2009年 03月 26日
「正」「反」「合」による思考の深化 |
「使える弁証法・ヘーゲルが分かればIT社会の未来が見える」田坂広志著からご紹介します。
▼弁証法を知ると「対話力」が身につく
さて、「弁証法の法則」、理解されたでしょうか。
ここまで、「弁証法は、役に立つ」「弁証法を、どう使うか」という二つの章を通じて、弁証法の五つの法則の「意味」、そして、これらの法則の「使い方」を話してきました。もし、皆さんが、この「弁証法の五つの法則」の意味と使い方を深く理解されたならば、必ず、二つの力を身につけられるでしょう。
世の中の変化の本質が分かる「洞察力」
世の中の変化の未来が見える「予見力」
しかし、弁証法を学ぶと、もう一つ、身につく力があります。
それは、何か。
「対話カ」
その力が身につきます。
では、「対話カ」とは何か。
ただ、対話をするだけで、自然に、思考が深まっていく。物事の本質が見えてくる。
そうした力のことです。
では、弁証法を学ぶと、なぜ、「対話力」が身につくのか。
それが「弁証法」だからです。
そもそも、「弁証法」とは、その名前のとおり、ギリシアの時代に、「対話の方法」として生まれてきたものです。この「弁証法」を用いたのは、プラトンの著作『ソクラテスの弁明』などで知られる、哲学者、ソクラテスです。
ソクラテスは、真理の探究方法として「対話」(ディアレクテイク)を重視しました。「対話」を通じて、互いの思考を深め、真理に到達する方法として「弁証法」を用いたのです。しかし、この「弁証法」とは、単なる「討論」(ディベートや「議論」(ディスカッション)とはまったく異なった方法です。
「討論」とは、文字通り、異なった意見の持ち主が議論を戦わせ、互いに自己の主張が正しいことを論証する営みです。
また、「議論」とは、異なった意見の持ち主が集まり、互いの意見を語りあうことによって、多様な意見を学びあう営みです。
これに対して、「弁証法」とは、対立した意見の持ち主が対話を行うことによって、互いに、より深い思考に向かっていくための方法であり、「議論を戦わせる方法」ではなく、「思考を深める方法」と呼ぶべきものです。では、その具体的な方法は、何か。
「正」「反」「合」による思考の深化です。
すなわち、弁証法とは、「正」(テーゼ)「反」(アンチテーゼ)「合」(ジンテーゼ)というプロセスで思考を深めていく方法です。
分かりやすく言えば、一人が語った意見(正)に対して、もう一人が、その反対の意見(反)を語り、それぞれの意見にもとづく対話を通じて、二人がともに、二つの意見を包含し、統合し、止揚した、さらに深い理解(合)に到達するという方法です。
具体的な事例で説明しましょう。
例えば、子供の教育の問題について、ある人が、「教育においては優しさが必要だ」と述べたとします。それに対して、もう一人が、「いや、教育においては、厳しさが必要だ」と述べます。この段階では、互いの意見は、まったく対立し、矛盾している状態ですが、二人が真摯に対話をするならば、さらに理解が深まっていきます。
例えば、「子供を叱らないということが、本当の優しさなのだろうか」という意見や、「ときに厳しく叱ることが、本当の優しさではないのだろうか」といった意見が出されます。また、一方で、「厳しさの背後に、叱る人間の怒りがあってはならないのではないか」という意見や、「厳しさの奥に、その子供の可能性を深く信じる心がなければならない」といった意見が出されます。
そして、こうした意見が交わされる中で、二人の思考は深まっていき、子供の教育について、優しさや厳しさということの本当の意味が分かってきます。そして、最終的には、単なる優しさでもなく、単なる厳しさでもない、それらを包含し、統合し、止揚した、さらに深いレベルでの教育の在り方に目が開かれていきます。
これが、「対話の方法」としての「弁証法」です。
そして、これは、単に意見を戦わせる「討論」(ディベート)でもなく、単に意見を交換する「議論」(ディスカッション)でもない、互いの思考が深まっていくという意味で極めて創造的な「対話」(ディアレクティク)の方法なのです。従って、もし、我々が日常の「議論」の場において、この「弁証法的対話」の方法を用いるならば、その議論は、かならず創造的な議論になっていきます。
しかしながら、いま世の中で流行っているのは、いかにして相手を議論で打ち負かすかという「討議」(ディベート)の方法や、いかにして論理的に正しい結論に到達するかという「論理思考」(ロジカル・シンキング)の方法です。もちろん、こうした方法にも、それなりの意味と役割はあるのですが、そうした方法を超えた、さらに高度な「知の技法」があるということを、我々は知っておくべきでしょう。
「討議」の方法は、多くの場合、相手の意見の問題を指摘し合い、自分の意見の優越性を主張し合うにとどまってしまい、互いが、謙虚に学び合い、さらに深い思考に向かうことのできない、不毛なものになってしまいます。
また、「論理思考」の方法は、そもそも「論理的整合性」を重視し、「矛盾」を排除する思考であるため、物事の発展の原動力であり、生命力でもある「矛盾」について、それを「止揚」する視点を持ちません。そのため、素朴な問題の解決には、ある程度、役に立ちますが、難しい問題を深く考え、答えの無い問いを問うという「知の技法」としては、あまり役に立たない方法です。
従って、「討議」の方法や、「論理思考」の方法を身につけられた方は、さらに進んで、この「弁証法的対話」の方法や、「弁証法的思考」の方法を身につけられることを勧めます。
なぜなら、この弁証法という「知の技法」を身につけたとき、初めて、我々の前に、素晴らしい「知の世界」の扉が開かれるからです。
参照1:弁証法ってなに?
参照2:東洋医学の革命児
参照3:中心網要
参照4:考え方と生き方を変える
参照5:地頭力は日々の問題を解決する力
参照6:ホメオスタシス
by centeringkokyu
| 2009-03-26 00:05
| 本などの紹介