2007年 10月 20日
医療と介護の役割分担 |
「リハビリテーションという幻想」三好春樹×高口光子著からご紹介します。
高口 医療にとって「あきらめる」ことは敗北だという感じがあります。常に可能性と挑戦をもって人に関わることが医療職の誠意だとされてきました。だから、医療従事者である限りあきらめてはならないし、または常に可能性を探らなければならない。敗北の旗を簡単にあげてはならない、その執念にも似た思いが医療従事者の魂である、というように叩き込まれてきました。でも実際に、治らない人は治らないし、死ぬ人は死ぬし、弱っていく人は弱っていきます。それをまず医療従事者の側が理解する必要があります。家族があきらめたり、本人があきらめたりすると、専門職として「あなたに頼ることをあきらめました」と言われたような気がして焦ることもあるでしょう。でもそこからが大事なんです。
三好 病気や障害、老化をあってはならないものとしてとらえている限り、治る可能性を信じていくしかない状況に追い込まれます。そして、治らない人は見捨てられていくことになります。
高ロ だから治療の「対象外」という言葉が生まれたりするんですね。
三好 がんばって治療しても、治るものは治るし、治らないものは治らない、と開き直ったほうがいい。自分の専門性の範囲を明確にして、できる範囲はここまでだと宣言したほうがいいと思います。できる範囲さえきちんと保証していけば、医療も大人になれる気がします。
高口 でも、そう言ってしまうと、もうできることが少ないことが直観的にわかっている患者さんもいるので、職域や権限が狭まるのは目に見えていますよ。
三好 いや、だからこそ、医療がもっている知識や技術を介護の世界にどう生かせばいいのか、生活行為にどうつなげていけばいいのか、というふうに逆の発想をしてほしいんです。医療の側ができる範囲を明確にしたほうがいいと思います。
高口 でも医療職は、それを認めた途端に、立場、権限、権利を失うのではないかと不安になります。そのこと自体が幻想のような気もしますが。
三好 幻想の中に浸かっていたいという気持ちがあるからでしょうね。
高口 老いや障害という人間の「自然」に向き合ったとき、人間ができることには限りがあると率直な思いを言葉にして、何も失うものなんかないと認めてしまったほうが楽になって、そこから次の展開が開けるということはあります。介護現場でお年寄りと正面から関わっている人は、もうとっくにその域を超えているのでしょうが、職能団体となると、その幻想を手放したくないんでしょうね。
三好 医療職は、介護というものが、自分たちの発想や方法論を大胆に変えていかなければならないものとして登場したとは思っていないんですね。自分たちの側から見た一方的な位置づけしかしていません。介護の側から医療やリハビリの限界が見えているとは思っていないから、自分たちの補完物としかみていないのでしょう。
高口 老人がいきいきするには、集団の中で出てくる個性と、互いに向き合ったときの個性と、両方を引き出さなければなりません。さらに、日常の中で発揮される個性と、非日常の中で発揮される個性と、いくつもの多様で多面的な老人を、生活の中で引き出す必要があるんです。
ところが、疾患を中心にみていく空気が蔓延している医療の世界では、なかなか多様な人間観をもち込むのは難しいようです。足なら足に限定した治療しかできず、ほかの分野には絶対に触れさせない世界だからです。医療制度の中で立場、責任、収入を互いにおかすことなくきちんと確保しようとしてやっているだけだということになる。
逆に、施設、地域、家庭での介護がおもしろいのは、そこに複雑さや多様性があるからです。そうした介護を、なんとなく結論が出ない曖昧なものとしてとらえるか、結論が出ないからこそおもしろいと思うかは、その人の考え方次第だと思います。
三好 医療職も自分たちの限界に気づいているのでしょう。でも、「治せるはずだ」「治さなければいけない」という幻想にとらわれて思考が停止しているのではないでしょうか。もちろん治せる部分は専門性を発揮して治してほしい。けれど、そうじゃないところはそうじゃないと、本人たちがまずはっきりさせるべきです。
参照1:心の集注密度
参照2:治療といふこと
こちらもどうぞ!
