2005年 04月 13日
不貞寝抄 4/12続 |
健康以外は付加価値
私は、元々、身体が強い方でもないので、つらつら思いますと、人間として「自分を知り、自分にベストなバランスやセンターを保てる」事が一番だと思います。
最近は、結果、色々な目的や表現がより良く果たせる訳で、極論「健康以外は付加価値」・・・健康が満たせれば、後は付いてくる・・・と思っています。
大体、自らの心身の健康に必要なセンタリングを考えると、その基本原理の延長に全ての「生き方や自己表現の形」があると言っても過言ではないと思います。
私が知っている人でも恐ろしい程強い人は沢山います。しかし、どうも健康的に見えない発想や意識から心身を構成している人が多いのです それが結果として、体型を重力や身体の自然な構造に対して「いびつ」にしていたり、「重い病気」や「酷い癇癪持ち」にしていたりしています。
それは結局、「自己の内」を開発していながら、意識が本質的でない事に惑わされ、押し潰され「ダークサイド」に幽閉された結果の様に思います。
あくまで私の考えで、正しいかは知りませんが・・・。
自分で保つ健康
従って、こう言う結論になります。とは言うものの、私は、未だ、自分自身を上手く保てません。
しかし、前記の様な考えの元、センタリング呼吸法を学び、検証していると学ぶべき事柄の指針が明確に見えて来ています。
K野さんやN山さんには未だご面倒をお掛けしているのですが、最近は、その施術の見立てや手順、行程を「身体で感じる(アクティブ・タッチ)」事で、理屈は分かりませんが自然と色々なヒントやモノの見方、質問が沸いて来て、「治療」が私にとって「受け身」や極論「慰安行為」でなく、「自主的な学習行為」に変化し始めています。
例えば、高橋さんの「正体術」は前から知っていたけれど、どうもケーススタディーでしか見れず、自分に上手く生かせませんでした。
しかし、最近の施術からの学びで、「どうしてそう言う方法をとったのか」が本から読み取れる様になりました。
そう思うと、「良く書いてあるな」と思うし、逆に「諸行無常なバランスなんて書けんはな」とも思いました。
折角、勉強しているのだから、試みに、自分で身体を「伸展」させる時、日頃、センタリング呼吸法で学んでいながらも、愁訴があると塗炭に「パニック」になって「今のバランス」が見えなくなったり、愁訴と「戦って」不必要なバランスや二次元的なバランスを即し、もっと変になったりする事が良くあります。
でも、そこをどうしたら良いか?・・・自分自身の時は全く分かりませんでした。
そんな時、最近はK野さんやN山さんのタッチ(+α)が身体にあるに加え、自分が夜毎奇妙な「寝相」をする事に気付き、それをセンタリング呼吸法してみることで「バランス」と言う事を少し理解出来る様になりました。
今春は季節も気紛れでしたし、仕事も何かとあって身体がぐちゃぐちゃになりました。そんな自分の現状を「諦め」、色々観察していたのですが、色々な事象と自分の心身の関わり(バランス)が「愁訴」を産んでいる事も気付きました。
その「愁訴」の出方も私のオリジナル・パターンがあり、辛い事は辛いですが、検証する内に自分が見えてきて、無意識の自身を凄いなあと思う事が多いです。
こんな程度で、今更ながら、よちよち状態ですが、「己の可能性」を凄く信じ、愉しめている今日この頃です。
私は、元々、身体が強い方でもないので、つらつら思いますと、人間として「自分を知り、自分にベストなバランスやセンターを保てる」事が一番だと思います。
最近は、結果、色々な目的や表現がより良く果たせる訳で、極論「健康以外は付加価値」・・・健康が満たせれば、後は付いてくる・・・と思っています。
大体、自らの心身の健康に必要なセンタリングを考えると、その基本原理の延長に全ての「生き方や自己表現の形」があると言っても過言ではないと思います。
私が知っている人でも恐ろしい程強い人は沢山います。しかし、どうも健康的に見えない発想や意識から心身を構成している人が多いのです それが結果として、体型を重力や身体の自然な構造に対して「いびつ」にしていたり、「重い病気」や「酷い癇癪持ち」にしていたりしています。
それは結局、「自己の内」を開発していながら、意識が本質的でない事に惑わされ、押し潰され「ダークサイド」に幽閉された結果の様に思います。
あくまで私の考えで、正しいかは知りませんが・・・。
自分で保つ健康
従って、こう言う結論になります。とは言うものの、私は、未だ、自分自身を上手く保てません。
しかし、前記の様な考えの元、センタリング呼吸法を学び、検証していると学ぶべき事柄の指針が明確に見えて来ています。
K野さんやN山さんには未だご面倒をお掛けしているのですが、最近は、その施術の見立てや手順、行程を「身体で感じる(アクティブ・タッチ)」事で、理屈は分かりませんが自然と色々なヒントやモノの見方、質問が沸いて来て、「治療」が私にとって「受け身」や極論「慰安行為」でなく、「自主的な学習行為」に変化し始めています。
例えば、高橋さんの「正体術」は前から知っていたけれど、どうもケーススタディーでしか見れず、自分に上手く生かせませんでした。
しかし、最近の施術からの学びで、「どうしてそう言う方法をとったのか」が本から読み取れる様になりました。
そう思うと、「良く書いてあるな」と思うし、逆に「諸行無常なバランスなんて書けんはな」とも思いました。
折角、勉強しているのだから、試みに、自分で身体を「伸展」させる時、日頃、センタリング呼吸法で学んでいながらも、愁訴があると塗炭に「パニック」になって「今のバランス」が見えなくなったり、愁訴と「戦って」不必要なバランスや二次元的なバランスを即し、もっと変になったりする事が良くあります。
でも、そこをどうしたら良いか?・・・自分自身の時は全く分かりませんでした。
そんな時、最近はK野さんやN山さんのタッチ(+α)が身体にあるに加え、自分が夜毎奇妙な「寝相」をする事に気付き、それをセンタリング呼吸法してみることで「バランス」と言う事を少し理解出来る様になりました。
今春は季節も気紛れでしたし、仕事も何かとあって身体がぐちゃぐちゃになりました。そんな自分の現状を「諦め」、色々観察していたのですが、色々な事象と自分の心身の関わり(バランス)が「愁訴」を産んでいる事も気付きました。
その「愁訴」の出方も私のオリジナル・パターンがあり、辛い事は辛いですが、検証する内に自分が見えてきて、無意識の自身を凄いなあと思う事が多いです。
こんな程度で、今更ながら、よちよち状態ですが、「己の可能性」を凄く信じ、愉しめている今日この頃です。
by centeringkokyu
| 2005-04-13 22:17
| ネコ殿