2008年 09月 03日
気功体験からの発見 |
初級セミナーに参加してくださったTさんからの追伸をご紹介します。
いただいたテキストを読み返していて、そうそう、と思い出したことがありました。気功をやる目で、いろいろ発見があったのです。
まず「虚にきづく」というで、私は左右の比較や小さな動きの比較で、私の右足の膝から内ももを通って股関節までが、虚であったことに気づかせていただきました。この発見はとてもありがたかったです。
虚に気づけば、そこに力が伝わるようあれこれやればいいからですが、その方法が、素晴らしかった。
「息を吸いながら、ちょっと浮かせて」----こういうことを言ってくださった方は今までありませんでした。
きっと、こうして息で引き上げながら弛むことで、「勁」がスタンバイできる、というか力の伝わる道筋がニュートラルな状態になるのだと思います。
私の場合、右足をちょっと浮かせてみることで、弛んで、力の通る道筋の準備が出来たのだと思います。
「重力を感じる」これは、身体の自然にとってのニュートラルポジションをさがすこと。
せっかく弛んでニュートラルになってくれた「勁」「力の道筋」も、最初は、身体の重さや緊張によってすぐ消えてしまうくらい微妙なものだから、そうならないよう、そっと重力を感じるようにしながら丁寧に身体のポジションを整える。
私の右足は先ほどの弛んだ状態の形を保ったまま自分の重みでちょうどいい形に落ち着きました。
そして「呼吸」
息を吐いて、ニュートラルになったところに息を注ぎながらゆっくり丁寧に無理のないよう動かしてみる。そうするうちに、その息が身体を通りながら「力」になっていく。
私の場合、こわばりや緊張がなくなって、スタンバイした右足に息が満ちていく。これが、結局、勁に力がつたわっていくことだったように思います。
実は、最初はわからなかったのですけれど、何度もやってる内に、ああ、そうかとわかってきました。
「臨界点まで」
これも大切なことで、このことも滅多に言ってくれる人はありませんでした。
極まで息を吹き込、動かすから、力が行き渡り、息が届ききったときはそれしかない「型」になっていく。そして、極まで行けば、その争力もきちんと反対側の極まで動く。
私の場合、右足を伸ばしきったとき、首までその力が来ました、「首までちからがくるはず、左足はそうなっているでしょう」という声かけが、とてもヒントになりました。陰の極まで力がいったから陽の極まで力が帰ったといううことだろうと思います。
気は呼吸だという言い方もありますが、この時、目から鱗で、そのことがわかりました。
きちんと整えて、弛んで、スタンバイできて、呼吸で息を流していけば、そこに気が通り、力が生まれる。
こういう状態を作れれば、ちょっとした身体の歪みは直せるし、本気でこの方法を追求すれば、猛烈な勁力も生み出せるのだと‥‥‥。
そして最後は「つなげる」
これは、新しく身体が覚えたことを、脳にも覚えてもらうということだと思いました。
何度も、丁寧に、繰り返して、脳に覚えてもらう。正しくない練功ならやらない方がまし、というのは脳に妙なことを覚えさせないため。気功が、ゆっくりなのはこのためなのですが、やはり、きちんとここまでのプロセスを踏む、踏ませる努力がいることを、あらためて思ったことでした。
私は、家に帰って、今日は二日目になりますが、これをやってい ます。脳にはやく覚えて欲しいです。
私は以前、「このままなら、歪みを強めて身体をこわすから、こういう気功ならやめた方がいい」といわれたことがありました。脳が変なことを覚えるのは恐ろしいことです。先生がおっしゃったように、何回もやる必要はないのだと思います。繰り返す場合は、正しくやってるつもりでも、だんだんずれていくのによほど注意しないと。(こういう目で見ると、「運動」しながら身体をこわしている人がなんと多いことか)
そのほか、綺麗な「型」は、力を極まで流しきる人でないと出来ないんだなあ、と嘆息したり、先生の、顔が正面でぴたりと決まったまま、自在に動く手足に感嘆したり、まあ、ほんとに、いろいろなことを学ばせていただきました。
先日の体験が、あまりに面白くて、初めてわかった発見がたくさんあって、それが嬉しくて書いてみました。
これは、楽隠居様という象の尻尾をなでているようなものだと思っています。
ほんとに、かけがえのない体験をさせていただき、心からお礼申し上げます。
そして、これからも、どうぞお見捨てにならないよう、お願いいたします。
またお目にかかれる日を楽しみにしております。
#楽隠居です
一回だけの参加でここまで本質を掴んでいただくと、もう何も申し上げることはありません。大変有り難いことだと感謝しています。私自身は、ここまでの表現力がありませんので、こんな表現ができるんだぁ〜と感心して何度も何度も繰り返し読ませていただきました。
そして、センタリング呼吸法が、気功のエッセンスにもなると感じてくださったことは、本当に嬉しいことです。私は「同類項を簡約する」という言葉がなんとなく好きで、合気・呼吸法などの同類項を勝手に決めて簡約してきたのかもしれません。しかし、そのことが心身観照をする為の方便になるのでは・・・と考えています。
参照1:「虚」は分からない?
