2010年 06月 14日
「あの時に怪我をしてよかった」といわれる治療 |
「痛くなく早く治る 捻挫と骨折の予防と治し方」 内海正彦著からご紹介します。
▼はじめに 昭和五十七年三月
高度なレントゲンによる診断技術、充実した治療をもった大病院がどんどんふえる中にあって、なぜ骨折の後遺症で悩んでいる人が多いのだろう。七~八〇年前の統計に比べると、現在の骨折治癒日数は約四~五倍になっている。診断技術や治療法、治療機器が進歩すれば四分の一~五分の一の短期間で骨折が治り、後遺症患者がこれまた何分の一に減ったというなら話は理解できるが、現実は全く逆である。極端な言い方をすれば治療費にお金をかける技術がすすんだだけである。
▼呼吸のいろいろ
柔道を極めた人は力と力ではなく、自分の呼吸と相手の呼吸をはかり、相手の力を利用して倒しているのに対し、力と力で相手を倒す西洋的なスポーツとは全く異るものをもっている。したがって体重別の競技をしないのである。しかし現在の柔道は体重別に分けられて、勝負のみを決める西洋的スポーツになり変わって、呼吸などクソくらえ、力と力、単なる技と技の完全なスポーツになってしまった。柔道家の自覚と人間修業の本来の柔道に戻ることを願うのは私だけであろうか。
▼中枢牽引理論による無痛自然整復法
レントゲンを使ってはいけない。麻酔を使ってはいけない。厳しい医療法の下にあるがゆえに動物的な感が冴え、麻酔を使わなくても痛くない整復法を求め続けることができた。そして気がついたら、あれこれむずかしい技術は全く不要で、肩だろうが肘だろうが手首だろうが、骨が二つや三つに折れておろうが、どんな形に折れていようが、そんなことにはこだわらず術者は末梢を持っていてやればよい。後は患者と話しをしておれば、生命を守ろうとする体の働きが自然に治してくれる。強いて技術と言えば手や足の先を固定するときに、どの位置で、関節をどの角度でもっているかという持ち方、固定のし方が技術である。いや厳密にいうとそんなめんどうな理屈はいらない。患者の骨折した手や足を一番痛くない楽な位置に持っていてやればよいのだ。患者の生命の命令に従って固定しておればよいのである。
▼柔道整復術と呼吸
柔道とは人間修業の道として行ずるものであり、今日の柔道として普及しているスポーツ柔道とはいささか異なる思いがする。先人は柔術という格闘技によって、安定した体力と、安定した心を養い、業(技)を磨いていかなる変化にも対応できる敏捷な身のこなし方を体得し、そのときの呼吸法(コツ)をつかむ訓練をしたのである。理屈だけではなく、ひたすらに考え、ひたすらに練習し、ひたすらに体で覚えたのである。
▼自然治癒力と呼吸
患者は痛みと不安で呼吸は浅く、短く、肩で息をして身心共に緊張し、筋肉は収縮してかたくなっている。このような状態下での整復は、どんなに熟達の人でも、どんなに理論ずくめの整復法をしても整復は不可能である。生ある限り、それぞれの体は異常を治そうとする自然治癒力をもっている。これ百パーセント活用することを考えなければいけない。それは患者をくつろがせることである。そして術者自身がくつろぐことである。ということは術者は整復に自信をもつことである。
第一に、骨を整復することは、合理的にすれば全く痛みなしに整復が可能であることを患者に説明し、納得させなければいけない。この納得なくしてはくつろぎはあり得ない。
第二は、肩の力を抜いてスゥーと息を吐ききる練習をさせる。
第三は、患者と対話して心の緊張をとり、くつろがせる。対話は日常生活の中で、食事の嗜好、好きなスポーツ、勉強、趣味等、骨折や脱臼とは全く無関係の話をしながら、患者の状態によって健肢に術者が触れる、または軽く把握する。次いで患肢に触れる。特に患部をさけて、中枢または末梢を軽く撫でてやる。つまり術者と患者の体が接した状態で対話をすることによって緊張はほぐれてくる。決して整復を急いではいけない。
第四に、術者は患肢を静かに把握して局部痛がない状態、または最も少ない状態で把持固定して、牽引は患者自身にさせる。決して術者が牽引すべきではない。(詳細は後述)術者は整復され易い位置に患肢を把持しておけば、それで骨折脱臼は自然に整復されるものである。この状態での整復は、整復時の痛みを殆ど感じないか、感じても極めて軽度である。小学生でも泣かないほど簡単に整復できる。
