2010年 12月 18日
百人に適うものは一人に適わない |
「月刊全生」からご紹介します。
▼健康を自分の体に実現する為に
先づ生活を楽しくし、溌剌と生活をし、快く食べ、ぐっすり眠り心を煩わさずに悠々と生きる。その心身の生活の反映として体が活溌に動き、その結果として病が自づと治るのでなければ、本当の健康は実現されない。体力充実の生活のみが自然の健康法なのである。
外科的処置をしても、そのあとは体力による自然的恢復に待つのであるから体力振作の生活指導ということは大切であり、之こそ治病に於ける自然の大道と考えられて然る可きである。奇襲戦法に慣れた為、いのちの自然性を見失うことは本当ではない。 【 しん‐さく「振作」[名](スル)人の気持ちや物事の勢いを盛んにすること。奮い起こさせること。振起。】
食欲がなければ消化薬、便秘したから下剤、眠れないから睡眠薬というように、その場しのぎの便法の為に、自然の体の使い方を軽視してはならぬ。疲れれば眠くなり、働けば空腹になるのが当然であって、疲れないで眠り、働かないで食うことをつづければ、体がこわれるのも又当然である。
▼過剰な知識、過度な感情、過敏な神経、複雑な生活、乱れた性生活、どれも分散による平衡要求には相違ないが、体を正常に保つには厄介なるものである。
しかし、これらが綜合されて個人があるのだから、これらを無視する訳にもゆかない。個人はその数だけの個性がある。そして個性は個々に感受性方向を異にし、潜在活動力を異にし、疲労部分や活動様式を異にしている。
それ故、個性を見ないで組み立てた体操や、健康法は個人のものとはいえない。百人に適(かな)うものは一人に適わないということを知る可きである。
☆リンク先で更新された記事から抜粋してご紹介します。
◆なんしか行動
治療だけにかぎらず何でもそうかもしれないが、まず
①現在どうなっていて(現状認識)
②どうしたいか(問題意識、意図、自分なりの目的)
③そしてそのための方法を学んだり考えたり感じとったり色々と工夫して(発想、知識、勘、学びなど)
④やってみて解決していく。そして一つ一つ、一歩ずつ成長していくしかないと感じた
仮説→行動→感じ考え工夫。という流れで、当たり前のことなのだが①~④の精度を高めていくとゼロから自分で創っていき経験や学びを自分のものにできると感じている。一応順序だてて書いてはみたが①~④の並びだけではなくもっと自由に自分創りというのは出来るとも感じている。
◎続きはこちらをどうぞ!
◆一歩多彩性
私が初めて将棋を教えてもらったのは、確か五歳くらいだったと思います。
当時、父には王将と歩兵しか駒を置かないという大きなハンデキャップを付けてもらっていましたが、それでもなかなか勝つことが出来ませんでした。
私の実力が上がるにつれて父の置く駒の数が増えていき、やっと平手にまで至ったときは嬉しかったものです。
中学生の頃は、休み時間によく友達と将棋で遊んでいました。
「学校に不要物を“持って来てはいけない”」という規則があったため、校内に置いてあったダンボール紙などを素材にして自分達で将棋盤と駒を作ったことを覚えています。
最近では、実際に対局する機会はほとんどありませんが、テレビの将棋トーナメントや新聞の将棋欄が目に留まると、ついつい見てしまうことがあります。
将棋は、ルールが難しすぎず易しすぎず、誰でも気軽に楽しめるという、よく考えられたゲームだと思います。
チェスを始めとして将棋と似たようなルールのゲームは沢山ありますが、日本の将棋の最も大きな特徴は、取った駒を再び使えるという点にあります。
こうしたルールが生まれた理由として、持ち駒の使用が考え出された戦国時代では、戦争といっても国内における同民族間の争いであり、敵に対する排他的な感情が生じにくかったことが関与しているのではないかと言われています。
持ち駒は攻めにも守りにも重要な役割を果たし、その活用なくして勝つことはまず出来ません。
「歩のない将棋は負け将棋」という将棋の格言もあるように、歩兵が一つあるだけで大きく選択肢が広がり、それが勝敗を左右することも少なくありません。
◎続きはこちらをどうぞ!
