2008年 04月 15日
中韓の善悪と日本の美醜 |
「売国奴」黄文雄・呉善花・石平 3氏の対談 からご紹介します。
黄 中国のことわざに、「嘘でないのはペテン師だけ」というのがあります。だれでもが嘘をつくんで嘘をいっているという自覚がない、嘘を嘘だとわかっているのはペテン師だけだということです。中華世界では、嘘をいうのは当たり前のことなんですね。(中略)
黄 まさしく、そこにも「誠」と「詐」の対比がある。「誠」というのは馬鹿正直でもありますから、「詐」に負けてしまうというマイナスの結果になることが少なくありません。日本という国は、外交なんかで、かなりそういうことで負けているんです。
石 私は、呉さんが今いわれたことに通じるんですが、日本人は美を最高の価値として考えていると思います。私の思うところでは、日本の美学のキーワードは、「清し」あるいは「潔(いさぎよ)し」です。「清し」「潔し」も、ある意味では黄さんがおっしゃったように馬鹿正直ということですよ。馬鹿を承知の潔さ、清さという美学が日本人にあると思います。
中華圏からみれば、また中国人からみれば、まさしくそれは馬鹿以外のなにものでもありません。先にも申し上げましたけど、中国人は自分がいちばん利口だと思っていて、誰でも騙せると思っているし、誰からも騙されないと思っているわけです。
そんなに利口な者たちが集まっているならば、中国はどれほど賢い国になったのかというと、まるでなってはいない、人を騙せるのが利口なことですから、そういう利口なやつばかり集まれば、当然ながら社会がめちゃくちゃになってしまうんですね。
日本の場合は、人間の行動原理として昔の武士の時代から続く精神的な伝統があります。物事を善悪で判断するとなると、いろいるな論議が出できますが、なにが綺麗か、なにが汚いかでいくとスパッときまってしまう。複雑な論理はいらない、簡単な論理ですね。何が綺麗で何が汚いかは、簡潔な行動のルールで判断できる。そこが日本のとても興味深いところです。
善悪についてはいろいろな物差しがありますから、中国ではまあ力のある者が善だということが善に、悪だということが悪になってしまいます。日本では「お前は悪い」といわれてもあまりこたえないけれど、「お前は汚い」といわれたらものすごくこたえるんですね。
呉さんがいわれた技術の問題では、同じ技術を使うにしても、おそらくは日本人とアメリカ人の使い方ではまるで違うんです。美学的にというのと、合理的にというのとの違いがあると思います。
呉 もともとは儒教の倫理観ですが、中国も韓国も、とにかく善悪が大事なんですね。日本の美醜を大事にする観点には、さっき黄さんがおっしゃったように、やはり神道的な地層があると思います。
韓国人は目に見えるところは綺麗にしますが、目に見えないところではかなりのごまかしをやって、汚くても平気だというか、当たり前だと思っている 近代工業の物づくりでも長らくそうでしたし、今でもそういうところがあります。日本人は、誰も見ていないからちょっとごまかしてつくろうという根性が汚い、みっともないといいます。そういうことをやる人間はとても許せない、堂々とごまかしをやる者より、もっとたちが悪いという感覚がありますね。
◎中韓はどこまで近代国民国家を知っている?