患者と術者の呼吸を調整することが整復の第一要因である。最も簡単で、子供でも誰でもできる呼吸調整法は笑いである。術者が患肢を把持固定して、「大きな声で笑って、もっと大きい声で、後三回、もっと大きな声で笑って……」と命じて、大きな声で笑わせることである。笑えば必ず緊張がほぐれてくつろぐ。くつろいでこそ痛みのない、または極めて少ない整復が可能となる。
▼柔道整復師の業務範囲
柔道整復師の業務範囲は、患者に苦痛を与えない、つまり麻酔を必要としないで整復できる骨折・脱臼であり、麻酔と共に特別な整復器機を必要とするものや手術を必要とするものは、外科・整形外科の治療分野に属すべきと解さなければいけない。このケジメをつけないで治療をしたときには、国民から柔道整復術は見放されるときであろう。
無痛、またはそれに近い整復法が柔道を通じて体得されることを考えるとき、桑道を単なる格闘技、スポーツ競技としてだけ促えることなく、呼吸、筋肉生理、筋力強化、筋力維持、運動生理、運動療法、心理・精神療法、食物、姿勢等生命活動の一環としてあらゆる面から研究し、その中に柔道整復術の真髄を見出さなければならない。
骨折、脱臼、捻挫、打撲等の怪我の修繕をする柔道整復師であってはいけない。これらの治療をとおして、人間性を向上させる。つまり局部の治療と共に怪我人の治療をも出来てこそ真の柔道整復術であり、柔道整復師であると思う。
食事・姿勢・呼吸・歩き方・運動法・物の見方・考え方等の生活指導を通じて局部治療をしてこそ、治療の効果はより高まり、怪我の再発を予防し、さらには慢性的な肉体異常を予防すると同時に治し、結果として「あの時に怪我をしたのは悪かった。しかし、今思うとあの時に怪我をしてよかった」といわれる治療、これが柔道整復術の本来の在り方であり、そのためには、現在の修学年限を延長し、充分な養成教育がなされることを望むものである。
参照1:観照塾 2010.06.12
参照2:肩甲骨を下げると骨盤が締まる
「バランス温圧療法」のお知らせ もよろしく! m(_ _)m
▼はじめに 昭和五十七年三月
高度なレントゲンによる診断技術、充実した治療をもった大病院がどんどんふえる中にあって、なぜ骨折の後遺症で悩んでいる人が多いのだろう。七~八〇年前の統計に比べると、現在の骨折治癒日数は約四~五倍になっている。診断技術や治療法、治療機器が進歩すれば四分の一~五分の一の短期間で骨折が治り、後遺症患者がこれまた何分の一に減ったというなら話は理解できるが、現実は全く逆である。極端な言い方をすれば治療費にお金をかける技術がすすんだだけである。
▼呼吸のいろいろ
柔道を極めた人は力と力ではなく、自分の呼吸と相手の呼吸をはかり、相手の力を利用して倒しているのに対し、力と力で相手を倒す西洋的なスポーツとは全く異るものをもっている。したがって体重別の競技をしないのである。しかし現在の柔道は体重別に分けられて、勝負のみを決める西洋的スポーツになり変わって、呼吸などクソくらえ、力と力、単なる技と技の完全なスポーツになってしまった。柔道家の自覚と人間修業の本来の柔道に戻ることを願うのは私だけであろうか。
▼中枢牽引理論による無痛自然整復法
レントゲンを使ってはいけない。麻酔を使ってはいけない。厳しい医療法の下にあるがゆえに動物的な感が冴え、麻酔を使わなくても痛くない整復法を求め続けることができた。そして気がついたら、あれこれむずかしい技術は全く不要で、肩だろうが肘だろうが手首だろうが、骨が二つや三つに折れておろうが、どんな形に折れていようが、そんなことにはこだわらず術者は末梢を持っていてやればよい。後は患者と話しをしておれば、生命を守ろうとする体の働きが自然に治してくれる。強いて技術と言えば手や足の先を固定するときに、どの位置で、関節をどの角度でもっているかという持ち方、固定のし方が技術である。いや厳密にいうとそんなめんどうな理屈はいらない。患者の骨折した手や足を一番痛くない楽な位置に持っていてやればよいのだ。患者の生命の命令に従って固定しておればよいのである。
▼柔道整復術と呼吸
