2008年 12月 15日
愉気とは共鳴するシンパシー能力 |
「五感が息づけばからだは甦る!新整体入門」岡島瑞徳著からご紹介します。
帯津良一×岡島瑞徳 対談
▼野口晴哉と今東光の命がけ
岡島・・野口先生はすごい人でしたから、たとえば恐怖という感情のことも、技術としてこれを転換させてしまっていました。何をいっているかさっばりわからないのに、ある言葉をその人にかけると、心がガラッと変わって、急に顔色がサーッと変わっていって元気になっちゃう。「何をいわれたんですか?」と聞いても、「よくわかんないんですよね」って、本人もいう(笑)。
だから、言葉の内容じゃないんですね。言葉の調子とか勢いとかで、その人の意表をつくようなところへ、ボンと言葉が入り込むっていうか、心が入り込んでくる。何が変わったのかわからないけど、意識できないうちに自分が変わっていっちゃう。そういう例はたくさんありました。
帯津・・たとえば他にはどんな?
岡島・・かつて、お坊さんで作家の今東光さんが、大腸ガンで手術しなくちゃ駄目だといわれて、それが嫌で病院を抜け出して野口先生のところへやってきたそうです。
「君は、僕のいうことを命がけで守るか」といわれて、「守ります」と答えると、「まず、ブランデーを飲め」といわれた(笑)。「命がけで守るか」と厳しい顔でいわれて、「守ります」といった後に、「じゃあ、ブランデーを飲め」なんていわれたら、ガクンとくるじゃないですか。要するに、それで気を抜いちゃってるんですね。
帯津・・そういうことね。
岡島・・それも、できるだけ高いブランデーがいい、それをチビリチビリとなめるように飲むのがいい。これが本当の酒というもので、あんたがいままで飲んでいたようなのは酒じゃないんだといって、叱られたりなんかして、結局勧められたのはお酒を飲むことだけだったんですね。
でも、命がけで守るといったんだし、本人も酒は嫌いじゃないから、家に帰ってブランデーをチビチビ飲む。そうしたら、翌日、ものすごく太い大便が出た。それで今さんは医者に腹を立てて、「腹を切らなきや大便が出ない」なんていってたけど、出たじゃないかと、その大便を医者のところへ持っていったんですって(笑)。
▼相手に共鳴するシンパシーが力となる
岡島・・この話のように、野口先生は心理転換みたいなものが実にすごい。僕らがどう聞いても、「実際にこの人のときはどうやったらいいんだろう」というのって答えがないですよ。
だから、なかなか相手の体癖のことを理解し、恐怖感の根元がここにあるとか、そういうことが指でわかったにしても、相手の心の中にスポーンと入り込めないじゃないですか。ときどきは、思わぬ言葉がボンと入り込んでいって、相手がバッと変わってくるという、うまくいった例があるにはあるんですが‥…・。
いずれにしてもいちばん大事なことは、要するにその人の抱いている恐怖感、不安感の深みを、自分が一緒になって体験することだと思うんです。たとえばその人が絵を描ける人なら、そういう絵を描くじゃないですか。なんともいえない不安な絵であるとか、恐怖に包まれた感じの絵であるとか、描きますよね。
そういうのを見たときに、「ああ、この人はつらかったんだろうな」と思いますね。そういう感銘を受ける。ある種、感動です。苦しんでいるというのを感動するといったら怒られそうだけど、実は共鳴して、感動してるんですね。「そんなに深い苦しみがあるのか」と共鳴し合うわけですね。
帯津・・ええ、ええ。
岡島・・共鳴すると、何か言葉が出てきます。それは非常につまらない言葉かもしれないし、何の答えにもなっていないかもしれない。あるいは、こつちも一緒に涙を流して終わりかもしれない。だけど、そこに明らかに共鳴が得られると、こちらが何もいわなくても、相手の方に必ず「わかってもらった」という反応が起こるんですね。
子どもであっても、決してバカにしちゃいけないですね。子どもが何かで悩んでいるといったら、その悩みにほんとうに同調して、自分がそこにいくんです。
そのためには自分の心を虚にしていくというか、ゼロにしていって、それを本当に「味わう」んです。愉気というのは、そういうものじゃないかと、僕は思ってるんです。共鳴するシンパシー能力なんだろうなと。
そのときに、相手とこちらが決定的に違うことの一つは、こちらは深い呼吸でそこへ入っていけるということです。恐怖感で、相手は呼吸が浅くなりますよね。だけど、こちらは呼吸がゆったりできますから、相当ゆとりがあります。
呼吸の浅い人間というのは、ゆったりした呼吸の人間に必ずくっついてきちゃうんですよ。従ってくる、あるいは信頼するといったらいいでしょうか。そういうものですよね。
帯津・・それは、こちらがリードしてやろうとか、深い呼吸に誘っていくんだと思うのではなくて?
