2008年 02月 02日
魚鼓?? |
これは我が家に伝わるお宝?です。魚の身体には梵字のようなものが描かれているのですが、私には読めません。K村さんに一度お尋ねしてみたいと思っています。
ちょっと調べてみたのですが、どうも魚鼓のようなものではないかと考えています。しかし、打ち鳴らすのではなく、尻尾の穴に紐を通して揺するのではないかと思われます。魚は、玉をくわえていないのですが、揺するとお腹のあたりで、ガラガラと音がしていますので・・・
私に似て、食いしん坊なのか、玉を飲み込んでしまったようです??
◎禅寺に釣り下げられている魚鼓
魚板、または魚鼓(ギョ・クと読む。ギョ・コと読む人も居る)は、禅寺などで、魚の形をした板を吊って、時刻の合図などに木槌で叩き鳴らすものである。良く食堂(じきどう)の前などにある。彫刻された立体的なものから、平板な板状のものものまで種々の形のものがある。魚の側面中央にある丸い模様は「撞座」と言いここを木鎚で叩く。口には龍と同じように「玉」を咥えている。形も鯉のような図柄から鯱鉾(しゃちほこ)のようなものまで様々である。
私は日本の禅宗のお寺でも度々見掛けたが、中国浙江省の台州地区の天台山に在る多くのお寺で良く見掛けた。元々禅宗の渡来と共に日本に齎されたのだろう。木魚のようにお経を唱える時の調子をとるために使われるのではなく、行事や法要など諸事の始まりを知らせるために打ち鳴らされるものである。食堂の前に在ると言うことは食事時刻を告げる時に使われるからだろう。
また、魚鼓は木魚の原形であると云われ、木魚の研究をして居る人の説明によると次第に現在の木魚の形に移行する変化を辿れるという。中国の魚鼓は彩色した大きなものが多い。お寺では精進料理で魚やその他の動物は食べないのに、「魚」とはどう言う訳だろう。
萬福寺の魚鼓
◎魚板のおはなし やさしい法話より
魚の形にて魚のようでないこの木魚よりも、私達が知っている最も魚らしい形をした法具に魚板というのがあります。
これは木魚の原形であるともいわれておりますが、この形は木魚のように体を丸めて頭と尾を付けている姿ではなく、頭から尾までを真っすぐに伸ば した、通常の魚の姿をしております。
禅宗系の寺院でよく見受けられるこの魚板ですが、その呼び名は「魚鼓」、「木魚鼓」、「邦」と様々です。
これは木魚のようにお経や御真言をお唱えする時の、調子をとる為に使わ れるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものです。
又食堂にあるこの魚板は、修業僧の食事の時の合図にも使われております。
以前に福井の「永平寺」にお参りさせていただいたおりの事ですが、参拝者から「なぜお寺なのに魚なのか?」お寺は精進料理であり魚や肉は似合わないのではないか、という質問がなさ れました。
その時説明にあたっておられた雲水(修業僧)はすかさず、「池の鯉に餌を与える時、ポンポンと石や板とか手を叩くと魚があちらこちらから集まって来るでしょう。」と笑顔でお答えになられました。
魚板の打ち鳴らす音を聞いて雲水たちが食堂に参集する様を表現したものですが、なかなかうまく言い表わしたものだと、感心いたしました。
京都の宇治にある黄壁山「万福寺」の斎堂で使われている魚板は長さ2mを超える大きさで有名です。
魚体を真っすぐに伸ばして大きな口で玉をくわえた魚のこの姿をしてここ「万福寺」では次の様に説明されておられます。
「時間の流れは二度と帰るものではなく『一期一会』なるが故に、このままの形をしている。又玉を喰えているのは私達の心になぞらえて貪・瞋・癡 の三毒を表している。
この三毒のない世界を極楽浄土と申します。」打ち鳴らされるこの魚板の音を聞いた修業僧が、少しでも自分に宿している、むさぼり・いかり・おろかさの三毒を浄化しなければいけないという意志を固めて、日々の修業に励み、み仏の御前で始める行事や儀式に参集することを意味するものです。
「我れ昔より造るところの諸の悪業は、皆、無始以来の貪・瞋・癡の三毒を因とし、身と口と意より生ずる所なり、いま一切をみ仏の前に懺悔し奉る。」
参照1:意識的呼吸
参照2:いまこのときがすばらしい一瞬
参照3:こころのしこり
参照4:呼吸による癒し
参照5:修行はあらゆる瞬間に
参照6:沈黙の泉
参照7:感情プログラミング
参照8:見つめ 観察し 問いかけ 探究する
参照9:法句経
参照10:般若心経は間違い?
参照11:悟りながら生きる
参照12:悟りながら生きる 続
参照13:悟りながら生きる 続々
参照14:ブッダは最高の治療をする
参照15:知るための訓練 スローモーション
参照16:ブタのふところ
参照17:中国儒教文化で発展した大乗仏教
参照18:修行千二百日
参照19:それは毎日の日常生活のなかにあった
参照20:スピリチュアル
参照21:いい加減に生きる
by centeringkokyu
| 2008-02-02 00:03
| 日常