2011年 05月 04日
虚円正緊 |
貝原益軒:和俗童子訓から抜粋してご紹介します。
▼和俗童子訓 巻之四 手習法
・古人、書は心画なり、といへり。心画とは、心中にある事を、外にかぎ出す絵なり。故に手蹟の邪正にて、心の邪正あらはる。筆蹟にて心の内も見ゆれば、慎みて正しくすぺし。
・凡そ字を書習ふには、真草共に先(まず)手本を選び、風体(ふうてい)を正しく定むべし。風体悪しくば、筆跡よしといへども、なら(習)はしむぺからず。初学より、必ず風体すなをに、筆法正しき、古への能書の手跡をゑらんで、手本とすべし。悪筆と悪き風体を習ひ、一度悪しきくせつきては、一生なをらず。後、能書を習ひても改まらず。
・和流・から流共に、古代の能書の上筆を求めて習ふべし。今時の俗筆をば、習ふべからず。手本悪しければ、生れ付たる器用ありて、日々つとめ学びても、見習ふべき法なくして、手跡進まず。器用も、つとめも、むなしくなりて、一生悪筆にてをはる。わが国の人、近世手跡つたなきは、手習の法をしらざると、古代の善き手本をならわざる故也。
・凡そ文字を書習ふに、高く墨をとり、端正にすりて、すり口をゆがむべからず。手をけがす事なかれ。高く筆をとり、双鈎し、端正に字を書べし。双鈎とは、筆のとりやうなり。凡そ字を書に、一筆一画、平正分明にして、老草に書べからず。老草とは、平正ならず、わがままに、そさうにか(書)くを云。手本を能見て、ちがはざるやうに、しづかに学ぶべし。才にまかせ、達者ぶりして、老草にかけば、手跡あがらず。書を写し習ふにも、平正にかくべし。
・虚円正緊は、筆をとる四法也。知らずんばあるべからず。虚とは指を掌に近づけずして、掌の内を、空しくひろくするを云。あぶみの形の如くなるをよしとす。円とは、掌の外、手の甲をまるくして、かどなきを云。虚円の二は掌の形なり。正とは、筆をすぐにして、前後左右にかたよらざるを云。かくの如くならざれぜ、筆の鋒(さき)あらはれ、よこあたりあり。緊とは、筆をきびしくかたくとりて、やはらかならざるを云。上よりぬきとらりれるやうに取てよし。かくのごとくならざれば、筆に力なくしてよはし。正緊の二は筆の形なり。此四法は筆をとる習ひ也。日本流の筆の取やうは、是にことなれり。単鈎にとりて、筆鋒をさきへ出し、やはらかにして、上よりぬき取をよしとす。
小児の時より、大字を多く書習へば、手、くつろぎはたらきてよし。小字を書で、大字をかかざれば、手、すくみてはたらかず。字を習に、紙をおしまず、大(おおい)に書べし。大に書ならへば、手はたらきて自由になり、又、年長じて後、大字を書によし。若、小字のみ書習へば、手腕すくみて、長じて後、大字をかく事成がたし。手習ふには、悪しき筆にてかくべし。後に筆をゑらばずしてよし。もし善き筆にて書習へば、後悪しき筆にて書く時、筆蹟悪しく、時々善き紙にかくべし。悪しき紙にのみ書ならへば、善き紙にかく時、手すくみて、はたらかず。
真字をかく法、大字はつづめて、小ならしめ、小字はのぺて大ならしめ、短字は長く、長字は短くすべし。横の筆画はほそきがよし。竪の筆画はあらきがよし。よこに二字合せて、一とする字はひろくすべからず。上下二字合て一字とする字は、長くすべからず。疏は密に、密は疏なるべし。骨多きに宣し。肉多によろしからず。皆是筆法の習ひなり。
指を以て、筆をうごかす事なかれ。大字は肘をうごかし、小字は腕をうごかす。筆のはたらき自由なるべし。指は取事を主どり、肘腕はうごく事を主どる。指はうごかすべからず。
筆の取やう正しくして、筆さきの横にあたらざるやうに、筆鋒を正しく直(すぐ)にすべし。筆直に正しければ、筆の鋒あらはれずしてよし。筆がたぶけば、鋒あらはる。筆鋒のあたる所を、あらはれざるやうにかくすべし。左の筆をおこす所、ことにあらはれざるがよし。鳥のくちはしの如く、とがれるはあしし。又、右のかどに肩をあらはすぺからず。鋒はつねに画中にあらしむべし。是を蔵鋒と云。鋒を蔵(かく)すをよしとす。
入木(じゅぼく)ということ 筆鋒は紙につよくあたるべし、入木と云も此事也。
手を習ふに、筆のはたらきの神彩(しんさい)を先とし、字の形を次とす。字のかたちよくとも、神彩なければよしとせず。 【しん‐さい 〈神彩/神采〉精神と姿。また、すぐれた風采。】
