される人がいくらでもいます。それに、中国では日本ほど細分化されていないようですね。絵が描ける人はかならず書も書けなければいけないし、書を書く人は、絶対詩もつくれなくてはだめだといわれて、子どもの時分から育っている。だから何もかも同時に一緒に勉強しています。したがって、絵描きさんと話をしていても、詩の話ができます。書がいちばん得意だという人と話していても、詩の話もできるし、絵のことをきいてもちゃんとお答えくださるというふうに、非常に幅広い文墨に対する知識と経験をお持ちのかたが多い。
いっぽう今の日本には、そういう人がいなくなってしまいました。これはあらゆる分野でそうです。お医者さんだって、内科、外科、眼科といろいろある。
十年ほど前、私の家内が中国の洛陽のプラットホームで人に押されて倒れ、大腿骨を折ったことがあります。すぐ担架に乗せてもらって、担架ごと飛行機でいそいで大阪まで帰りました。そして、阪大病院に担ぎこんだんです。
そのときの阪大病院の整形外科の医長さんは―小野先生というかたで、今もいらっしゃいますけれど―首の骨が専門でした。そして、何々先生は肩の骨専門、誰々先生は股関節や腰の骨、某先生は脛の骨、またべつの先生は足首だけ。みんなちがう。みんな専門がある。同じ整形外科で手術をするんだったら、体のどこでもやってくれてよさそうなもんだけど、やはり得意なところができてしまう。
臨床例が多いってことでしょうね。腰の骨をやってる人は、腰の骨の患者がきたら、「きみやれ」と医長に言われるから、しぜんたくさんの腰の患者さんを診ることになる。足首だったらそればっかり。そうすると、だんだん上手になるから、ほかの人がやるよりもずっと手際よく立派に治るようになるわけです。
そんなわけで、外科という医学のひとつの分野のなかですら、どこをどう切るかというので、みんな先生がちがうことになる。そこまで細分化されている。
医学だけじゃありません。今の日本は何でも細分化されてます。新聞社もそうで、学芸の人に社会面のことをきいたって何も知らないし、社会部の人に学芸のことをきいても、スポーツのことをきいても知らない。スポーツはスポーツばっかり、学芸であれば、そのなかで美術は美術、音楽なら音楽、あるいは文学、みんな専門ができてしまっている。そして、その幅が狭い。狭いけれども、何とか深く深く掘りさげていこうとしているのが、今の日本の社会だと思います。
P46
私は中国語をちょっとはやります。だから、ときには四十字くらいのものをぜんぶ中国語で読んだりもします。棒読みですっと読めるし、それで意味もわかる。でも、中国語も半端でだめ。中国語をはじめたのは五十歳ですからちょっと遅い。もっと若い時分からやっていたらと思うんですけどね。
ですから、中国語を勉強されて、中国語で文章や詩を読みながら書く。これもいい。そんなことができたら、作者の感情がそのまま書になってくれるじゃないですか。さっきかなの話をしましたけれど、そのときの自分の感情をそのまま歌にする。歌にしたのをそのまま書にする。その書が本当の書です。
今の日展や読売書法展やそのはかの展覧会にたくさん書が並んでますが、書いている人間はみんなわかって書いてるんじゃない。困ったものです。わかっている人がいたら、いっぺんその人と対談してみたいけれども、わかってない。だいたい作者の気持ちがわからずにいる。そこへいくと、会津八一さんなら、自分の歌しか書きません。漢字だったら、長い文章なんて滅多に書かない。
良寛さんにいたっては、漢字を書いても、かなを書いても、ぜんぶ自分のものです。自分がつくった漢詩、自分がつくった歌です。だからはじめから歌そのものに感情が入っている。それをまた、どこにもない線で書く。これはすごいことです。やはり、そういう勉強を若い時分からして、文学も学び、かたわら書も大いに勉強する。こうあるべきだと思います。
今はあまりにも技法、技法ばっかりです。ああ書くか、こう書くか。先生がこう書いたらいいと言うから書く。また、そう書いたらおもしろく書けたから、それでいいと思う。文字をどう書くかということだけが上手になって、ほかは何にもできない。
たまたま先生のお手本を見たりして、作品に近いものができたとします。それが展覧会に入った。私は何々展に入りました。何かの賞をもらいました。それが何ですか。つまらない話です。
