2008年 03月 27日
心で扱う |
「扱心一流本心巻」日本武道大系 同朋舎出版 から抜粋してご紹介します。慣れないとちょっと読みにくいかもしれませんが、興味のある方はご一読ください。
『口傳に云う。扱心とは心で扱ふの義なり。本心は雑念の去りて皆無に帰し、其内より自然の一物を得るを言う。古歌に、
色々の 姿に見へし 雲消えて 心はこれぞ 秋の夜の月
と云へる歌をおもひ合すべし。猶常に座をなして工夫せば妙用を発明すべし。又歌に、
浮草を かきわけ見れば 水の月 爰に有りとは 誰かしらまし』
夫扱心は敵の気を扱ふにあらず、敵対の上、己が気を自由自在に扱ふを要とす。
『口傳に云う。本心より己が気を扱ひ、気又業を扱ふ時は自然と合気をはなれて勝負の理明らか也。気につかはるゝ時は、業滞りて自由ならざるもの也。』
敵千変万化の業をなすとも止めず、敵を計らずして心気正直の運びにて活達令しむるに於いては、自ら敵の邪正、変動、強術弱の境、心鏡に徹通して勝負相分る事全理也。
『口傳に云う。打立つより表裏の業を用ひて、だましすかすとも、是にのらず、敵の業を請留むる事なく、合気を離れて正直に向かふべし。我よりかくして投げん、如何せんと計る事なく、唯心気惣身に満て間に髪を容れざるの勝負をなすべし。活達とは気のくわらりと打開き、物に滞る事なき心を云う。我本心の鏡明かなる時は、敵の邪正移りて勝を得る事、全き道理なり。』
他に臍下に心を守れと教る事あれども、当流の教に用いず、却て而心を縛して自由ならず、後には力みとなるべし。
『口傳に云う。世人常に臍下に気を錬り心を守るなどいひて陥りなづむ者あり。然る時は、是が為に業の微妙を失ふ。業を尽して天然自然と臍下に気の治る所を発明すべし。初心の内より此所に泥む時は、力みの沙汰に至る者多し。故に用いずと云う。』
當流の教は、心は心のまゝに捨置き、伸び伸びと形ちを鍛錬すれば、自ら心は外に治る所あらん哉。気止まらずんば自由に動く事全躰也。
『口傳に云う。当流の教えは心の穿鑿(せんさく)は次にして業を尽し形ちの凝りを取る事を専一とす。しかする時は自然と気治まり全躰の妙備るべし。』
修行の間、打立ちの難業を僉議(せんぎ)して、己に省み切瑳琢磨すれば敵の邪正変動強弱の境、明鏡に徹し、終には本心の位に備るべし。是當流本心の巻の肝要也と云云。
『打立つより如何様に取誥(つげ)らるゝとも、己が悪しき故と 自分をかへり見て、切磋琢磨の修行をなす時は、自然と敵の強弱鏡に物の移るがごとく心に徹し、當流の極意本心の位に至る処肝要也。能々工夫をなすべし。』
#楽隠居です
いつもの如く、私は理解してご紹介しているわけではありません。しかし、流派名がちょっと面白そうだったので、分からないながらも読んでみました。
・座をなして工夫せば妙用を発明すべし
・己が気を自由自在に扱ふを要とす
・我よりかくして投げん、如何せんと計る事なく、唯心気惣身に満て間に髪を容れざるの勝負をなすべし
・業を尽して天然自然と臍下に気の治る所を発明すべし
・自分をかへり見て、切磋琢磨の修行をなす時は、自然と敵の強弱鏡に物の移るがごとく心に徹し、當流の極意本心の位に至る処肝要也。能々工夫をなすべし
以上のように、この流派も、それほど特殊な極意を教えているわけではなさそうですね。能々工夫させていただきまぁ〜す!