柔道とは人間修業の道として行ずるものであり、今日の柔道として普及しているスポーツ柔道とはいささか異なる思いがする。先人は柔術という格闘技によって、安定した体力と、安定した心を養い、業(技)を磨いていかなる変化にも対応できる敏捷な身のこなし方を体得し、そのときの呼吸法(コツ)をつかむ訓練をしたのである。理屈だけではなく、ひたすらに考え、ひたすらに練習し、ひたすらに体で覚えたのである。
▼自然治癒力と呼吸
患者は痛みと不安で呼吸は浅く、短く、肩で息をして身心共に緊張し、筋肉は収縮してかたくなっている。このような状態下での整復は、どんなに熟達の人でも、どんなに理論ずくめの整復法をしても整復は不可能である。生ある限り、それぞれの体は異常を治そうとする自然治癒力をもっている。これ百パーセント活用することを考えなければいけない。それは患者をくつろがせることである。そして術者自身がくつろぐことである。ということは術者は整復に自信をもつことである。
第一に、骨を整復することは、合理的にすれば全く痛みなしに整復が可能であることを患者に説明し、納得させなければいけない。この納得なくしてはくつろぎはあり得ない。
第二は、肩の力を抜いてスゥーと息を吐ききる練習をさせる。
第三は、患者と対話して心の緊張をとり、くつろがせる。対話は日常生活の中で、食事の嗜好、好きなスポーツ、勉強、趣味等、骨折や脱臼とは全く無関係の話をしながら、患者の状態によって健肢に術者が触れる、または軽く把握する。次いで患肢に触れる。特に患部をさけて、中枢または末梢を軽く撫でてやる。つまり術者と患者の体が接した状態で対話をすることによって緊張はほぐれてくる。決して整復を急いではいけない。
第四に、術者は患肢を静かに把握して局部痛がない状態、または最も少ない状態で把持固定して、牽引は患者自身にさせる。決して術者が牽引すべきではない。(詳細は後述)術者は整復され易い位置に患肢を把持しておけば、それで骨折脱臼は自然に整復されるものである。この状態での整復は、整復時の痛みを殆ど感じないか、感じても極めて軽度である。小学生でも泣かないほど簡単に整復できる。
患者と術者の呼吸を調整することが整復の第一要因である。最も簡単で、子供でも誰でもできる呼吸調整法は笑いである。術者が患肢を把持固定して、「大きな声で笑って、もっと大きい声で、後三回、もっと大きな声で笑って……」と命じて、大きな声で笑わせることである。笑えば必ず緊張がほぐれてくつろぐ。くつろいでこそ痛みのない、または極めて少ない整復が可能となる。
▼柔道整復師の業務範囲
柔道整復師の業務範囲は、患者に苦痛を与えない、つまり麻酔を必要としないで整復できる骨折・脱臼であり、麻酔と共に特別な整復器機を必要とするものや手術を必要とするものは、外科・整形外科の治療分野に属すべきと解さなければいけない。このケジメをつけないで治療をしたときには、国民から柔道整復術は見放されるときであろう。
無痛、またはそれに近い整復法が柔道を通じて体得されることを考えるとき、桑道を単なる格闘技、スポーツ競技としてだけ促えることなく、呼吸、筋肉生理、筋力強化、筋力維持、運動生理、運動療法、心理・精神療法、食物、姿勢等生命活動の一環としてあらゆる面から研究し、その中に柔道整復術の真髄を見出さなければならない。
骨折、脱臼、捻挫、打撲等の怪我の修繕をする柔道整復師であってはいけない。これらの治療をとおして、人間性を向上させる。つまり局部の治療と共に怪我人の治療をも出来てこそ真の柔道整復術であり、柔道整復師であると思う。
食事・姿勢・呼吸・歩き方・運動法・物の見方・考え方等の生活指導を通じて局部治療をしてこそ、治療の効果はより高まり、怪我の再発を予防し、さらには慢性的な肉体異常を予防すると同時に治し、結果として「あの時に怪我をしたのは悪かった。しかし、今思うとあの時に怪我をしてよかった」といわれる治療、これが柔道整復術の本来の在り方であり、そのためには、現在の修学年限を延長し、充分な養成教育がなされることを望むものである。
参照1:観照塾 2010.06.12
参照2:肩甲骨を下げると骨盤が締まる
「バランス温圧療法」のお知らせ もよろしく! m(_ _)m
by centeringkokyu
| 2010-06-14 00:01
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