2009年 10月 03日
前進力 |
「15歳の寺子屋 前進力」三國 清三著からご紹介します。
フランス料理のシェフ (料理長) - それがぼくの仕事です。三十歳で東京の四ッ谷というところに「オテル・ドゥ・ミクニ(三國の館)」というフランス料理の店を開いてから、かれこれ二十四年がたちました。
さいわい、ぼくの料理はお客さまに好評をいただき、海外でも評価されて、料理人としてのぼくの名前は国内外でも知られるようになりました。いまでは料理人が自分の天職だと思い、店にきてくださったお客さまが、「三園さん、きょうの料理はおいしかったですよ」と嬉しそうに言ってくださると、「料理人になってよかったな」としみじみ感じます。
でも、ぼくが料理人になった動機は、とても不純なものでした。
北海道の小さな町で生まれたぼくは、十五歳を過ぎるまで、フランス料理のフの字も知らずに育ちました。町にはカツ丼、ラーメン、きつねうどんなど、なんでも食べさせる大衆食堂があったものの、そうした外食ですら、小中学校を通じて一度も経験がありませんでした。家が貧しかったので外食なんて、もってのほかだったからです。
ぼくには二人の兄と二人の姉がいましたが、兄たちは中学を卒業すると大工になるために家を出ていき、二人の姉も都会に働きに出て、両親に仕送りを続けていました。ですから、ぼくも小学生のころから、「自分も中学を出たら働きに出るんだ」と、ごく当たり前のように思っていました。
ただし、兄たちのように大工にはなりたくなかった。野外での仕事が多い大工という職業は、寒さの厳しい北海道では、いかにもたいへんそうでした。どうせ働くのなら、室内の暖かいところ、それも、食べもののあるところがいい。いつもお腹をすかせていたぼくにとって、その条件にかなったのが、料理人という職業でした。
つまり、子ども時代のぼくは、いわゆる「おいしい料理」というものをほとんど食べた経験がなかったし、また、「おいしい料理を作りたい」と思って、この世界に入ったわけでもなかったんです。
不純な動機で料理人になると決めたぼくは、中学を卒業してすぐ、十五歳で働きはじめました。十六歳でホテルの皿洗いとして、料理人としての第一歩を踏み出し、十六歳で東京に出てきました。ところが、くる日もくる日も皿洗いと鍋磨きの繰り返し。すっかり絶望して、一度は料理人になるのを断念したこともあったんです。でも、二十歳のときに、思わぬ転機を迎え、以後、料理人としての道をまっしぐらに歩んできました。
ぼくはこの本でみなさんに、自分が料理人を目指して必死でもがいていた十五歳から二十歳ごろ、そしてヨーロッパでの修業時代の体験を中心にお話ししたいと思います。
人生というのは、予期せぬ出来事の連続です。辛か不幸か、ぼくはみなさんより、はるかに早く社会に出たせいで、多くの壁にぶち当たり、それを必死で乗り越えてきました。ですから、多少は困難を乗り越える自分なりの方法を会得しているつもりです。
ただ、それはあくまでぼく自身の方法です。ぼくのハングリー精神は家庭環境によって培われたものですが、ぼくとは違う家庭環境の中で育ったみなさんに、ぼくと同じハングリー精神を持て、と言っても無理でしょう。だから、ぼくはみなさんに、何かをアドバイスしようとは思わない。ぼくにできるのは、自分の体験や考えを、できるだけ率直にみなさんに伝えることだけです。
料理にたとえれば、ぼくの体験談はあくまで「素材」にすぎません。この素材をどう科理し、咀嚼して、自分の栄養分にしていくかは、みなさんの受け取り方にかかっています。
#楽隠居です
身体への「気づき」とも共通しますのでご紹介しておきます。
▼味覚を知ること。それを、ぼくは「気づき」と呼んでいます。
「苦い」という味に、一度「気づき」さえすれば、いろいろな食べ物に「苦み」が潜んでいるのがわかるようになる。そうなったら、しめたもので、自然に味をチェックする習慣がつき、味覚を感知する能力が開発されていく。三十歳でも四十歳でも、あるいは八十歳からでも意識さえすれば、程度の差はあっても、味覚を鍛えることができるのです。
一度、みなさんも意識して「苦み」を味わってごらんなさい。サンマの内臓などは「苦み」を知るには最適です。おそらくみなさんは、サンマの内臓など食べたことがないでしょう。箸をつけても「まずい」の一言でかたづけていたのではありませんか? でも、それは「苦み」という味に慣れていないだけのことです。
しかも、味覚は人の心を開くという役割をもっていると、ぼくは思っています。味覚の授業をはじめてから、ぼくは一貫して、「味をしっかり認識することは、心と気持ちを豊かにすることだ」と強調してきました。舌で味わうと、それが脳に伝わり、五感(見る、聞く、嗅ぐ、触る、味わう)を敏感にして感性を開花させる。感性が開くことで、思いやりや、いつくしみ、感謝の念や相手を受け入れる寛容さ、などの感情も芽生えていく。味覚は人間の心の形成に深く問わっている、とても重要な感覚なのです。
▼勘違いして欲しくないのは、三ツ星で働いたからエライんじゃない。有名シェフのもとで働けばいい料理人になるのかといえば、それは違う。
逆なんだ。
神様クラスのシェフのもとで働いた人間からは、なかなか突出したシェフが出てくるのは難しい。才能があっても一流になりきれずに消えていくシェフのほうが多いのだ。 (中略)
偉大なシェフの多くは、超一流のシェフのもとで修行してきた人たちではない。自分が学んで、自分の力で出てきた人たちのほうが多いくらいである。
要は、誰のもとで修行するかじゃない。調理学校で基礎を学んだら、あとは自分の探究心、向学心、本気度がどれだけあるかということなのだ。
▼お知らせ
漢方鍼灸 運動処方 かわかみ吉祥堂は、KTさんのHPです。ブログも不定期ですが更新しておられます。よろしければご一読ください。
大原祐仁堂さんが、10月8日(木) NSC道場ワッハホールに出演されます。 18時開場 18時30分開演 前売り・当日券共に¥500 前売りは大原さんにお尋ね下さい。
参照1:味わいそして工夫
参照2:現場で身体を動かしながら考える
参照3:プロセスの失敗が成功をつくる
参照4:職人は国の宝 国の礎
参照5:達人は「習熟」を自ら否定する
参照6:9/27K元会
by centeringkokyu
| 2009-10-03 00:02
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