2010年 05月 25日
自分に見えるものをありのまま信用する |
「光の医学――光と色がもたらす癒しのメカニズム」 ジェイコブ・リバーマン著からご紹介します。
1975年、私は「オープン・フォーカス」と名づけた視力の改善方法を開発し始めた。すると、すぐにこの手法の効果は視力だけにとどまらないことがわかった。この手法は人間の行動のある特定の側面に基づいている。私が長年観察しているその行動とは、人生の経験に私たちが日常的にどう取り組み、どう学ぶかということに関わっている。私が気づいたのは、たいていの人はいつも何か特別なことを人生に探し求めており、その過程では探す対象以外のものをどれも見過ごしているということである。人生での新しい発見のほとんどは、実際に探し求めていないときに起こるようであり、私たちのいつもの見かたでは、現実のほんの〈一部〉を見たり経験したりできるに過ぎないということがわかってきた。
この認識に基づいて私は、何も見つめていなければあらゆることが眼に入るのではないかとの仮説を立てた。自分の生活の中でこの仮定を実験してみると、劇的な効果が現れた。視野が拡大したのに加え、近視が回復し、視覚が向上し、痛みが減った。しかも見かたが変わったので、以前は眼に入らなかったり、あるいは考えてもみなかったものさえ見ることができるようになった。第二の発見は、私の見かたが変わったために、人々の体のまわりのオーラが時折見えるようになったことであった。次に、空気が眼に見えないのはこれまで考えていたとおりだったが、実際には空気が、粒子と波の形をした眼に見えるエネルギーを持っていることに私は気がついた。こうした発見から、私は、人間はみずからすすんで見るのではなく、受動的に見るようにできていること、受動的に見れば眼は私たちの思うままに見えるようにできていることがわかった。つまり、〈視覚に努力は必要ない〉ということである。私たちは、映画を見るのと同じように、努力しないで人生を見るようになる必要がある。努力のいらない機能に努力を傾注しても、その流れるような動き、能率、与えられる快適さ、動作の邪魔になるだけだ。残念ながら、いつも見ることに努力を注ぐあまり、眼に見えるはずの自然界や生命の奇跡が見えてこない人々がほとんどである。
こうしたことを考えた結果、私は眼鏡をかけるのをやめる決意をし、自分の心の働きを積極的に実験し始めた。実験の主眼は、自分の心と眼とを統合することである。特に関心を持ったことは、人々が現実をどのように見るのか、そしてなぜそうした見かたをするのかということだった。数年間こうした問題に取り組み、多くのことをはっきりと見抜けるようになった。その中で最も重要なことは、眼は、そのまま自由に見ることを許されれば、その場にそぐわない、あるいはあまり経験したことのないものに私たちの注意を向けさせるということである。
例えば画家の仕事を見てみよう。絵を描いているとき、でき具合をチェックするために画家はよく後ろに退がって、ありのままに絵をじっと見つめる。それは画家が何か特別なものを探しているのではなく、眼がおのずから、その場にふさわしくないものを探れと指示しているかのようである。このことは、眼の働きについて私が抱いている確信を立証してくれるだけでなく、私たちの身体システム全体と同様に知覚システムもまったく同じように働いていることを示す手がかりとなる。
私の見る方法には大きな目的があること、そして本能的に私が引き寄せられる事物が重要であってそれが私の関心をひきつけるということがすぐにわかり始めた。実験で得られたこの前提を実際に用い始めた私は、驚くべきことをいくつか発見した。例えば、病歴を調べているときに、「オープン・フォーカス」の手法で、さりげなく患者を見つめる。最初は何も気づかないが、何度か無作為に見つめているうちに、私は自分の眼が患者の体の特定の箇所に意図的に導かれることに気づき始めた。こうした箇所を見ていると、何かがそこに詰まっているように見えたし、体のエネルギーが隣接した箇所からコースを変えて流れているように見えるのだった。はじめのうちは自分が眼にしていることの意味がわからなかったが、患者に尋ねてみると、身体的・感情的トラウマが、ぴったりというわけでもないが、私が見ていたのとほぼ同じ箇所にあるということがはっきりしてきた。
体の賢さがとてもよくわかってきた。すぐに、自分に見えるものをありのまま信用するようになり、自分が見たことに関わる質問を患者にしてみた。患者は驚嘆することがしばしばだった。「どうしてわかったのですか」とよく尋ねられた。たいていの場合私には、自分が受け取っている情報が充分に理解できず、なぜ私が受け取っているのかさえよくわかっていなかった。それにもかかわらず、私に見えることと患者が答えることとの間には、はっきりと相関性があるように思えた。新しい認識方法の基礎ができつつあったのである。
#楽隠居です
私の場合も時々「なぜ分かるんですか?」と聞かれることがあります。でも、なかなか適当な答えが見つかりませんでした。しかし、この本を読んで「そうなんや!」と呟きました・・・
「健康維持互助会」の歩み&活動報告02もよろしく!
参照1:「立体視」~「空間認識」~「うすらぼんやり」
参照2:脳と眼と呼吸
参照3:診える
参照4:そこしかない
参照5:3D
参照6:心眼で見透す
参照7:全体を見ること
by centeringkokyu
| 2010-05-25 00:01
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