岡島・・そうじゃないですね。多くは相手のお腹を押さえていくわけですけど、皆、呼吸が浅いですから、お腹が硬いです。こちらはゆっくり呼吸をしながら、相手の浅い呼吸に合わせてずーつと押さえていくわけです。手の技術でいえばね。
そうすると、この呼吸に逆らわないでやってくれると、相手の呼吸もだんだん深くなるじゃないですか。だんだん深くなってくると、いってみれば相手の本心みたいなものが出やすくなるんだろうと思うんです。フーッと深くなったときに、こちらが何かちょっというわけです。そういうときに何が出てくるか、僕もわからんですよ。
帯津・・教科書的なことがあるわけじゃない?
岡島・・ないんです。ただ、相手のことを長年みてきて、この人はこういう人だとか、こんな趣味があるとかはわかるし、体癖ということが大きいですね。
たとえば「ねじれ型」という体癖の人はすぐに気張りたがる。だから、「その頑張りがいけないんだよ。頑張る必要はないよ」というふうにいうと、ねじれ型の人はホッとなるんですよ。
そういうふうな、ある種のパターンはありますけど、ただしやっぱりシンパシーに至らないところでこの言葉をいったって、絶対に伝わらないんです。そこまでいくプロセスがいちばん大事だろうと、僕は思うんですね。
#楽隠居です
因みに、今東光氏は『S字結腸癌を患い国立癌センターで二度の手術を受ける。1977年6月には体調を著しく崩し再々度の入院、9月19日午後1時55分、急性肺炎を併発し、千葉県四街道市、国立下志津病院で示寂(遷化)。世寿79歳。』そして、野口晴哉先生は、1976(S.32)年6月22日に亡くなられています。【社団法人整体協会は昭和三十一年、故野口晴哉によって設立され、文部科学省(旧文部省)から認可を受けた体育団体です。】
この本を買ったのは、岡島氏の整体理論に興味があったのではなく、「インド洋大津波より生還して」という12ページに及ぶ「あとがき」があったからです。
「あとがき」には、次のような言葉も記されています。
『思えば私は、整体の創始者・野口晴哉先生を尊敬し慕い、その遺されたものを後世に伝えることをもって、我が使命と信じていきてきました。それ自身はいまもすこしも変わってはいないのですが、もしかすると、野口先生を思慕するあまり先生の真似事をし、先生のおっしゃった言葉を未消化のままに自分の言葉のように語っていただけだったのかもしれないのです。』
『それ以来、私がこうなるといいな、と思うと周囲がアレヨアレヨといううちに、そのように動いてくれて、それが実現していくのです。こうしようと思うと、もう次の日にはそのための動きが目の前で展開するのです。』
私は「あとがき」には書かれていないスリランカでの話を聞いていますが、ここでそれを公表するつもりはありません。今はただ、岡島氏のご冥福をお祈りいたします。
こちらもどうぞ!
▼津村喬、岡島治夫 著「しなやかな心とからだ―東洋体育道入門」(野草社;新泉社〔発売〕、1979年3月25日 初版第1刷)より
1947年東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部中退、桐朋学園短期大学演劇科卒業。著書 『自然健康道入門』(田畑書店)『活力創造の世界』(新実業出版)『ヨガ再編』(田畑書店) まえがき (略) 二人が出会ってからもう六年ほどになる。津村は全共闘運動や差別の問題とのかかわりの中で、否応なしに「身体性の領域」につきあたり、また二度の訪中経験から太極拳等にふれて、中国・インドの身体哲学と行法に強い関心をもっていた。岡島は演劇活動の中で、文学(せりふと筋)主導の近代劇をどう超えるかという課題にぶつかり、ヨガを俳優の肉体を解き放つために導入していたグロトフスキーやシェクナーの、またそれとふれあいつつ自らヨガをはじめていた北沢方邦氏らの影響を受けて、ヨガの研究をし、沖正弘氏の三島の道場に入ったり、仲間たちでからだを動かしたりしていた。 (略)
参照1:岡島治夫作品一覧
参照2:田渕久美子の夫の死
参照3:如何に親切にならないか/同情しないで非人情に【野口晴哉先生の言葉】
by centeringkokyu
| 2008-12-15 00:03
| 本などの紹介