2007年 08月 13日
「用意不用力」と「拙力僵勁」 |
陳式心意混元太極拳 馮志強著からご紹介します。
松和円活求柔順
太極拳で「用意不用力」を要求しているのは、まず何よりも拙力(不器用なちからの用い方)をなくしていくためであり、長期間にわたる以意行気、以意運身(意をもってからだを動かす)の鍛錬を通して次第次第に「積柔成剛(柔を積み上げて剛のちからを自得する)」、「剛柔相済(剛柔双方のちからを兼ね備えている)」「虚至虚霊(何ものにもとらわれず制約を受けることのない自由自在さ)」といった非常に高い境地へと到達していくためである。しかしながら我々の日常生活や仕事の中にあっては、重い物などを持ち上げたり、支えたりするのにどうしてもちからを使ってしまう習慣があり、その結果筋肉を固め、関節を固くこわばらせ、靭帯を締めてしまって、拙力や僵勁(こわばり死んだちから)が形成されることになる。こうしたことは太極拳を学び始める人のからだにはっきりとした影響となってあらわれ、やっていても何かぎごちなく、気持ちよくもなく、全身が協調しにくいものがある。したがって「用意不用力」という要求とからだに本来根づいてしまっている「拙力僵勁」とはまったく対照的な矛盾関係にある。この矛盾をいかに解決していくか、太極拳をこれから始めようとする人にとってこれが大きな課題となる。
一般的にいって太極拳の練習には三つの段階がある。柔順の段階、沈着の段階、そして虚霊の段階である。これを太極拳の剛柔からいえば、積柔(柔のちからを積みあげる)、成剛(その結果剛のちからも自ずと備わる)、剛柔無跡虚至虚霊(剛柔ともに見えなくなるまで深まり、自在に自らを律し他者を制する)ということになる。この三つの段階は密接不可分の関係にあり、一定の蓄積を経ることによって一つの段階から次の段階へと昇華していくものである。
そして柔順の段階において、まず解決しなければならない課題とは、拙力僵勁をなくしていくと同時に、柔順の勁(柔らかくスムーズなちからの運用)を育てていく、ということである。そのため「松」と「円活」から着手することが望ましい。初心者はよく「松」を「軽」と取り違え、その結果注意が散漫になり、気勢も出てこないことが多いものである。「松」と同時に「円活」、つまり全身いたるところが滑らかで、滞りのない状態で動けるようにしたとき、はじめて拙力僵勁を克服することができ、柔順のちからを確立して次のステップである沈着へと徐々に進んでいくことができる。
「松」と「円活」。まず全身内外、四肢から躯体部の筋肉・骨格・靭帯・皮膚すべてがゆるみ、開くようにする。全身がゆるみひろがることによって、気の通り路である経脈はいささかも滞ることなく流れ通るようになる。それはあたかも地下水脈が何ものにもせき止められず、極めてスムーズな流れを保っているようである。「円活」とはこうした流れを内にもち、あらゆるかたち、あらゆる動きが固まらず、滞らず、滑らかで心地よいものとなるようにすること。それは必然的に円一球の勢い、ちから、動きとなってあらわれることになる。
ではこれをどのようにして実現していくか。まず心-こころ。心が放松(リラックス)すると思う。すると全身放松しないところはなくなる。心で松開(ゆるみ開く)と思う。筋肉・骨格どこも松開しないところはなくなる。その秘訣は意(こころ)と気を経穴に貫注(集める)することである。
経絡は山あいの道筋、谷川の流れに例えられる。経穴(ツボ)は小都市や集落といえるだろう。道が通り、川の水が流れることによって、経穴は内気が最も活発に流れるところ、そして最も敏感なところとなる。骨の関節がある部位に位置する経穴は内気が骨髄に流れ込んでいく竅門(きょうもん=入口)となる。意気貫注経穴とはこの経穴にこころを集めることである。
例えば肩にある経穴(肩井穴)がゆるみ開く、と思う。長期にわたる鍛練によって肩関節は自然にゆるみ開いていく。肘の経穴(風池穴)がゆるみ開くと思う。長く続けることによって肘関節は自然にゆるみ開いていく。胯(股関節周辺)にある経穴(環跳穴)がゆるみ開いていくと思う。次第に、そして自然に胯の関節がゆるみ開いていく。胸にある経穴(膻中穴)がゆるみ開いていくと思う。徐々に自然に胸がゆるみ開いていくだろう。このように、こころでツボ(経穴)を思う。そのツボに日々昼夜気が流れるようになる。筋肉は自然に骨から剥がれ、関節は自然に開いていく。そして放松松開(ゆるみ、ゆったりと開く)という効果が現れるようになる。
更に、「意為気頭、気随意行(意は気の頭となり、気は意に随って行く)」という作用が起こり、こころで経穴がゆるみ開くと思えば、そのまま内気が経穴から骨髄の中に入り、関節から関節へと流れ伝わり、再び骨のつなぎ目から外に出て皮膚を潤し、経絡を通って四梢(手足の先端)まで及び、ゆるみつつ沈着(沈み安定する)するようになる。
もう一つ。全身内外上下を問わず、すべてゆるみ下に沈んでいくとこころに思う。ただし、頭頂部は上方にひきあげられ、舌先と会陰も上方に引き上げておく。沈肩墜肘、胸虚腹実、搨腰斂臀、坐胯屈膝、気沈丹田、上虚下実、などなどそれにあたる。站椿功であろうと、全身を動かしている時であろうと、ゆるみ、開き、下に沈んでいく、というようにこころを働かせる。このようにして鍛練を重ねていけば、拙力僵勁がなくなっていき、また柔順の勁も自ら生まれてくるようになる。
ここでいう柔順とは、全身内外が和順柔靭(なめらかでスムーズ、しなやかで柔らかい)という意味であって、決して柔軟ということではない。「和」とはこころの中の中和の気のことであり、「順」とは隅々までスムーズに通るという意味があり、「柔」は「剛」と相対的に用いられ、軟でも硬でもなく、軽くも重くもなく、水の流れるような状態を指す「靭」とは柔らかく、しかも弾力があるということである。
徹底的にリラックスし、なめらかで滞りのない状態を通して柔順を実現していく。これは初心者が拙力僵勁を克服し、太極拳の内勁を体得していくための鍵であり方法なのである。
#楽隠居です
センタリング呼吸法では、日常生活での「拙力僵勁」を無くすことが目的になっています。自分の癖に気づき、新しい回路を創り出すことが大切だと考えています。太極拳のように特別に稽古する必要はありませんが、日常動作の中の誤作動に早く気づき、こまめに工夫していただきたいのです。その為には、丁寧に息を吐くことから始めるのがいいかもしれません・・・
参照1:太極拳の要訣
参照2:砂時計の動きをつなげる
参照3:神力徹眼心
by centeringkokyu
| 2007-08-13 00:03
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