#楽隠居です
2010年12月17日の総合アクセスランキングが、468 位(ランキング対象サイト総数:60,326)になっていました。多くの皆様にお越し頂いたことを感謝します。
▼健康を自分の体に実現する為に
先づ生活を楽しくし、溌剌と生活をし、快く食べ、ぐっすり眠り心を煩わさずに悠々と生きる。その心身の生活の反映として体が活溌に動き、その結果として病が自づと治るのでなければ、本当の健康は実現されない。体力充実の生活のみが自然の健康法なのである。
外科的処置をしても、そのあとは体力による自然的恢復に待つのであるから体力振作の生活指導ということは大切であり、之こそ治病に於ける自然の大道と考えられて然る可きである。奇襲戦法に慣れた為、いのちの自然性を見失うことは本当ではない。 【 しん‐さく「振作」[名](スル)人の気持ちや物事の勢いを盛んにすること。奮い起こさせること。振起。】
食欲がなければ消化薬、便秘したから下剤、眠れないから睡眠薬というように、その場しのぎの便法の為に、自然の体の使い方を軽視してはならぬ。疲れれば眠くなり、働けば空腹になるのが当然であって、疲れないで眠り、働かないで食うことをつづければ、体がこわれるのも又当然である。
▼過剰な知識、過度な感情、過敏な神経、複雑な生活、乱れた性生活、どれも分散による平衡要求には相違ないが、体を正常に保つには厄介なるものである。
しかし、これらが綜合されて個人があるのだから、これらを無視する訳にもゆかない。個人はその数だけの個性がある。そして個性は個々に感受性方向を異にし、潜在活動力を異にし、疲労部分や活動様式を異にしている。
それ故、個性を見ないで組み立てた体操や、健康法は個人のものとはいえない。百人に適(かな)うものは一人に適わないということを知る可きである。
☆リンク先で更新された記事から抜粋してご紹介します。
◆なんしか行動
治療だけにかぎらず何でもそうかもしれないが、まず
①現在どうなっていて(現状認識)
②どうしたいか(問題意識、意図、自分なりの目的)
③そしてそのための方法を学んだり考えたり感じとったり色々と工夫して(発想、知識、勘、学びなど)
④やってみて解決していく。そして一つ一つ、一歩ずつ成長していくしかないと感じた
仮説→行動→感じ考え工夫。という流れで、当たり前のことなのだが①~④の精度を高めていくとゼロから自分で創っていき経験や学びを自分のものにできると感じている。一応順序だてて書いてはみたが①~④の並びだけではなくもっと自由に自分創りというのは出来るとも感じている。
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◆一歩多彩性
私が初めて将棋を教えてもらったのは、確か五歳くらいだったと思います。
当時、父には王将と歩兵しか駒を置かないという大きなハンデキャップを付けてもらっていましたが、それでもなかなか勝つことが出来ませんでした。
私の実力が上がるにつれて父の置く駒の数が増えていき、やっと平手にまで至ったときは嬉しかったものです。
中学生の頃は、休み時間によく友達と将棋で遊んでいました。
「学校に不要物を“持って来てはいけない”」という規則があったため、校内に置いてあったダンボール紙などを素材にして自分達で将棋盤と駒を作ったことを覚えています。
最近では、実際に対局する機会はほとんどありませんが、テレビの将棋トーナメントや新聞の将棋欄が目に留まると、ついつい見てしまうことがあります。
将棋は、ルールが難しすぎず易しすぎず、誰でも気軽に楽しめるという、よく考えられたゲームだと思います。
チェスを始めとして将棋と似たようなルールのゲームは沢山ありますが、日本の将棋の最も大きな特徴は、取った駒を再び使えるという点にあります。
こうしたルールが生まれた理由として、持ち駒の使用が考え出された戦国時代では、戦争といっても国内における同民族間の争いであり、敵に対する排他的な感情が生じにくかったことが関与しているのではないかと言われています。
持ち駒は攻めにも守りにも重要な役割を果たし、その活用なくして勝つことはまず出来ません。
「歩のない将棋は負け将棋」という将棋の格言もあるように、歩兵が一つあるだけで大きく選択肢が広がり、それが勝敗を左右することも少なくありません。
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#楽隠居です
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by centeringkokyu
| 2010-12-18 00:01
| 全生など