■診療報酬に成果主義導入・厚労省方針、まず回復期リハビリで
[2007年10月4日/日本経済新聞 朝刊]
厚生労働省は医師の医療行為に払う診療報酬に、初めて成果主義を導入する方針を固めた。まず病状回復期のリハビリ病棟への報酬点数を、病状の改善度合いに応じて加減する。11月にも中央社会保険医療協議会(中医協)に具体的な検討を求める。リハビリ病棟への入院患者を減らし、膨張する医療費を抑える狙いだ。ただ、改善度合いを評価する基準の策定や、誰が評価するかなどを巡って調整が難航する可能性もある。
診療報酬は医療行為ごとに個別に点数が決まっており、病状の改善度合いを反映する仕組みにはなっていない。医療費増に歯止めをかけるため、見直しに乗り出す。
■介護労働の検討チームを設置 厚労省
介護サービス事業者の厳しい運営実態や介護労働者の劣悪な労働環境などが社会問題になっている中、厚生労働省は10月15日までに、介護報酬改定に向けて介護事業者と介護労働者の実態把握を行うワーキングチームを「社会保障審議会介護給付費分科会」に設置することを決めた。
コムスン問題を契機として、介護労働者の低賃金を要因とした深刻な人材不足などが明らかになった。財団法人介護労働安定センターが昨年10月に事業主を対象に実施した調査では、「労働者が不足している」とした訪問介護事業者は63.1%にも上った。
ワーキングチームの設置は、10月12日開催の同分科会の会合で正式に了承。事業団体や労働者団体などから3回程度のヒアリングを行い、12月には同分科会に取りまとめた結果を報告する。
メンバーは池田省三・龍谷大学教授、田中滋・慶応義塾大学教授、堀田聰子・東京大学助教授、村川浩一・日本社会事業大学教授。
高口 医療にとって「あきらめる」ことは敗北だという感じがあります。常に可能性と挑戦をもって人に関わることが医療職の誠意だとされてきました。だから、医療従事者である限りあきらめてはならないし、または常に可能性を探らなければならない。敗北の旗を簡単にあげてはならない、その執念にも似た思いが医療従事者の魂である、というように叩き込まれてきました。でも実際に、治らない人は治らないし、死ぬ人は死ぬし、弱っていく人は弱っていきます。それをまず医療従事者の側が理解する必要があります。家族があきらめたり、本人があきらめたりすると、専門職として「あなたに頼ることをあきらめました」と言われたような気がして焦ることもあるでしょう。でもそこからが大事なんです。
三好 病気や障害、老化をあってはならないものとしてとらえている限り、治る可能性を信じていくしかない状況に追い込まれます。そして、治らない人は見捨てられていくことになります。
高ロ だから治療の「対象外」という言葉が生まれたりするんですね。
三好 がんばって治療しても、治るものは治るし、治らないものは治らない、と開き直ったほうがいい。自分の専門性の範囲を明確にして、できる範囲はここまでだと宣言したほうがいいと思います。できる範囲さえきちんと保証していけば、医療も大人になれる気がします。
高口 でも、そう言ってしまうと、もうできることが少ないことが直観的にわかっている患者さんもいるので、職域や権限が狭まるのは目に見えていますよ。
三好 いや、だからこそ、医療がもっている知識や技術を介護の世界にどう生かせばいいのか、生活行為にどうつなげていけばいいのか、というふうに逆の発想をしてほしいんです。医療の側ができる範囲を明確にしたほうがいいと思います。
高口 でも医療職は、それを認めた途端に、立場、権限、権利を失うのではないかと不安になります。そのこと自体が幻想のような気もしますが。
三好 幻想の中に浸かっていたいという気持ちがあるからでしょうね。