展覧会に入選しました、賞をもらいました、そんなのは何にもなりません。本当の書の道からいったら、それこそ何もいいことでない。借りものばかりでできているんですから、その人のものじゃない。
これではどうしてもぐあいが悪いのです。自分のこころが生んだもの、自分の体がつくったもの、それが本物です。これから書を勉強するとしましょう。書だけでなく、いろんなことをなさっていいと思いますが、それを自分の感性で感じ、それによって啓発され、いろいろな思いが集まって何かが生まれ、それが作品になる。かたちのあるものになる。何でも構いません。自分のものであればいい。はじめから自分のこころがあらわれている、こころがこもっている、そういうものができたら、それはみんな本物です。そうでないと偽物というか、いい加減なものです。影法師みたいなものであって、そんなものだめです。
P136
川口 それが良寛の書の線にあらわれたんでしょうか。
村上 あらわれたんでしょうけれども、それよりあの線は、ぼくからすると、ふしぎでしようがないんです。大きな謎なんです。
川口 何か手がかりはありませんか。
村上 ありません。まあ、良寛さんが古典作品の拓本ばかり習っているうちに、「こんなもんじゃない。これじゃいけない」と思って、いろいろ考えたあげくに生まれた線だとは思うんですけどね。書の歴史は中国四千五百年、日本千三百年。そのどこにもない線ができたというのは、よほどの才能と感性があってのことでしょう。人間性が豊かであり、書に対する感性があり、教養があり、世の中のすべてのいいことと悪いことを見きわめる力があり、そのうえ、ものすごく書いた。書の線というのは、その人間のあらゆるものの集合体というか総括ですからね。まねようったって、まねられるもんじゃない。
川口 でも、先生の書をまねようまねようとしてる人もいますよ。
村上 だめですよ。その人の持っているあらゆる要素の複合体なんですから。まねてできるものじゃないですよ。
川口 それでは先生、良寛をとおして、まず何を学ばなくてはならないのでしょうか。人間性でしょうか。
村上 「自分自身の書」ということでしょう。どれだけ先天的なものに恵まれているかわからないけれど、自分自身のものを書かないかぎり、本当の書とはいえない。
川口 いい師匠を見つけないといけませんね。いい加減な師匠につくと、まちがったほうへ行ってしまうことになりますから。
村上 その師匠もねえ。「上手に俺のまねをしろ」と言ってる師匠が世の中に多すぎる。「早く俺のまねをやめろ」と言える師匠でなくてはいけない。「おまえ自身のありったけのもの、総合的なものが書になる。おまえのものを創らなければ書ではない」と徹底的に、それも早い時期に教えなくてはいけない。十五年や二十年のあいだは師匠のまねになってもしかたないけれども、ある時期に達したら、自分だけのものに徹していかないといけない。
感性のいい人は下手な先生に習ってみたらいいんです。「俺の先生はだめだ。こんな先生のものをまねしたってしようがない。俺は俺の字を書かなくちゃ書でないんだ」と早く悟る。ところが上手な先生だと、非常な魅力がありますから、その虜になっちゃうんですね。そして、三十年、四十年と先生についているうちに、あまりにまねの時期が長すぎて抜けだせなくなる。それにくわえて、自分の書の完成より出世のことばかり考えていると、いつまで経っても自分の書はできない。やっぱり良寛さんの線質はどうしたらできるのかとか、どういうものであるかということに明確に答えるのはむずかしいですね。
#楽隠居です
『訃報:藤平光一さん91歳=心身統一合気道宗主5月19日、肺炎のため死去。葬儀は近親者で済ませた。』 財団法人氣の研究会が、いつのまにか無くなってしまい、藤平先生もお亡くなりになりました。寂しいことですねぇ~
参照1:合気道入門
参照2:生活の中の合気道
参照3:合気道の奥義
参照4:伝統技保存師範
参照5:舟漕ぎ運動でのテスト
参照6:先生は間違ってます
参照7:自分の身体を自分で変え 持てる能力を引き出す
参照8:引かれる力の応用
参照9:言葉では表わせぬ+α
参照10:破壊と創造
参照11:紙に字を書きたくなる
☆リンク先で更新された記事
・「期末決算」
・感想文58
・合掌の大事
・「よいものは何でも取り入れる」
・軸とベクトル
・確認不足
P8
