2008年 05月 23日
自己流合気への道? |
この写真は、武道文化総合誌「月刊武道」1979年8月号に掲載されたものです。矢印の真下にいるのが、私だったはずです?同じ頃に、落語家の鶴光さんも、何かの番組で取材に来られたような気がするのですが・・・
この年の11月には、長男が誕生しています。長女はすでに生まれていましたから、最近の家庭では、許されないような生活パターンかもしれませんねぇ〜
本当は、太極拳を習いたかったのに、成り行きで合気道をはじめたのですが、そのことが切っ掛けで、未だに合気探究を続けることになっているのですから、不思議なご縁としか言いようがないと思っています。
財団法人大阪合気会には、約4年間お世話になりました。
合気会から気の研究会を経て、大東流合気柔術六方会に入会した訳ですが、衝撃的でしたねぇ〜、だって技が合気会とも気の研究会とも違ってたんですから・・・
腕を掴んだはずなのに、訳の分からないうちに倒されて固められていたのです。腕が無くなる感じの先輩は、合気会でも気の研究会でもおられましたが、その後の衝撃と崩される速さが、全く違ったのです。しかも自由自在なので、本当に驚きました。動けば技になるというのが、こういう事かと身体で納得させていただきました。
入り身も転換も主に体内操作でやってしまうんだということに気づくまでは、ただただ不思議なだけでした。
岡本正剛先生が説明してくださる通りに技をかけても、実際には技が効かないので、入会5年目ぐらいからは、先生の説明は、ほとんど気にしなくなり、自分の感覚を確かめながら、先生の身体の使い方だけを意識して見るようにしました。そして、自分の為の練功方法を模索しながら組み立て始めたのでした。
そして、私だけが岡本先生から直接何かを教えていただいているのではないかと思われない為に、連絡事項以外は、出来るだけ先生とお話しないように気をつけていました。会員の皆さんに、岡本先生とお話していただくようにする為にも・・・??
私から会員諸氏への手紙を引用します。
平成15(2003)年5月3日 大東流合気柔術六方会大阪支部 会員の皆様へ
約16年間お世話になった六方会を、この度、退会する事に致しました。
この間、多くの方々が入会され、そして去って行かれました。
合気のことなど、全く分からない私が、少なくとも対外的には支部長もしくは代表者として名前を出すことには、大いに抵抗が有りました。
岡本先生への、単なる連絡係であることは、内部的には理解されていても、見学に来られる方には、理解出来ないことだったと思います。
その事で、がっかりして退会された方も、数多くいらっしゃる事と思います。私自身は、精一杯努めてきた積もりなのですが、なかなか上手く行かないものです。
稽古を続ける過程で、愚鈍な私には、岡本先生が教えて下さるようには、どうしても出来ませんでしたので、役に立ちそうな事は、何でも取り入れて稽古してきました。しかし、その事で、ここ数年は、古い会員さんから、「ほとんど六方会では無くなっていますね。」とのご意見も出てきた程でした。
しかし、逆に私としては、稽古が楽しくて仕方がなくなってきました。自分の身体が少しずつ変化するに従って、考え方やものの見方が変わって来るのが楽しくなったのです。勿論、このまま好き勝手な稽古を続けていると、六方会としてのけじめが付かなくなる事にも気付いていました。ですから、ここ数年は、退会するべき時期のことが、常に念頭から離れませんでした。(以下省略)
実際に自分の方向性がはっきりしてきたのは、六方会を退会してからでした。武術だという事や岡本先生の説明に、一切囚われる必要がなくなったと感じてから、本当に自己流合気探究に邁進することができるようになったと実感しています。
このブログに、これまでの資料を纏めるようになったことで、自分が影響を受けてきた本などを検索できるので、非常に便利ですし、会員諸氏からのご質問についても「ブログに書いてあるやろ?」の一言で済むようになりました。本当に便利な世の中です。そして、皆さんからの投稿も、皆さんの感覚や考え方が分かりやすくなりますし、同じような考え方をしている他の人にも、きっと参考にしていただけるのではないかと思っています。
6月からは、合気観照塾も6年目に入ります。皆さんからのご感想などをここでご紹介したいと思いますので、投稿をよろしくお願いいたします。
参照1:植芝翁を悼む
参照2:合気道の神髄
参照3:私の履歴書Vol.2
参照4:合気道の奥義
参照5:条件反射・円・呼吸
参照6:退会決意3周年
参照7:ばっちあたり?
by centeringkokyu
| 2008-05-23 00:03
| 合気観照塾