高口 老いや障害という人間の「自然」に向き合ったとき、人間ができることには限りがあると率直な思いを言葉にして、何も失うものなんかないと認めてしまったほうが楽になって、そこから次の展開が開けるということはあります。介護現場でお年寄りと正面から関わっている人は、もうとっくにその域を超えているのでしょうが、職能団体となると、その幻想を手放したくないんでしょうね。
三好 医療職は、介護というものが、自分たちの発想や方法論を大胆に変えていかなければならないものとして登場したとは思っていないんですね。自分たちの側から見た一方的な位置づけしかしていません。介護の側から医療やリハビリの限界が見えているとは思っていないから、自分たちの補完物としかみていないのでしょう。
高口 老人がいきいきするには、集団の中で出てくる個性と、互いに向き合ったときの個性と、両方を引き出さなければなりません。さらに、日常の中で発揮される個性と、非日常の中で発揮される個性と、いくつもの多様で多面的な老人を、生活の中で引き出す必要があるんです。
ところが、疾患を中心にみていく空気が蔓延している医療の世界では、なかなか多様な人間観をもち込むのは難しいようです。足なら足に限定した治療しかできず、ほかの分野には絶対に触れさせない世界だからです。医療制度の中で立場、責任、収入を互いにおかすことなくきちんと確保しようとしてやっているだけだということになる。
逆に、施設、地域、家庭での介護がおもしろいのは、そこに複雑さや多様性があるからです。そうした介護を、なんとなく結論が出ない曖昧なものとしてとらえるか、結論が出ないからこそおもしろいと思うかは、その人の考え方次第だと思います。
三好 医療職も自分たちの限界に気づいているのでしょう。でも、「治せるはずだ」「治さなければいけない」という幻想にとらわれて思考が停止しているのではないでしょうか。もちろん治せる部分は専門性を発揮して治してほしい。けれど、そうじゃないところはそうじゃないと、本人たちがまずはっきりさせるべきです。
参照1:心の集注密度
参照2:治療といふこと
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■診療報酬に成果主義導入・厚労省方針、まず回復期リハビリで
[2007年10月4日/日本経済新聞 朝刊]
厚生労働省は医師の医療行為に払う診療報酬に、初めて成果主義を導入する方針を固めた。まず病状回復期のリハビリ病棟への報酬点数を、病状の改善度合いに応じて加減する。11月にも中央社会保険医療協議会(中医協)に具体的な検討を求める。リハビリ病棟への入院患者を減らし、膨張する医療費を抑える狙いだ。ただ、改善度合いを評価する基準の策定や、誰が評価するかなどを巡って調整が難航する可能性もある。
診療報酬は医療行為ごとに個別に点数が決まっており、病状の改善度合いを反映する仕組みにはなっていない。医療費増に歯止めをかけるため、見直しに乗り出す。
■介護労働の検討チームを設置 厚労省
介護サービス事業者の厳しい運営実態や介護労働者の劣悪な労働環境などが社会問題になっている中、厚生労働省は10月15日までに、介護報酬改定に向けて介護事業者と介護労働者の実態把握を行うワーキングチームを「社会保障審議会介護給付費分科会」に設置することを決めた。
コムスン問題を契機として、介護労働者の低賃金を要因とした深刻な人材不足などが明らかになった。財団法人介護労働安定センターが昨年10月に事業主を対象に実施した調査では、「労働者が不足している」とした訪問介護事業者は63.1%にも上った。
ワーキングチームの設置は、10月12日開催の同分科会の会合で正式に了承。事業団体や労働者団体などから3回程度のヒアリングを行い、12月には同分科会に取りまとめた結果を報告する。
メンバーは池田省三・龍谷大学教授、田中滋・慶応義塾大学教授、堀田聰子・東京大学助教授、村川浩一・日本社会事業大学教授。
by centeringkokyu
| 2007-10-20 00:03
| 本などの紹介