現在でも中国には文人と称される人がいくらでもいます。それに、中国では日本ほど細分化されていないようですね。絵が描ける人はかならず書も書けなければいけないし、書を書く人は、絶対詩もつくれなくてはだめだといわれて、子どもの時分から育っている。だから何もかも同時に一緒に勉強しています。したがって、絵描きさんと話をしていても、詩の話ができます。書がいちばん得意だという人と話していても、詩の話もできるし、絵のことをきいてもちゃんとお答えくださるというふうに、非常に幅広い文墨に対する知識と経験をお持ちのかたが多い。
いっぽう今の日本には、そういう人がいなくなってしまいました。これはあらゆる分野でそうです。お医者さんだって、内科、外科、眼科といろいろある。
十年ほど前、私の家内が中国の洛陽のプラットホームで人に押されて倒れ、大腿骨を折ったことがあります。すぐ担架に乗せてもらって、担架ごと飛行機でいそいで大阪まで帰りました。そして、阪大病院に担ぎこんだんです。
そのときの阪大病院の整形外科の医長さんは―小野先生というかたで、今もいらっしゃいますけれど―首の骨が専門でした。そして、何々先生は肩の骨専門、誰々先生は股関節や腰の骨、某先生は脛の骨、またべつの先生は足首だけ。みんなちがう。みんな専門がある。同じ整形外科で手術をするんだったら、体のどこでもやってくれてよさそうなもんだけど、やはり得意なところができてしまう。
臨床例が多いってことでしょうね。腰の骨をやってる人は、腰の骨の患者がきたら、「きみやれ」と医長に言われるから、しぜんたくさんの腰の患者さんを診ることになる。足首だったらそればっかり。そうすると、だんだん上手になるから、ほかの人がやるよりもずっと手際よく立派に治るようになるわけです。
そんなわけで、外科という医学のひとつの分野のなかですら、どこをどう切るかというので、みんな先生がちがうことになる。そこまで細分化されている。
医学だけじゃありません。今の日本は何でも細分化されてます。新聞社もそうで、学芸の人に社会面のことをきいたって何も知らないし、社会部の人に学芸のことをきいても、スポーツのことをきいても知らない。スポーツはスポーツばっかり、学芸であれば、そのなかで美術は美術、音楽なら音楽、あるいは文学、みんな専門ができてしまっている。そして、その幅が狭い。狭いけれども、何とか深く深く掘りさげていこうとしているのが、今の日本の社会だと思います。
P46
私は中国語をちょっとはやります。だから、ときには四十字くらいのものをぜんぶ中国語で読んだりもします。棒読みですっと読めるし、それで意味もわかる。でも、中国語も半端でだめ。中国語をはじめたのは五十歳ですからちょっと遅い。もっと若い時分からやっていたらと思うんですけどね。
ですから、中国語を勉強されて、中国語で文章や詩を読みながら書く。これもいい。そんなことができたら、作者の感情がそのまま書になってくれるじゃないですか。さっきかなの話をしましたけれど、そのときの自分の感情をそのまま歌にする。歌にしたのをそのまま書にする。その書が本当の書です。
今の日展や読売書法展やそのはかの展覧会にたくさん書が並んでますが、書いている人間はみんなわかって書いてるんじゃない。困ったものです。わかっている人がいたら、いっぺんその人と対談してみたいけれども、わかってない。だいたい作者の気持ちがわからずにいる。そこへいくと、会津八一さんなら、自分の歌しか書きません。漢字だったら、長い文章なんて滅多に書かない。
良寛さんにいたっては、漢字を書いても、かなを書いても、ぜんぶ自分のものです。自分がつくった漢詩、自分がつくった歌です。だからはじめから歌そのものに感情が入っている。それをまた、どこにもない線で書く。これはすごいことです。やはり、そういう勉強を若い時分からして、文学も学び、かたわら書も大いに勉強する。こうあるべきだと思います。
今はあまりにも技法、技法ばっかりです。ああ書くか、こう書くか。先生がこう書いたらいいと言うから書く。また、そう書いたらおもしろく書けたから、それでいいと思う。文字をどう書くかということだけが上手になって、ほかは何にもできない。
たまたま先生のお手本を見たりして、作品に近いものができたとします。それが展覧会に入った。私は何々展に入りました。何かの賞をもらいました。それが何ですか。つまらない話です。