石 中国は近代国民国家という形にはなっていますけれど、基本的には、昔からの一君万民の帝国の考えから脱してはいないと思います。たとえば胡錦涛は、中国国家主席であり、中国共産党中央委員会総書記であり、中国中央軍事委員会主席であり、中国共産党中央軍事委員会主席であるというように、かつての中国皇帝とまったく同じに、すべての最高権力を一身に集中させた事実上の唯一の君主なわけです。
彼に託されている役制は、近代国民国家の指導者の役割ではなく、君主としの役割なんですね。この君主が.いなければ、この国全体の仕組みが成り立たないようになっていますから、中華帝国国家から一歩も脱していないと思います。それでも中国は、我が国は西洋とは違う、独自の考えにもとづいた近代国家だというわけです。
近代国民国家の軍隊はいうまでもなく国軍、「国家の軍隊」ですが、中国には「党の軍隊」はあっても「国家の軍隊」はないんです。一部には「国家の軍隊」としての国防軍を建設すべきだという立場もあるんですが、人民解放軍はそれに強く反対しています。
たとえば、〇七年六月はじめ頃のことですが、中国人民解放軍の機関誌『解放軍報』が社説で、「軍隊の国家化に断固として反対する」と書いています。我々は国家の軍隊にはなりたくない、あくまで「党の軍隊」としてあり続けたいといっているわけです。
中国共産党はもちろん国家組織ではなく政党ですね。政党というのは、政治についての主義主張や政策で一致した私人の集まりですよ。中国では私人の集まりである共産党が軍隊をもっている。日本でいえば自民党が自衛隊もっているようなものです。とても近代国家だなんていえるわけがないんです。
人民解放軍は建軍以来、共産党指導下の「党の軍隊」としてあり続けてきました。八二年一二月に、新たに国家に中央軍事委員会(中国中央軍事委員会)が設けられました。ところが、党の中央軍事委員会(中国共産党中央軍事委員会)の主席・副主席がそのまま国家の中央軍事委員会の主席・副主席になっているんですから、ごまかし以外のなにものでもありません。人民解放軍は依然として「党の軍隊」なわけです。
#楽隠居です
日本人の考え方もどんどん変わっていますから、「モンスターペアレント」と呼ばれるような人達も出現しています。入学金を払っていないから入学式には出られないという、多分当たり前のことがニュースになっていました。詳しくは読んでいないので、なんとも言えませんが、マスコミのとり上げ方も、ちょっと疑問に思います。
そして、中国共産党がやっていることは、人権侵害ではないと考えている人権派の人々も、日本にはおられるようですねぇ〜
人間誰もが、生まれながらに持っているといわれる人権。本当に持っているんでしょうか?
参照1:チベット問題 中国の古来からの排他的な中華思想が背景
参照2:チベット騒乱に国連、沈黙のナゼ
参照3:国際連合人権委員会
参照4:売国奴
参照5:理不尽な親
黄 中国のことわざに、「嘘でないのはペテン師だけ」というのがあります。だれでもが嘘をつくんで嘘をいっているという自覚がない、嘘を嘘だとわかっているのはペテン師だけだということです。中華世界では、嘘をいうのは当たり前のことなんですね。(中略)
黄 まさしく、そこにも「誠」と「詐」の対比がある。「誠」というのは馬鹿正直でもありますから、「詐」に負けてしまうというマイナスの結果になることが少なくありません。日本という国は、外交なんかで、かなりそういうことで負けているんです。
石 私は、呉さんが今いわれたことに通じるんですが、日本人は美を最高の価値として考えていると思います。私の思うところでは、日本の美学のキーワードは、「清し」あるいは「潔(いさぎよ)し」です。「清し」「潔し」も、ある意味では黄さんがおっしゃったように馬鹿正直ということですよ。馬鹿を承知の潔さ、清さという美学が日本人にあると思います。
中華圏からみれば、また中国人からみれば、まさしくそれは馬鹿以外のなにものでもありません。先にも申し上げましたけど、中国人は自分がいちばん利口だと思っていて、誰でも騙せると思っているし、誰からも騙されないと思っているわけです。
そんなに利口な者たちが集まっているならば、中国はどれほど賢い国になったのかというと、まるでなってはいない、人を騙せるのが利口なことですから、そういう利口なやつばかり集まれば、当然ながら社会がめちゃくちゃになってしまうんですね。
日本の場合は、人間の行動原理として昔の武士の時代から続く精神的な伝統があります。物事を善悪で判断するとなると、いろいるな論議が出できますが、なにが綺麗か、なにが汚いかでいくとスパッときまってしまう。複雑な論理はいらない、簡単な論理ですね。何が綺麗で何が汚いかは、簡潔な行動のルールで判断できる。そこが日本のとても興味深いところです。
善悪についてはいろいろな物差しがありますから、中国ではまあ力のある者が善だということが善に、悪だということが悪になってしまいます。日本では「お前は悪い」といわれてもあまりこたえないけれど、「お前は汚い」といわれたらものすごくこたえるんですね。
呉さんがいわれた技術の問題では、同じ技術を使うにしても、おそらくは日本人とアメリカ人の使い方ではまるで違うんです。美学的にというのと、合理的にというのとの違いがあると思います。
呉 もともとは儒教の倫理観ですが、中国も韓国も、とにかく善悪が大事なんですね。日本の美醜を大事にする観点には、さっき黄さんがおっしゃったように、やはり神道的な地層があると思います。
韓国人は目に見えるところは綺麗にしますが、目に見えないところではかなりのごまかしをやって、汚くても平気だというか、当たり前だと思っている 近代工業の物づくりでも長らくそうでしたし、今でもそういうところがあります。日本人は、誰も見ていないからちょっとごまかしてつくろうという根性が汚い、みっともないといいます。そういうことをやる人間はとても許せない、堂々とごまかしをやる者より、もっとたちが悪いという感覚がありますね。
◎中韓はどこまで近代国民国家を知っている?