参照1:武道歌撰集 一之巻
参照2:武道歌撰集 二之巻
参照3:西江水
参照4:習い・稽古・工夫
参照5:神力徹眼心
『口傳に云う。扱心とは心で扱ふの義なり。本心は雑念の去りて皆無に帰し、其内より自然の一物を得るを言う。古歌に、
色々の 姿に見へし 雲消えて 心はこれぞ 秋の夜の月
と云へる歌をおもひ合すべし。猶常に座をなして工夫せば妙用を発明すべし。又歌に、
浮草を かきわけ見れば 水の月 爰に有りとは 誰かしらまし』
夫扱心は敵の気を扱ふにあらず、敵対の上、己が気を自由自在に扱ふを要とす。
『口傳に云う。本心より己が気を扱ひ、気又業を扱ふ時は自然と合気をはなれて勝負の理明らか也。気につかはるゝ時は、業滞りて自由ならざるもの也。』
敵千変万化の業をなすとも止めず、敵を計らずして心気正直の運びにて活達令しむるに於いては、自ら敵の邪正、変動、強術弱の境、心鏡に徹通して勝負相分る事全理也。
『口傳に云う。打立つより表裏の業を用ひて、だましすかすとも、是にのらず、敵の業を請留むる事なく、合気を離れて正直に向かふべし。我よりかくして投げん、如何せんと計る事なく、唯心気惣身に満て間に髪を容れざるの勝負をなすべし。活達とは気のくわらりと打開き、物に滞る事なき心を云う。我本心の鏡明かなる時は、敵の邪正移りて勝を得る事、全き道理なり。』
他に臍下に心を守れと教る事あれども、当流の教に用いず、却て而心を縛して自由ならず、後には力みとなるべし。
『口傳に云う。世人常に臍下に気を錬り心を守るなどいひて陥りなづむ者あり。然る時は、是が為に業の微妙を失ふ。業を尽して天然自然と臍下に気の治る所を発明すべし。初心の内より此所に泥む時は、力みの沙汰に至る者多し。故に用いずと云う。』
當流の教は、心は心のまゝに捨置き、伸び伸びと形ちを鍛錬すれば、自ら心は外に治る所あらん哉。気止まらずんば自由に動く事全躰也。
『口傳に云う。当流の教えは心の穿鑿(せんさく)は次にして業を尽し形ちの凝りを取る事を専一とす。しかする時は自然と気治まり全躰の妙備るべし。』
修行の間、打立ちの難業を僉議(せんぎ)して、己に省み切瑳琢磨すれば敵の邪正変動強弱の境、明鏡に徹し、終には本心の位に備るべし。是當流本心の巻の肝要也と云云。
『打立つより如何様に取誥(つげ)らるゝとも、己が悪しき故と 自分をかへり見て、切磋琢磨の修行をなす時は、自然と敵の強弱鏡に物の移るがごとく心に徹し、當流の極意本心の位に至る処肝要也。能々工夫をなすべし。』
#楽隠居です
いつもの如く、私は理解してご紹介しているわけではありません。しかし、流派名がちょっと面白そうだったので、分からないながらも読んでみました。
・座をなして工夫せば妙用を発明すべし
・己が気を自由自在に扱ふを要とす
・我よりかくして投げん、如何せんと計る事なく、唯心気惣身に満て間に髪を容れざるの勝負をなすべし
・業を尽して天然自然と臍下に気の治る所を発明すべし
・自分をかへり見て、切磋琢磨の修行をなす時は、自然と敵の強弱鏡に物の移るがごとく心に徹し、當流の極意本心の位に至る処肝要也。能々工夫をなすべし
以上のように、この流派も、それほど特殊な極意を教えているわけではなさそうですね。能々工夫させていただきまぁ〜す!
参照1:武道歌撰集 一之巻
参照2:武道歌撰集 二之巻
参照3:西江水
参照4:習い・稽古・工夫
参照5:神力徹眼心
by centeringkokyu
| 2008-03-27 01:09
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