2007年 09月 24日
剣道修行と呼吸 |
「羽賀準一 剣道遺稿集」 堂本昭彦編著から抜粋してご紹介します。
◆平常心を維持するための正しい呼吸法
古来の剣道書は、呼吸、のことに関してはほとんどふれていません。現在でも、一般的に呼吸のことには無関心のかたが多いように思われます。しかし、呼吸は生物が腹の中にいるときから、生まれて死に至るまで、絶対に必要なものです。
たとえば交通事故などの現場で重傷を負っているひとを見たとき、ああまだ息がある、とささやかれる。息があるということは生きているということである。すなわち人間は生命のあるかぎり息をするものであり、息をとめたとき死に移行するのである。このように人間、生命のあるかぎり、一刻も呼吸を休むことはできないのであります。
呼吸の種類を大別すると、荒い呼吸、普通の呼吸、弱い呼吸の三つになります。荒い呼吸は病気で熱の出たとき、腹をたてたとき、運動をして疲労したときの呼吸。弱い呼吸とは病弱なひと、不健康なひとの呼吸。普通の呼吸とは健康なひとが怒ったり驚いたりしないときの呼吸で、医学的に正しい呼吸というのは一分間に十八回から二十回だそうです。
わたしども剣道を修行するものは、いかにはげしく打ち合いをしても、できるだけ平常の呼吸ができるように心がけなければなりません。それでは、はげしい運動をして呼吸が荒くならない方法があるかというと、それは絶対にない。格闘技の場合、修練によって普通のひとよりいくらかながくつづける程度は可能ですが、もっと必要なことは、はげしい運動のあいだにいかに呼吸を調節するかにあります。
なにゆえに呼吸がたいせつか。運動や競技ばかりではありません。人間が正しい生活をしていく場合、商人も学者も医師も、あらゆる仕事に従事するひとびとにとって呼吸はたいせつです。ひとはだれでも、怒ったときは呼吸が荒くなり、びっくりしたときには呼吸がとまる。商売をするについても、感情がたかぶっては問題になりません。医師が患者を診察し、手術でもするときに、呼吸に乱れがあったのではお話にならない。
昔から阿吽の呼吸とか、呼吸を合わせてとか、意気投合とか、呼吸(息づかい)に関していろいろなことばがあります。阿吽とは気息の出入りのこと、密教では一切方法の始終ともいっている由。剣道修行における息づかいについては、不幸にしてまだなにか書かれたものを見ていません。筆にするにはあまりにも困難なのか、一子相伝の思想のためか、判断しかねますが、わたしとしては剣道を学ばれるかたに呼吸がいかにたいせつかということを知っていただいて、そのあとはみなさんの精進におまかせしたい。
呼吸は胸式、腹式とさらに逆腹式の三つに分かれます。呼吸は意思の力である程度、速くも遅くもできるものだが、身体や精神に変化があると敏感に反応します。剣道の修行において、平常心是道、という教えがありますが、平常心を維持するということはいかなるときでも呼吸が平静であるということであります。
◆正しい呼吸法は正しい姿勢を保つことから
近頃の剣道はどうもそうではないようだが、普通、剣道を学ぶには姿勢を正しく保つことから習います。姿勢とは文字のごとく姿に勢いのあることをいいます。無理な姿勢を継続して永年練習をすると、筋肉のつき方が片側に偏して、生まれながらの体とはかなり異なった姿になるものである。ゆえに、平素の姿勢には十分注意をしなければならぬ。呼吸も正しい姿勢でなければ逆腹式呼吸はできにくい。丹田に力を入れて呼吸するのは、姿勢が悪くては不可能であります。
剣道稽古の場合、基本動作の段階を終えると、打ち込み・掛り稽古にはいる。ここで十分に腰のはいった人間に育てないと、腰のはいらないわるい姿の稽古で一生涯を終えることになります。正しい呼吸を教えると同時に、腰の十分はいった打ち込み、体当たりを教えることがたいせつです。実戦的な呼吸法を体得させると、技の進歩すなわち慣れの進行にともなってほがらかなゆとりができることは、注意すべきであります。
この段階までに十分な基礎鍛練をしておかないと、小手先剣道になって、雄大にして位のある剣道にはなりにくいものであります。
大事は常の稽古からと申します。 (昭和三十七年十月二十二日)
#楽隠居です
この本の「序章 剣客」に興味深い記述がありましたので、引用します。
羽賀道場の入門者は剣道修行者にかぎらなかった。読売ジャイアンツからは荒川博、広岡達朗、須藤豊、王貞治、大毎オリオンズからは榎本喜八などのプロ野球選手が入門して、竹刀による面打ちや真剣による巻き藁斬りなどを通じ、手の内、の真髄を学んだ。「球は打つのでなく斬るのである」という羽賀準一の教えを受けたかれらがついに打撃開眼し、史上に残る好成績を記録しつづけたことは特記しておいてよい。(引用終わり)
王貞治氏に関しては、気の研究会の藤平光一会長に統一道を学んだともいわれています。また、最近出版された「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」には、津本陽氏は、昭和62年7月3日取材に訪れて先生の業のすごさに仰天し、即日入門された。ある日、野球の王貞治氏と、日本空手協会現会長中原伸之氏を同道されて来場し、両氏は体験入門された。と記され、その折の写真も掲載されていました。