参照2:基本の「き」
参照3:重力を感じる
参照4:呼吸の丁寧さ・緊張と弛緩・リズムとタイミング
参照5:色々やってみて感じる
参照6:小脳トレーニング
参照7:第一回長堀教室での感想
参照8:元の木阿弥
参照9:センタリング呼吸法再考
いただいたテキストを読み返していて、そうそう、と思い出したことがありました。気功をやる目で、いろいろ発見があったのです。
まず「虚にきづく」というで、私は左右の比較や小さな動きの比較で、私の右足の膝から内ももを通って股関節までが、虚であったことに気づかせていただきました。この発見はとてもありがたかったです。
虚に気づけば、そこに力が伝わるようあれこれやればいいからですが、その方法が、素晴らしかった。
「息を吸いながら、ちょっと浮かせて」----こういうことを言ってくださった方は今までありませんでした。
きっと、こうして息で引き上げながら弛むことで、「勁」がスタンバイできる、というか力の伝わる道筋がニュートラルな状態になるのだと思います。
私の場合、右足をちょっと浮かせてみることで、弛んで、力の通る道筋の準備が出来たのだと思います。
「重力を感じる」これは、身体の自然にとってのニュートラルポジションをさがすこと。
せっかく弛んでニュートラルになってくれた「勁」「力の道筋」も、最初は、身体の重さや緊張によってすぐ消えてしまうくらい微妙なものだから、そうならないよう、そっと重力を感じるようにしながら丁寧に身体のポジションを整える。
私の右足は先ほどの弛んだ状態の形を保ったまま自分の重みでちょうどいい形に落ち着きました。
そして「呼吸」
息を吐いて、ニュートラルになったところに息を注ぎながらゆっくり丁寧に無理のないよう動かしてみる。そうするうちに、その息が身体を通りながら「力」になっていく。
私の場合、こわばりや緊張がなくなって、スタンバイした右足に息が満ちていく。これが、結局、勁に力がつたわっていくことだったように思います。
実は、最初はわからなかったのですけれど、何度もやってる内に、ああ、そうかとわかってきました。
「臨界点まで」
これも大切なことで、このことも滅多に言ってくれる人はありませんでした。
極まで息を吹き込、動かすから、力が行き渡り、息が届ききったときはそれしかない「型」になっていく。そして、極まで行けば、その争力もきちんと反対側の極まで動く。
私の場合、右足を伸ばしきったとき、首までその力が来ました、「首までちからがくるはず、左足はそうなっているでしょう」という声かけが、とてもヒントになりました。陰の極まで力がいったから陽の極まで力が帰ったといううことだろうと思います。
気は呼吸だという言い方もありますが、この時、目から鱗で、そのことがわかりました。
きちんと整えて、弛んで、スタンバイできて、呼吸で息を流していけば、そこに気が通り、力が生まれる。
こういう状態を作れれば、ちょっとした身体の歪みは直せるし、本気でこの方法を追求すれば、猛烈な勁力も生み出せるのだと‥‥‥。
そして最後は「つなげる」
これは、新しく身体が覚えたことを、脳にも覚えてもらうということだと思いました。
何度も、丁寧に、繰り返して、脳に覚えてもらう。正しくない練功ならやらない方がまし、というのは脳に妙なことを覚えさせないため。気功が、ゆっくりなのはこのためなのですが、やはり、きちんとここまでのプロセスを踏む、踏ませる努力がいることを、あらためて思ったことでした。
私は、家に帰って、今日は二日目になりますが、これをやってい ます。脳にはやく覚えて欲しいです。
私は以前、「このままなら、歪みを強めて身体をこわすから、こういう気功ならやめた方がいい」といわれたことがありました。脳が変なことを覚えるのは恐ろしいことです。先生がおっしゃったように、何回もやる必要はないのだと思います。繰り返す場合は、正しくやってるつもりでも、だんだんずれていくのによほど注意しないと。(こういう目で見ると、「運動」しながら身体をこわしている人がなんと多いことか)
そのほか、綺麗な「型」は、力を極まで流しきる人でないと出来ないんだなあ、と嘆息したり、先生の、顔が正面でぴたりと決まったまま、自在に動く手足に感嘆したり、まあ、ほんとに、いろいろなことを学ばせていただきました。
先日の体験が、あまりに面白くて、初めてわかった発見がたくさんあって、それが嬉しくて書いてみました。
これは、楽隠居様という象の尻尾をなでているようなものだと思っています。
ほんとに、かけがえのない体験をさせていただき、心からお礼申し上げます。
そして、これからも、どうぞお見捨てにならないよう、お願いいたします。
またお目にかかれる日を楽しみにしております。
#楽隠居です
一回だけの参加でここまで本質を掴んでいただくと、もう何も申し上げることはありません。大変有り難いことだと感謝しています。私自身は、ここまでの表現力がありませんので、こんな表現ができるんだぁ〜と感心して何度も何度も繰り返し読ませていただきました。
そして、センタリング呼吸法が、気功のエッセンスにもなると感じてくださったことは、本当に嬉しいことです。私は「同類項を簡約する」という言葉がなんとなく好きで、合気・呼吸法などの同類項を勝手に決めて簡約してきたのかもしれません。しかし、そのことが心身観照をする為の方便になるのでは・・・と考えています。
参照1:「虚」は分からない?
参照2:基本の「き」
参照3:重力を感じる
参照4:呼吸の丁寧さ・緊張と弛緩・リズムとタイミング
参照5:色々やってみて感じる
参照6:小脳トレーニング
参照7:第一回長堀教室での感想
参照8:元の木阿弥
参照9:センタリング呼吸法再考
by centeringkokyu
| 2008-09-03 23:11
| 参加者の感想