#楽隠居です
本当に手習いには、共通項が多くあります。練功法を稽古する時も、大きくゆっくり動き、身体全体のつながりを感じながら動かないと意味がありません。
『虚とは指を掌に近づけずして、掌の内を、空しくひろくするを云。あぶみの形の如くなるをよしとす。円とは、掌の外、手の甲をまるくして、かどなきを云。虚円の二は掌の形なり。正とは、筆をすぐにして、前後左右にかたよらざるを云。かくの如くならざれぜ、筆の鋒(さき)あらはれ、よこあたりあり。緊とは、筆をきびしくかたくとりて、やはらかならざるを云。上よりぬきとらりれるやうに取てよし。かくのごとくならざれば、筆に力なくしてよはし。正緊の二は筆の形なり。此四法は筆をとる習ひ也。日本流の筆の取やうは、是にことなれり。単鈎にとりて、筆鋒をさきへ出し、やはらかにして、上よりぬき取をよしとす。』
去年までは、双鈎法で書譜の稽古をしていたのですが、昔習った「お習字」の癖を取るために、今年からは、単鈎法で高野切第二種の稽古を始めました。難しいですが、楽しいです。
剣の手の内とも共通するような気がしますので、もっと工夫してみようと思っています。
制剛流抜刀術を習って、刀の鞘を帯に括り付けて、左足を前に出しながら刀を抜く稽古をした事や納刀の時に鞘引きをしないで、切っ先から納刀したことが、想像以上に身勢づくりの役に立ったような気がしています。
柳生流兵法抜刀術の写真は、鞘引きして納刀しているようです。柳生会も以前は鞘引きをしていたような気がします。
参照1:柳生流兵法抜刀術
参照2:股関節が入る
参照3:薄筋の発見
参照4:養生訓 総論下 その1
参照5:養生訓 総論下 その2
参照6:養生訓 総論下 その3
参照7:養生訓 総論下 その4
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▼和俗童子訓 巻之四 手習法
・古人、書は心画なり、といへり。心画とは、心中にある事を、外にかぎ出す絵なり。故に手蹟の邪正にて、心の邪正あらはる。筆蹟にて心の内も見ゆれば、慎みて正しくすぺし。
・凡そ字を書習ふには、真草共に先(まず)手本を選び、風体(ふうてい)を正しく定むべし。風体悪しくば、筆跡よしといへども、なら(習)はしむぺからず。初学より、必ず風体すなをに、筆法正しき、古への能書の手跡をゑらんで、手本とすべし。悪筆と悪き風体を習ひ、一度悪しきくせつきては、一生なをらず。後、能書を習ひても改まらず。
・和流・から流共に、古代の能書の上筆を求めて習ふべし。今時の俗筆をば、習ふべからず。手本悪しければ、生れ付たる器用ありて、日々つとめ学びても、見習ふべき法なくして、手跡進まず。器用も、つとめも、むなしくなりて、一生悪筆にてをはる。わが国の人、近世手跡つたなきは、手習の法をしらざると、古代の善き手本をならわざる故也。
・凡そ文字を書習ふに、高く墨をとり、端正にすりて、すり口をゆがむべからず。手をけがす事なかれ。高く筆をとり、双鈎し、端正に字を書べし。双鈎とは、筆のとりやうなり。凡そ字を書に、一筆一画、平正分明にして、老草に書べからず。老草とは、平正ならず、わがままに、そさうにか(書)くを云。手本を能見て、ちがはざるやうに、しづかに学ぶべし。才にまかせ、達者ぶりして、老草にかけば、手跡あがらず。書を写し習ふにも、平正にかくべし。
・虚円正緊は、筆をとる四法也。知らずんばあるべからず。虚とは指を掌に近づけずして、掌の内を、空しくひろくするを云。あぶみの形の如くなるをよしとす。円とは、掌の外、手の甲をまるくして、かどなきを云。虚円の二は掌の形なり。正とは、筆をすぐにして、前後左右にかたよらざるを云。かくの如くならざれぜ、筆の鋒(さき)あらはれ、よこあたりあり。緊とは、筆をきびしくかたくとりて、やはらかならざるを云。上よりぬきとらりれるやうに取てよし。かくのごとくならざれば、筆に力なくしてよはし。正緊の二は筆の形なり。此四法は筆をとる習ひ也。日本流の筆の取やうは、是にことなれり。単鈎にとりて、筆鋒をさきへ出し、やはらかにして、上よりぬき取をよしとす。