◆平常心を維持するための正しい呼吸法
古来の剣道書は、呼吸、のことに関してはほとんどふれていません。現在でも、一般的に呼吸のことには無関心のかたが多いように思われます。しかし、呼吸は生物が腹の中にいるときから、生まれて死に至るまで、絶対に必要なものです。
たとえば交通事故などの現場で重傷を負っているひとを見たとき、ああまだ息がある、とささやかれる。息があるということは生きているということである。すなわち人間は生命のあるかぎり息をするものであり、息をとめたとき死に移行するのである。このように人間、生命のあるかぎり、一刻も呼吸を休むことはできないのであります。
呼吸の種類を大別すると、荒い呼吸、普通の呼吸、弱い呼吸の三つになります。荒い呼吸は病気で熱の出たとき、腹をたてたとき、運動をして疲労したときの呼吸。弱い呼吸とは病弱なひと、不健康なひとの呼吸。普通の呼吸とは健康なひとが怒ったり驚いたりしないときの呼吸で、医学的に正しい呼吸というのは一分間に十八回から二十回だそうです。
わたしども剣道を修行するものは、いかにはげしく打ち合いをしても、できるだけ平常の呼吸ができるように心がけなければなりません。それでは、はげしい運動をして呼吸が荒くならない方法があるかというと、それは絶対にない。格闘技の場合、修練によって普通のひとよりいくらかながくつづける程度は可能ですが、もっと必要なことは、はげしい運動のあいだにいかに呼吸を調節するかにあります。
なにゆえに呼吸がたいせつか。運動や競技ばかりではありません。人間が正しい生活をしていく場合、商人も学者も医師も、あらゆる仕事に従事するひとびとにとって呼吸はたいせつです。ひとはだれでも、怒ったときは呼吸が荒くなり、びっくりしたときには呼吸がとまる。商売をするについても、感情がたかぶっては問題になりません。医師が患者を診察し、手術でもするときに、呼吸に乱れがあったのではお話にならない。
昔から阿吽の呼吸とか、呼吸を合わせてとか、意気投合とか、呼吸(息づかい)に関していろいろなことばがあります。阿吽とは気息の出入りのこと、密教では一切方法の始終ともいっている由。剣道修行における息づかいについては、不幸にしてまだなにか書かれたものを見ていません。筆にするにはあまりにも困難なのか、一子相伝の思想のためか、判断しかねますが、わたしとしては剣道を学ばれるかたに呼吸がいかにたいせつかということを知っていただいて、そのあとはみなさんの精進におまかせしたい。
呼吸は胸式、腹式とさらに逆腹式の三つに分かれます。呼吸は意思の力である程度、速くも遅くもできるものだが、身体や精神に変化があると敏感に反応します。剣道の修行において、平常心是道、という教えがありますが、平常心を維持するということはいかなるときでも呼吸が平静であるということであります。
◆正しい呼吸法は正しい姿勢を保つことから
近頃の剣道はどうもそうではないようだが、普通、剣道を学ぶには姿勢を正しく保つことから習います。姿勢とは文字のごとく姿に勢いのあることをいいます。無理な姿勢を継続して永年練習をすると、筋肉のつき方が片側に偏して、生まれながらの体とはかなり異なった姿になるものである。ゆえに、平素の姿勢には十分注意をしなければならぬ。呼吸も正しい姿勢でなければ逆腹式呼吸はできにくい。丹田に力を入れて呼吸するのは、姿勢が悪くては不可能であります。
剣道稽古の場合、基本動作の段階を終えると、打ち込み・掛り稽古にはいる。ここで十分に腰のはいった人間に育てないと、腰のはいらないわるい姿の稽古で一生涯を終えることになります。正しい呼吸を教えると同時に、腰の十分はいった打ち込み、体当たりを教えることがたいせつです。実戦的な呼吸法を体得させると、技の進歩すなわち慣れの進行にともなってほがらかなゆとりができることは、注意すべきであります。
この段階までに十分な基礎鍛練をしておかないと、小手先剣道になって、雄大にして位のある剣道にはなりにくいものであります。
大事は常の稽古からと申します。 (昭和三十七年十月二十二日)
#楽隠居です
この本の「序章 剣客」に興味深い記述がありましたので、引用します。
羽賀道場の入門者は剣道修行者にかぎらなかった。読売ジャイアンツからは荒川博、広岡達朗、須藤豊、王貞治、大毎オリオンズからは榎本喜八などのプロ野球選手が入門して、竹刀による面打ちや真剣による巻き藁斬りなどを通じ、手の内、の真髄を学んだ。「球は打つのでなく斬るのである」という羽賀準一の教えを受けたかれらがついに打撃開眼し、史上に残る好成績を記録しつづけたことは特記しておいてよい。(引用終わり)
王貞治氏に関しては、気の研究会の藤平光一会長に統一道を学んだともいわれています。また、最近出版された「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」には、津本陽氏は、昭和62年7月3日取材に訪れて先生の業のすごさに仰天し、即日入門された。ある日、野球の王貞治氏と、日本空手協会現会長中原伸之氏を同道されて来場し、両氏は体験入門された。と記され、その折の写真も掲載されていました。
by centeringkokyu
| 2007-09-24 00:03
| スポーツ関連