2007年 10月 12日
ハット&サスペンダー |
写真は、上原清吉先生 (うえはら せいきち、1904年3月24日 - 2004年4月3日)です。
Wikipedia上原清吉から抜粋してご紹介します。本部朝勇の高弟の一人であり、本部御殿手古武術の第12代宗家。
昭和57年(1982年)、上原は全沖縄空手古武道連合会の会長に就任した。昭和59年(1984年)、勲六等単光旭日章を受章、昭和60年(1985年)には、日本古武道協会より古武道功労者表彰を受賞した。平成16年(2004年)4月3日、上原清吉は老衰のため死去した。享年百歳。本部御殿手は、本部朝基の子息で本部流宗家・本部朝正が継承して、再び本部家に戻った。
非常に温厚で人当たりの良い性格のため、様々な空手家、武術家から尊敬を受けており高い技術力と相俟って、沖縄武術界では高い評価を受けていた。その一つのエピソードとして、作家の菊地秀行が「沖縄古武術の大家」に取材しようとした時、菊池の少林寺拳法の師であった伊藤昇に誰が良いか相談したところ、上原清吉の名前を出されたという。実力について菊池が「誰からも文句の出ない人がいいのですが」と聞いたところ伊藤は「絶対に出ませんよ」と保証した。取材に来る武術雑誌の記者と記念写真を撮る時も、肩を並べ手を繋いだり肩を組んだりとフレンドリーで気さくな人柄であった。
また弟子に対する気遣いも深く、ある武術大会で武術師範が弟子と演武をして弟子を打ったり蹴ったりして血まみれになる光景を見て気分を害し「稽古で弟子に怪我を負わせる先生と言うのは、自ら指導する力量が無いことを表してるようなものだ。」と語った。御殿手の稽古も大変厳しいが、それでもなお稽古で重大な怪我人を出してないのは弟子たちを遥かに凌駕する実力の持ち主であったからなのである。
なお、上原清吉が八光流柔術の講習を受けた記録があることから、本部御殿手の取手術は八光流の影響を受けているのではないかと主張する研究者がいたが、本部御殿手側の資料提供により、この説を唱えた研究家が雑誌上で謝罪するなどして、この説は否定された。
#楽隠居です
たまたま古い雑誌を読み直していて、この写真が目に入りました。ちょうど、骨盤底・横隔膜・頸椎についていろいろ検証していたところでしたので、ハット&サスペンダーという稽古着も実用的だし、ちょっとお洒落かな?と思ったというだけのことなんです。とても上原先生のレベルを目指すなんてことは出来ませんから・・・
こんな稽古着で、『あくび』と『鼻つまみ者』を稽古してみたいと、ふと思ったんですヨ!!
参照1:合気道の体をつくる
参照2:私のバレエ周辺
追記
実際に鼻をつまんだら、こんなことも出来るんですね!
10月4日、中国の広州で行われたイベントでは男性が目から牛乳を出すパフォーマンス(2007年 ロイター/Joe Tan)
by centeringkokyu
| 2007-10-12 00:03
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