小児の時より、大字を多く書習へば、手、くつろぎはたらきてよし。小字を書で、大字をかかざれば、手、すくみてはたらかず。字を習に、紙をおしまず、大(おおい)に書べし。大に書ならへば、手はたらきて自由になり、又、年長じて後、大字を書によし。若、小字のみ書習へば、手腕すくみて、長じて後、大字をかく事成がたし。手習ふには、悪しき筆にてかくべし。後に筆をゑらばずしてよし。もし善き筆にて書習へば、後悪しき筆にて書く時、筆蹟悪しく、時々善き紙にかくべし。悪しき紙にのみ書ならへば、善き紙にかく時、手すくみて、はたらかず。
真字をかく法、大字はつづめて、小ならしめ、小字はのぺて大ならしめ、短字は長く、長字は短くすべし。横の筆画はほそきがよし。竪の筆画はあらきがよし。よこに二字合せて、一とする字はひろくすべからず。上下二字合て一字とする字は、長くすべからず。疏は密に、密は疏なるべし。骨多きに宣し。肉多によろしからず。皆是筆法の習ひなり。
指を以て、筆をうごかす事なかれ。大字は肘をうごかし、小字は腕をうごかす。筆のはたらき自由なるべし。指は取事を主どり、肘腕はうごく事を主どる。指はうごかすべからず。
筆の取やう正しくして、筆さきの横にあたらざるやうに、筆鋒を正しく直(すぐ)にすべし。筆直に正しければ、筆の鋒あらはれずしてよし。筆がたぶけば、鋒あらはる。筆鋒のあたる所を、あらはれざるやうにかくすべし。左の筆をおこす所、ことにあらはれざるがよし。鳥のくちはしの如く、とがれるはあしし。又、右のかどに肩をあらはすぺからず。鋒はつねに画中にあらしむべし。是を蔵鋒と云。鋒を蔵(かく)すをよしとす。
入木(じゅぼく)ということ 筆鋒は紙につよくあたるべし、入木と云も此事也。
手を習ふに、筆のはたらきの神彩(しんさい)を先とし、字の形を次とす。字のかたちよくとも、神彩なければよしとせず。 【しん‐さい 〈神彩/神采〉精神と姿。また、すぐれた風采。】
#楽隠居です
本当に手習いには、共通項が多くあります。練功法を稽古する時も、大きくゆっくり動き、身体全体のつながりを感じながら動かないと意味がありません。
『虚とは指を掌に近づけずして、掌の内を、空しくひろくするを云。あぶみの形の如くなるをよしとす。円とは、掌の外、手の甲をまるくして、かどなきを云。虚円の二は掌の形なり。正とは、筆をすぐにして、前後左右にかたよらざるを云。かくの如くならざれぜ、筆の鋒(さき)あらはれ、よこあたりあり。緊とは、筆をきびしくかたくとりて、やはらかならざるを云。上よりぬきとらりれるやうに取てよし。かくのごとくならざれば、筆に力なくしてよはし。正緊の二は筆の形なり。此四法は筆をとる習ひ也。日本流の筆の取やうは、是にことなれり。単鈎にとりて、筆鋒をさきへ出し、やはらかにして、上よりぬき取をよしとす。』
去年までは、双鈎法で書譜の稽古をしていたのですが、昔習った「お習字」の癖を取るために、今年からは、単鈎法で高野切第二種の稽古を始めました。難しいですが、楽しいです。
剣の手の内とも共通するような気がしますので、もっと工夫してみようと思っています。
制剛流抜刀術を習って、刀の鞘を帯に括り付けて、左足を前に出しながら刀を抜く稽古をした事や納刀の時に鞘引きをしないで、切っ先から納刀したことが、想像以上に身勢づくりの役に立ったような気がしています。
柳生流兵法抜刀術の写真は、鞘引きして納刀しているようです。柳生会も以前は鞘引きをしていたような気がします。
参照1:柳生流兵法抜刀術
参照2:股関節が入る
参照3:薄筋の発見
参照4:養生訓 総論下 その1
参照5:養生訓 総論下 その2
参照6:養生訓 総論下 その3
参照7:養生訓 総論下 その4
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・「苦手が愉しみに」
【北島選手と上の選手との肋骨や肩、鎖骨、肩甲骨、波の形などの差にご注目!! 首&顎の位置と鎖骨&肋骨の関係が想像しやすい、貴重な写真ですねぇ~ 同居人も納得していました!:楽隠居】
by centeringkokyu
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