2010年 02月 01日
両脚のかなめは胯にある |
「馮志強真伝 陳式心意混元太極拳」馮志強著からご紹介します。
「坐胯屈膝、垂直相対」
両脚のかなめは胯(クワ。股関節周辺)にある。胯の重要性はそれだけではない。腰のちからが下まで貫かれるかどうか、全身が協調できるかどうか、上下(上半身と下半身)が相随(ぴったり一致する)するかどうか、虚実が自在に転換できるかどうか、からだが中正を保てるかどうか、左右のバランスがきれいにとれるかどうかーーこのすべてが胯にかかっている。
胯と腰は深いつながりがあり、胯を語れば腰に、腰を語れば胯に話が及ばざるを得ず、そのため普通「腰胯」と称される。まず両方の胯をゆるめ開く。すると「円襠(内股が丸くひろがる勢い)」も自然に形成されるようになる。これで全身の回転運動は機敏にできるようになる。胯はゆるめ開くと同時に下に沈めていかなければならない。胯を沈めると両足は自然に地面を踏みしめ、地面をつかむようになる。気は足裏まで落ち、山のような重さと穏やかさが現れる。「似坐非坐(沈んでいるようで沈んでいない)」とはこの状態を表現した言葉である。足がしっかりと地面を踏みしめていないとき、まず胯から調整していかなければならない。
膝を曲げる際、胯を沈めることで自然に膝が折れていくようにしなければならない。膝を曲げるその程度は胯の沈む程度によって決定される。そして胯と膝は垂直に相対する関係になければならない。また膝の曲げすぎには特に注意が必要で、膝の先端が足先を超えないようにすること。この限度を超えると中正が失われ、バランスを崩しやすくなり、気が滞りがちになって、「完整一気」ーー全身が一つにまとまった勢いーーを見失うことになる。
総じて、胯・膝・足首の三つの関節を中気が貫くように連動させることができた時、両脚に弓のちからが備わったということができる。
中正不偏の要求はかたち、外形のみではない。「神内斂」、つまりこころが統一され、中正となったとき、かたちもまた偏らず、傾かず、勁(ちから)も過不足なく全身を通るようになる。『撃地捶』を例にとれば、からだの形は明らかに傾き斜めになっているが、頭頂部から背中、そして後ろ脚までが一つの直線を形成しており、中気がそこを貫通するため、これも中正の姿勢と呼ぶことができる。したがって中正不偏とは「中正の気」ーーまっすぐの勢いがまずこころの状態としてあり、仮にからだが傾くような姿勢をとっても、上半身、下半身を直線的に貫く勢いが保持されるようなバランス状態を指していると理解すべきなのである。 【斂(れん)=引き締め集める。取り入れる】
站とう(木庄)功、套路鍛練すべてにわたってこの中正不偏神内斂が実現される必要がある。
#楽隠居です
KMさんからのメールをご紹介します。
遅くなりましたが、先週の観照塾の感想を送らせて頂きます。
今回の観照塾で、
・くわえ込みが甘く、開放した際の動きが小さい。
・歩法のリズムの大切さと難しさ。
・剣を扱うには歩法の要素が必要だが、歩法だけでも足りない。
以上のようなことを感じました。
次回は、もっといろんな事に気づけるようにしたいと思います。
次回も宜しくお願い致します。(メール転載終了)
このメールをいただいたので、ご紹介した内容のことを思い出しました。
『中正不偏の要求はかたち、外形のみではない。「神内斂」、つまりこころが統一され、中正となったとき、かたちもまた偏らず、傾かず、勁(ちから)も過不足なく全身を通るようになる。』ということをいつも感じながら稽古をしないといけないんでしょうねぇ~
センタリング呼吸法では、呼吸を感じてそれを制御することが、「深く静かな呼吸による 心と身体のセンタリング」になると考えています。
参照1:「用意不用力」と「拙力僵勁」
参照2:歩法以前
参照3:歩法について
参照4:立禅と骨盤時計
参照5:タダで出来る事
「坐胯屈膝、垂直相対」
