2008年 10月 31日
たった一本の棒が身体を変える! |
「中国武術の秘技 達人への道」からご紹介します。
鞭杵入門
▼術で動かす
鞭杵(べんかん)とは1mそこそこ直径2cmほどの木製の棒である。素人が振り回す分には多少クリーンヒットしても大事にはならなさそうな、兵器としては華奢な見かけである。しかし棒といっても立派な兵器である。従ってこれで敵に致命傷を与えるには独特な工夫、術(技)が必要となる。たった一本の棒が弱者の戦闘力を数倍上げてしまうことも可能だ。しかし術がなければただの棒切れに過ぎなくなってしまう。術あってこそ、というあたりが名門兵器の由縁であろう。
鞭杵の「鞭」とは文字通り「ムチ」だ。元々は中国北方あたりの羊飼いたちが棒に革紐をつけ、振り回して羊を追う道具であったことからこの名がついた。現代では革紐をつけず棒の部分のみ用いる。日本の杖術がこれに相当するといえるだろう。
昨今、健康志向のブームにのって様々な健康器具が売られるようになった。高価なものも少なくないうえに仰々しく凝った器具も多いようだが、思った効果が得られないのも現実のようだ。しかし鞭杵なら先人の築いた術と工夫で自分の身体の可能性に気がつくことも比較的容易であろう。
▼道具が導き出す身体の可能性
一本の棒を真っ直ぐに突き出す。たったこれだけの動作に全身が協調されなければ真に真っ直ぐ棒は動かない。これが術(技)となるのだ。ただ身体の可動範囲を広げるのではなく、身体という鋳型の中で最大限に身体を使う。これが最速にして強大な力を生み出すベースとなるのだ。
棒を規則正しく同じ軌道を往復させる。身体は精密機械のように棒を制御することが求められる。ただ振り回すだけでは手の動きだけで実は身体は動いていない。打つ、突く、払う、回す、といった目標を持つことで身体は無理無駄のない動きを「いつの間にか」行うことになる。
身体が棒を動かす、というより棒に導かれて身体が動かされている。たった一本の棒が生命を持った生き物のように動いているように見えるのは、それだけ身体が複雑な動きをこなしているからだ。型通りに棒を動かせれば、身体は自然に高度な動きをこなすことになる。目標に向かって大きく棒を動かそうとすれば必然的に大きく合理的な身体遣いが必要になる。また棒の動きそのものは小さくても威力と速度を高めようとすれば身体は「最小限に大きく」あるいは「最大限に小さく」動かなければならない。
#楽隠居です
いよいよ明日から11月になります。合気観照塾では「杖と意識」をテーマとして、年内は稽古したいと考えています。上記の本を読んでいて、偶然「鞭杵基本功」という記事を見つけました。楊進先生が紹介されているのですが、これが毎年やっている杖の稽古にそっくりだったので驚きました。私は神道夢想流の基本動作を勝手に改変して、呼吸に合わせて動く稽古をしていたのですが・・・
人間の考えることには、それほど大きな違いは無いのかもしれませんね!
参照1:杖を持っての体内操作
参照2:鞭杵講習会レポート
鞭杵入門
▼術で動かす
鞭杵(べんかん)とは1mそこそこ直径2cmほどの木製の棒である。素人が振り回す分には多少クリーンヒットしても大事にはならなさそうな、兵器としては華奢な見かけである。しかし棒といっても立派な兵器である。従ってこれで敵に致命傷を与えるには独特な工夫、術(技)が必要となる。たった一本の棒が弱者の戦闘力を数倍上げてしまうことも可能だ。しかし術がなければただの棒切れに過ぎなくなってしまう。術あってこそ、というあたりが名門兵器の由縁であろう。
鞭杵の「鞭」とは文字通り「ムチ」だ。元々は中国北方あたりの羊飼いたちが棒に革紐をつけ、振り回して羊を追う道具であったことからこの名がついた。現代では革紐をつけず棒の部分のみ用いる。日本の杖術がこれに相当するといえるだろう。
昨今、健康志向のブームにのって様々な健康器具が売られるようになった。高価なものも少なくないうえに仰々しく凝った器具も多いようだが、思った効果が得られないのも現実のようだ。しかし鞭杵なら先人の築いた術と工夫で自分の身体の可能性に気がつくことも比較的容易であろう。
▼道具が導き出す身体の可能性
一本の棒を真っ直ぐに突き出す。たったこれだけの動作に全身が協調されなければ真に真っ直ぐ棒は動かない。これが術(技)となるのだ。ただ身体の可動範囲を広げるのではなく、身体という鋳型の中で最大限に身体を使う。これが最速にして強大な力を生み出すベースとなるのだ。
棒を規則正しく同じ軌道を往復させる。身体は精密機械のように棒を制御することが求められる。ただ振り回すだけでは手の動きだけで実は身体は動いていない。打つ、突く、払う、回す、といった目標を持つことで身体は無理無駄のない動きを「いつの間にか」行うことになる。
身体が棒を動かす、というより棒に導かれて身体が動かされている。たった一本の棒が生命を持った生き物のように動いているように見えるのは、それだけ身体が複雑な動きをこなしているからだ。型通りに棒を動かせれば、身体は自然に高度な動きをこなすことになる。目標に向かって大きく棒を動かそうとすれば必然的に大きく合理的な身体遣いが必要になる。また棒の動きそのものは小さくても威力と速度を高めようとすれば身体は「最小限に大きく」あるいは「最大限に小さく」動かなければならない。
#楽隠居です
いよいよ明日から11月になります。合気観照塾では「杖と意識」をテーマとして、年内は稽古したいと考えています。上記の本を読んでいて、偶然「鞭杵基本功」という記事を見つけました。楊進先生が紹介されているのですが、これが毎年やっている杖の稽古にそっくりだったので驚きました。私は神道夢想流の基本動作を勝手に改変して、呼吸に合わせて動く稽古をしていたのですが・・・
人間の考えることには、それほど大きな違いは無いのかもしれませんね!
参照1:杖を持っての体内操作
参照2:鞭杵講習会レポート
by centeringkokyu
| 2008-10-31 00:11
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