2007年 11月 18日
合気の要訣 吸入・圧縮・爆発・排気 |
合気観照塾では、今月から杖を使って稽古をしています。例年は、12月に数回しか杖の稽古はしていませんでしたので、今年は杖に馴染むところからじっくり稽古しています。
杖を持つとどうしても力業になってしまって、杖と腕と股関節を連動して動かすということを忘れてしまいがちです。そこで、まず杖を「相手にくれてやる」という稽古から始めました。これが、合気道でいうところの「争わない」という表現にも通じるのだと思われますが、この合気以前の体内操作が、合気につながるかどうかの決定的な要素になるはずだと考えています。
ここで「愛」という表現になってしまうと、「陰極まりて陽になる」というような発想の転換はできなくなるはずです。相手からの力と意識に臨機応変に対応する稽古をするわけですから、常に意識をつけておくことが一番大切だと思っています。
杖を力一杯握っている相手を、大きな円運動で導いて崩すということは不可能ですから、杖の芯と自分と相手の手の内、さらには自分と相手の分目をどのように使うかという工夫をする必要がでてきます。理屈ではなく、相手にいろいろな持ち方や負荷のかけ方をしてもらって、お互いに欠点を見つけて修正しあうというのが相対稽古の目的になっています。「吸入・圧縮・爆発・排気」なんてことも、合気の要訣として言ったこともありましたっけ・・・
相手の中心や崩すことだけを考えていると、どうしても前傾姿勢になったり、首から頭部が出過ぎたりしがちです。勿論、視線と意識の使い方にも工夫がいります。
力のベクトルと意識のベクトルの合成なんていう訳の分からない説明をしていますが、無視して稽古していただきたいと思います。技ができれば何の説明も不要ですから・・・
前回の稽古では、整骨院で働きながら専門学校で勉強しておられる方が、偶然お二人見学にこられました。お一人は、H多さんが院長をしている治療院で働いておられる方。この方は、すでに鍼灸の免許はもっておられるとのことでした。もうお一人は、M岡さんが専門学校で知り合った方でした。
お一人は、あまりにも身体のバランスが悪かったので、稽古の前にご自分の身体の現状認識をしていただいてから、少しだけ調整してみました。「非常に楽になりました。でも、分かりません!」という感想でした。杖を持って相手を倒そうとしたり、堪えたりしたので稽古の後には、また少し腰が痛くなったということでした。私にしたら、「自分の身体の使い方に問題があるといことが分かって良かったね!」と思ったのですが、ご本人は「理解できない。筋肉を鍛えればいいんですか?」と言っておられました。
専門学校で勉強しながら、治療院で働いている人でさえこの程度の考え方なんですから、一般の人に、「まず自分の癖に気づいて、それを修正していってください。」なんて言っても、なかなか理解してもらえないはずですね!「習い・稽古・工夫」などということは、全く考えもしないで、科学的な理論を理解しないと動けないと、思考停止状態に陥っているのかもしれませんね!専門学校で生理学などを習えば治療できるようになると思っているのなら、何も工夫する必要はありませんからねぇ〜
ところで今日は、同居人の弟夫婦が拙宅にこられました。主な用件?は、同居人の方にあったのですが、それはなぜか直ぐに終わり、義弟は冷やしたらしく腰痛になって困っているということでした。奥さんの方も腰痛と肩こりがひどいということでしたので、センタリング呼吸法をしてもらいながら少し調整してみました。奥さんの方は、中心塾長堀教室に数回出席してくださっていましたので、2〜3回呼吸しただけで「楽になった、不思議?」とつぶやいておられました。
義弟は車に乗り込む時に「あっ!腰が全然痛くない。有難うございました。」と言って、にこやかに去って行きました。めでたしめでたし・・・
杖を持つとどうしても力業になってしまって、杖と腕と股関節を連動して動かすということを忘れてしまいがちです。そこで、まず杖を「相手にくれてやる」という稽古から始めました。これが、合気道でいうところの「争わない」という表現にも通じるのだと思われますが、この合気以前の体内操作が、合気につながるかどうかの決定的な要素になるはずだと考えています。
ここで「愛」という表現になってしまうと、「陰極まりて陽になる」というような発想の転換はできなくなるはずです。相手からの力と意識に臨機応変に対応する稽古をするわけですから、常に意識をつけておくことが一番大切だと思っています。
杖を力一杯握っている相手を、大きな円運動で導いて崩すということは不可能ですから、杖の芯と自分と相手の手の内、さらには自分と相手の分目をどのように使うかという工夫をする必要がでてきます。理屈ではなく、相手にいろいろな持ち方や負荷のかけ方をしてもらって、お互いに欠点を見つけて修正しあうというのが相対稽古の目的になっています。「吸入・圧縮・爆発・排気」なんてことも、合気の要訣として言ったこともありましたっけ・・・
相手の中心や崩すことだけを考えていると、どうしても前傾姿勢になったり、首から頭部が出過ぎたりしがちです。勿論、視線と意識の使い方にも工夫がいります。
力のベクトルと意識のベクトルの合成なんていう訳の分からない説明をしていますが、無視して稽古していただきたいと思います。技ができれば何の説明も不要ですから・・・
前回の稽古では、整骨院で働きながら専門学校で勉強しておられる方が、偶然お二人見学にこられました。お一人は、H多さんが院長をしている治療院で働いておられる方。この方は、すでに鍼灸の免許はもっておられるとのことでした。もうお一人は、M岡さんが専門学校で知り合った方でした。
お一人は、あまりにも身体のバランスが悪かったので、稽古の前にご自分の身体の現状認識をしていただいてから、少しだけ調整してみました。「非常に楽になりました。でも、分かりません!」という感想でした。杖を持って相手を倒そうとしたり、堪えたりしたので稽古の後には、また少し腰が痛くなったということでした。私にしたら、「自分の身体の使い方に問題があるといことが分かって良かったね!」と思ったのですが、ご本人は「理解できない。筋肉を鍛えればいいんですか?」と言っておられました。
専門学校で勉強しながら、治療院で働いている人でさえこの程度の考え方なんですから、一般の人に、「まず自分の癖に気づいて、それを修正していってください。」なんて言っても、なかなか理解してもらえないはずですね!「習い・稽古・工夫」などということは、全く考えもしないで、科学的な理論を理解しないと動けないと、思考停止状態に陥っているのかもしれませんね!専門学校で生理学などを習えば治療できるようになると思っているのなら、何も工夫する必要はありませんからねぇ〜
ところで今日は、同居人の弟夫婦が拙宅にこられました。主な用件?は、同居人の方にあったのですが、それはなぜか直ぐに終わり、義弟は冷やしたらしく腰痛になって困っているということでした。奥さんの方も腰痛と肩こりがひどいということでしたので、センタリング呼吸法をしてもらいながら少し調整してみました。奥さんの方は、中心塾長堀教室に数回出席してくださっていましたので、2〜3回呼吸しただけで「楽になった、不思議?」とつぶやいておられました。
義弟は車に乗り込む時に「あっ!腰が全然痛くない。有難うございました。」と言って、にこやかに去って行きました。めでたしめでたし・・・
by centeringkokyu
| 2007-11-18 21:30
| 合気の要訣