展覧会に入選しました、賞をもらいました、そんなのは何にもなりません。本当の書の道からいったら、それこそ何もいいことでない。借りものばかりでできているんですから、その人のものじゃない。
これではどうしてもぐあいが悪いのです。自分のこころが生んだもの、自分の体がつくったもの、それが本物です。これから書を勉強するとしましょう。書だけでなく、いろんなことをなさっていいと思いますが、それを自分の感性で感じ、それによって啓発され、いろいろな思いが集まって何かが生まれ、それが作品になる。かたちのあるものになる。何でも構いません。自分のものであればいい。はじめから自分のこころがあらわれている、こころがこもっている、そういうものができたら、それはみんな本物です。そうでないと偽物というか、いい加減なものです。影法師みたいなものであって、そんなものだめです。
P136
川口 それが良寛の書の線にあらわれたんでしょうか。
村上 あらわれたんでしょうけれども、それよりあの線は、ぼくからすると、ふしぎでしようがないんです。大きな謎なんです。
川口 何か手がかりはありませんか。
村上 ありません。まあ、良寛さんが古典作品の拓本ばかり習っているうちに、「こんなもんじゃない。これじゃいけない」と思って、いろいろ考えたあげくに生まれた線だとは思うんですけどね。書の歴史は中国四千五百年、日本千三百年。そのどこにもない線ができたというのは、よほどの才能と感性があってのことでしょう。人間性が豊かであり、書に対する感性があり、教養があり、世の中のすべてのいいことと悪いことを見きわめる力があり、そのうえ、ものすごく書いた。書の線というのは、その人間のあらゆるものの集合体というか総括ですからね。まねようったって、まねられるもんじゃない。
川口 でも、先生の書をまねようまねようとしてる人もいますよ。
村上 だめですよ。その人の持っているあらゆる要素の複合体なんですから。まねてできるものじゃないですよ。
川口 それでは先生、良寛をとおして、まず何を学ばなくてはならないのでしょうか。人間性でしょうか。
村上 「自分自身の書」ということでしょう。どれだけ先天的なものに恵まれているかわからないけれど、自分自身のものを書かないかぎり、本当の書とはいえない。
川口 いい師匠を見つけないといけませんね。いい加減な師匠につくと、まちがったほうへ行ってしまうことになりますから。
村上 その師匠もねえ。「上手に俺のまねをしろ」と言ってる師匠が世の中に多すぎる。「早く俺のまねをやめろ」と言える師匠でなくてはいけない。「おまえ自身のありったけのもの、総合的なものが書になる。おまえのものを創らなければ書ではない」と徹底的に、それも早い時期に教えなくてはいけない。十五年や二十年のあいだは師匠のまねになってもしかたないけれども、ある時期に達したら、自分だけのものに徹していかないといけない。
感性のいい人は下手な先生に習ってみたらいいんです。「俺の先生はだめだ。こんな先生のものをまねしたってしようがない。俺は俺の字を書かなくちゃ書でないんだ」と早く悟る。ところが上手な先生だと、非常な魅力がありますから、その虜になっちゃうんですね。そして、三十年、四十年と先生についているうちに、あまりにまねの時期が長すぎて抜けだせなくなる。それにくわえて、自分の書の完成より出世のことばかり考えていると、いつまで経っても自分の書はできない。やっぱり良寛さんの線質はどうしたらできるのかとか、どういうものであるかということに明確に答えるのはむずかしいですね。
#楽隠居です
『訃報:藤平光一さん91歳=心身統一合気道宗主5月19日、肺炎のため死去。葬儀は近親者で済ませた。』 財団法人氣の研究会が、いつのまにか無くなってしまい、藤平先生もお亡くなりになりました。寂しいことですねぇ~
参照1:合気道入門
参照2:生活の中の合気道
参照3:合気道の奥義
参照4:伝統技保存師範
参照5:舟漕ぎ運動でのテスト
参照6:先生は間違ってます
参照7:自分の身体を自分で変え 持てる能力を引き出す
参照8:引かれる力の応用
参照9:言葉では表わせぬ+α
参照10:破壊と創造
参照11:紙に字を書きたくなる
☆リンク先で更新された記事
・「期末決算」
・感想文58
・合掌の大事
・「よいものは何でも取り入れる」
・軸とベクトル
・確認不足
by centeringkokyu
| 2011-06-06 00:01
| 書き方関連