両脚のかなめは胯(クワ。股関節周辺)にある。胯の重要性はそれだけではない。腰のちからが下まで貫かれるかどうか、全身が協調できるかどうか、上下(上半身と下半身)が相随(ぴったり一致する)するかどうか、虚実が自在に転換できるかどうか、からだが中正を保てるかどうか、左右のバランスがきれいにとれるかどうかーーこのすべてが胯にかかっている。
胯と腰は深いつながりがあり、胯を語れば腰に、腰を語れば胯に話が及ばざるを得ず、そのため普通「腰胯」と称される。まず両方の胯をゆるめ開く。すると「円襠(内股が丸くひろがる勢い)」も自然に形成されるようになる。これで全身の回転運動は機敏にできるようになる。胯はゆるめ開くと同時に下に沈めていかなければならない。胯を沈めると両足は自然に地面を踏みしめ、地面をつかむようになる。気は足裏まで落ち、山のような重さと穏やかさが現れる。「似坐非坐(沈んでいるようで沈んでいない)」とはこの状態を表現した言葉である。足がしっかりと地面を踏みしめていないとき、まず胯から調整していかなければならない。
膝を曲げる際、胯を沈めることで自然に膝が折れていくようにしなければならない。膝を曲げるその程度は胯の沈む程度によって決定される。そして胯と膝は垂直に相対する関係になければならない。また膝の曲げすぎには特に注意が必要で、膝の先端が足先を超えないようにすること。この限度を超えると中正が失われ、バランスを崩しやすくなり、気が滞りがちになって、「完整一気」ーー全身が一つにまとまった勢いーーを見失うことになる。
総じて、胯・膝・足首の三つの関節を中気が貫くように連動させることができた時、両脚に弓のちからが備わったということができる。
中正不偏の要求はかたち、外形のみではない。「神内斂」、つまりこころが統一され、中正となったとき、かたちもまた偏らず、傾かず、勁(ちから)も過不足なく全身を通るようになる。『撃地捶』を例にとれば、からだの形は明らかに傾き斜めになっているが、頭頂部から背中、そして後ろ脚までが一つの直線を形成しており、中気がそこを貫通するため、これも中正の姿勢と呼ぶことができる。したがって中正不偏とは「中正の気」ーーまっすぐの勢いがまずこころの状態としてあり、仮にからだが傾くような姿勢をとっても、上半身、下半身を直線的に貫く勢いが保持されるようなバランス状態を指していると理解すべきなのである。 【斂(れん)=引き締め集める。取り入れる】
站とう(木庄)功、套路鍛練すべてにわたってこの中正不偏神内斂が実現される必要がある。
#楽隠居です
KMさんからのメールをご紹介します。
遅くなりましたが、先週の観照塾の感想を送らせて頂きます。
今回の観照塾で、
・くわえ込みが甘く、開放した際の動きが小さい。
・歩法のリズムの大切さと難しさ。
・剣を扱うには歩法の要素が必要だが、歩法だけでも足りない。
以上のようなことを感じました。
次回は、もっといろんな事に気づけるようにしたいと思います。
次回も宜しくお願い致します。(メール転載終了)
このメールをいただいたので、ご紹介した内容のことを思い出しました。
『中正不偏の要求はかたち、外形のみではない。「神内斂」、つまりこころが統一され、中正となったとき、かたちもまた偏らず、傾かず、勁(ちから)も過不足なく全身を通るようになる。』ということをいつも感じながら稽古をしないといけないんでしょうねぇ~
センタリング呼吸法では、呼吸を感じてそれを制御することが、「深く静かな呼吸による 心と身体のセンタリング」になると考えています。
参照1:「用意不用力」と「拙力僵勁」
参照2:歩法以前
参照3:歩法について
参照4:立禅と骨盤時計
参照5:タダで出来る事
by centeringkokyu
| 2010-02-01 00:01
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