石 中国は近代国民国家という形にはなっていますけれど、基本的には、昔からの一君万民の帝国の考えから脱してはいないと思います。たとえば胡錦涛は、中国国家主席であり、中国共産党中央委員会総書記であり、中国中央軍事委員会主席であり、中国共産党中央軍事委員会主席であるというように、かつての中国皇帝とまったく同じに、すべての最高権力を一身に集中させた事実上の唯一の君主なわけです。
彼に託されている役制は、近代国民国家の指導者の役割ではなく、君主としの役割なんですね。この君主が.いなければ、この国全体の仕組みが成り立たないようになっていますから、中華帝国国家から一歩も脱していないと思います。それでも中国は、我が国は西洋とは違う、独自の考えにもとづいた近代国家だというわけです。
近代国民国家の軍隊はいうまでもなく国軍、「国家の軍隊」ですが、中国には「党の軍隊」はあっても「国家の軍隊」はないんです。一部には「国家の軍隊」としての国防軍を建設すべきだという立場もあるんですが、人民解放軍はそれに強く反対しています。
たとえば、〇七年六月はじめ頃のことですが、中国人民解放軍の機関誌『解放軍報』が社説で、「軍隊の国家化に断固として反対する」と書いています。我々は国家の軍隊にはなりたくない、あくまで「党の軍隊」としてあり続けたいといっているわけです。
中国共産党はもちろん国家組織ではなく政党ですね。政党というのは、政治についての主義主張や政策で一致した私人の集まりですよ。中国では私人の集まりである共産党が軍隊をもっている。日本でいえば自民党が自衛隊もっているようなものです。とても近代国家だなんていえるわけがないんです。
人民解放軍は建軍以来、共産党指導下の「党の軍隊」としてあり続けてきました。八二年一二月に、新たに国家に中央軍事委員会(中国中央軍事委員会)が設けられました。ところが、党の中央軍事委員会(中国共産党中央軍事委員会)の主席・副主席がそのまま国家の中央軍事委員会の主席・副主席になっているんですから、ごまかし以外のなにものでもありません。人民解放軍は依然として「党の軍隊」なわけです。
#楽隠居です
日本人の考え方もどんどん変わっていますから、「モンスターペアレント」と呼ばれるような人達も出現しています。入学金を払っていないから入学式には出られないという、多分当たり前のことがニュースになっていました。詳しくは読んでいないので、なんとも言えませんが、マスコミのとり上げ方も、ちょっと疑問に思います。
そして、中国共産党がやっていることは、人権侵害ではないと考えている人権派の人々も、日本にはおられるようですねぇ〜
人間誰もが、生まれながらに持っているといわれる人権。本当に持っているんでしょうか?
参照1:チベット問題 中国の古来からの排他的な中華思想が背景
参照2:チベット騒乱に国連、沈黙のナゼ
参照3:国際連合人権委員会
参照4:売国奴
参照5:理不尽な親
by centeringkokyu
| 2008-04-15 00:27
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