2007年 09月 05日
びょうきのほん |
「びょうきのほん」山田真・文 柳生弦一郎・絵
第一巻には、おたふくかぜ、水ぼうそう、とびひ、ぼうこうえん、そして、かぜのことがでてきます。
第二巻には、しんぞう、じんぞう、ぜんそく、そして、こうじょうせんのことがでてきます。
第三巻には、もうちょう、こうがん、ほね、ケガの手当、などのことがでてきます。
第三巻から抜粋してご紹介します。
◎病気とのじょうずなつきあい方
とにかく、病気ってものに、ぼくらは死ぬまでに1度もかからないってわけにはいかない。どんなにがんじょうなひとでも、1度や2度は、大きな病気をするはずだ。そうだとすると、病気を敵って思うよりは、友だちと思って、じょうずなつきあい方を身につけるほうがいいだろうって、ぼくは思うんだ。病気には、マイナスのところだけじゃなくて、プラスのところもあるんだから、そのプラスのところを生かすことをかんがえようという提案さ。
むかしから、有名な作家や画家、音楽家などで、病気になってから、すぐれた作品をうみだしたってひとは、たくさんいる。病気になると、健康なときにはかんじられなかったものを、かんじとれることがあるらしい。きみたちも病気になったら、これをチャンスに、すごい芸術家になれるかもしれないってかんがえたりして、まわりのものをしっかりみつめたり、ききとったりするようにすると、ほんとうに、すてきな作品をうみだせるかもしれないんだよ。
病気ってのは、なかなか興味のあるものなんだ。
◎病気って、みりょくてき!!
このごろ、どうも健康第一、健康でなくちゃしょうがないっていうふうにばかり、いわれるようになって、自分は病気じゃないか、病気になったらどうしようって、しんぱいしつづけてるひとがふえてきてる。
きみたちぐらいの年令の子どもが、『ぼく、ガンじゃないでしょうか』なんて、しんぱいして病院にくることがある。これは、しんぱいのしすぎだよなあ。健康になろうって、いっしょうけんめいかんがえすぎたおかげで、からだのぐあいが悪くなるなんてつまんない話だろう。
病気にならないように、ならないようにって、いろんなことをがまんして生活するのも、あんまりおもしろくない。
やっぱり人間、むちゃをすることがあってもいいと思うんだな。
本を読みはじめたら、あんまりおもしろくて、夜おそくまで読んじゃってねぶそくになった。そのおかげで、かぜひいちゃったなんてことがあっても、それはそれでいいことじゃないか。ぼくは、そう思う。
あんまりおいしかったんで食べすぎて、おなかがいたくなったなんていうのも、べつに、きにすることはない。おいしかったんだから、よかったんだってぼくは思う。
ぼくはむかし、雪の上で、はだかでねころがったらきもちがいいだろうなあと思って、ねころがったことがある。つめたいけど、おもしろかった。そのあとで、キッチリかぜひいちゃったけど、でも、1度雪の上ではだかでねころがるっていう経験は、ぼくにはだいじなことだったから、後悔はしなかった。
自分が、なにかをどうしてもしてみたいというきもちがあふれでて、そのために健康のこともわすれて、そのことをしてしまうというのは、これは生命をそまつにするということとはちがうと思う。
どうしてもしなければならないと思うことを、いのちをかけてするっていうのは、じつは、生命をたいせつにしてることなんだと、ぼくはかんがえてるのさ。
だから、まず、たのしくのびのびと生きようや。いつでも力をだしきってるのもつかれるから、ときどきは休んで、すこし走ったら歩いたり休んだりというふうに、じょうずにペースをつかんで生きていくといいと思う。
休んでるときは、いずれせいいっぱいがんばるときのために、エネルギーをためてるんだとかんがえよう。でも、ためるだけためて、つかわないひともいるだろうけどな。うーん、ぼくもその1人のようだし。ま、大きなことはいえないね。
ワハハ、なんだか、きみたちに生き方をおしえるなんていう、ぼ くのあんまりすきでないことをしてしまったようなきがする。こんなかたい話をするつもりじゃなかったんだけどなあ。
病気ってやつ、そんなに悪いもんじゃないってことを、きらくに話したかっただけなのになあ。へへへ
ワハハ先生は、めずらしくワハハとわらわないで、へへへとわらった。
ぼくたちもつられて、へへへとわらってしまった。
さいごに、こんなことだけいっとこう。
ぼくたちは、いろんなことを"これはこうなんだ〝って、きめつけてしまってることがある。病気はよくない、健康はよいとか、バイキンは敵とか、つばやおしっこはきたないとか、そういうことをね。でも、こういうきめつけは、まちがってるかもしれないんだ。ぼくらがそう思いこんでるだけで、ほんとうは、そんなもんじゃないかもしれないんだな。
きみたちはわかい、じゅうぶんにわかい。だから、いろんなことをうたがって、それをたしかめていく、じゅうぶんな力をもってる。おしえられたことをうのみにしないで、ほんとうかな、ちがうんじゃないかなって、うたがってみる心をもつことがたいせつだと思う。
これまでぼくが話してきたことのなかにも、まちがいがあるかもしれない。一つの病気について、いまはこれが原因だと思われていても、3年後には、そうじゃなくて、べつの原因だってわかるかもしれない。そうやって、よのなかはすすんでいくんだからね。
だから、きみたちには、疑問をもち、それを自分でたしかめていくようなひとになってほしい。ぼくのきょうまでの話が、きみたちがそういうひとになるためにやくだつかどうか、自信がない。
でも、ぼくとしては、せいいっぱい話してきた。もうすこし年をとったら、すこし人間が進歩して、もっといい話ができるようになるかもしれない。そうしたら、また話をさせてほしいな
ワハハ先生は、シンミリとしてそういうと、話をおわった。みんなも、なんとなくシンミリしたかんじだったけど、すぐにそういうふんいきはこわれて、にぎやかに話しはじめた。
#楽隠居です
小学生を対象にした本ですが、病気の事がよく分かるように丁寧に説明してありますので、大人が読んでも充分楽しめる本だと思います。
しかし第三巻の後半では、鶴見俊輔著「思想の落とし穴」からの引用が始まり、「日本人はほとんんどが、中国や朝鮮や東南アジアのひとたちを殺したり、つかまえて、日本のために戦わせたりすることを、なんとも思わなくなっちゃんたんだな。しかし、病気のひとたちはそういう雰囲気に影響されなかった。」という趣旨のことが書かれています。
このような表現は、進歩的文化人の人達の特徴なんでしょうが、「バイ菌に負けない丈夫な身体をつくることは、国を守ることと同じなんだ!」なんて考え方は、進歩的文化人には許されないんでしょうね・・・
参照1:進歩的文化人
参照2:風邪の効用
参照3:体癖(2)
by centeringkokyu
| 2007-09-05 00:03
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