2007年 08月 03日
こころとからだにきく方法 |
「フォーカシング事始め」 村瀬孝夫著から引用します。
ボディ・ワークとフォーカシング
私はかつて精神療法と身体性というテーマを与えられて、フロイトからロジャーズを経てジェンドリンに至る道筋を追ってみたことがありますが、これまでの伝統的な心理療法と異なり、身体感覚を重視するフォーカシングは、いわゆるボディ・ワークと呼ばれる様々な心身へのアプローチとも無縁ではありません。アメリカ合衆国では、精神分析家であったローウエンが、生体エネルギー法という種々の身体的な方法を組み合わせたシステムを作り出したり、我が国では、かつて来談者中心法などの普及に大きな役割を演じた伊東博が、これも晩年にはヨーガや気功などを取り入れた独自のニュー・カウンセリングを開発しています。これらの場合に共通する点は、いずれも専門家としての経歴の前半には心・精神のみへの働きかけに打ち込んでいたのが後半には肉体の操作を通して心に働きかける方向へと大転換をしていることです。
【伊東博氏は「アレクサンダー・テクニーク—姿勢が変わる・からだが変わる・生き方が変わる」W.バウロー著の翻訳を手がけておられます。古錐】
しかしこれらのやり方に共通するのは、開発者の前身であった心理療法家の顔が後ではほとんど消えてしまって、もっぱら身体面の働きの強調に終始することです。これはやはり心か体かという2分法に影響されてのことかも知れません。その点、フォーカシングでは元々心と体との接点ともいえるような微妙な領域そのもので勝負するわけなので、フォーカシングとボディ・ワークとを結びつけるにしても、これまでとはひと味違う接近が可能になると考えられます。しかしながら、アメリカではフォーカシングとボディ・ワークとを関連させたワークショップなどは開かれているようですが、実体は不明です。
我が国では、東京フォーカシング研究会がかなり以前から、ヨーガや整体法などを柔軟に取り入れた独特のやり方で、まずからだをほぐす中で心もほぐしていき、フォーカシングを導入しやすい条件を醸成していくというやり方をあみ出して成果を上げつつあります。このやり方を始めた白岩絃子氏などによると、きっかけは日本人にはジェンドリン法のままよりも、身体を取り入れた方法を加えたほうが馴染みやすいため、とのことでした。これにはうなづける面もありますが、欠点として私が感じるのは、フォーカシングの本質である自己の内面へのかかわりが薄まって、身体性との区別が曖昧になる点と、時間がかかりすぎるということです。ジェンドリン法では、身体や呼吸の調整はあくまでも一時の方便で、ごく僅かに止めるべきものですが、東京フォーカシング法ではそれ自体が1本の主要な柱として完全にフォーカシングの実習に組み込まれており、フォーカシングとわかちがたく結ばれているようなのです。例えば、ボディ・フォーカシングともいうべき営みでは、単なるボディ・ワークを越えて、身体を働かせる間も注意を身体感覚に向けさせ、身体が求める方向へと操作を向けていくようなことも行われているようです。しかしこうした独自のやり方は、未だ理論的には極めて曖昧であり、実践上の効用は認められますが、手続き上も、公式化が不十分なように見受けられます。東洋的な心身一如という態度や現象を理論化するのは至難の業というべきなのでしょう。
#楽隠居です
前回の中心塾西宮教室で、ある参加者の方からフォーカシングに関しての感想を求められました。その方は、非常に敏感な方で、自分の身体に意識を集中しただけで、軽い自発功(活元運動?)のような状態になり身体も楽になったと言っておられました。
数冊のフォーカシング関連の本をざっと読んでみたのですが、上記の記述が一番、私には納得できる部分でしたので、ご紹介してみました。
センタリング呼吸法の場合は、「深く静かな呼吸による 心と身体のセンタリング」で、心の方は後から変化してくると考えています。ですから、ボディ・フォーカシングについては『実践上の効果は認められるが、理論的には曖昧で、公式化が不十分。東洋的な心身一如は理論化できない。』とのことですが、「こころこそ こころ惑わす こころなり こころにこころ こころ許すな」という事を考えますと、ころころ変わるこころを先に取り扱う事の難しさの方を感じるのです。
まぁ〜フォーカシングは、あくまでも心理療法ということで、理論的にも完成され、公式化が十分出来ているということなのだと思います。それにアカデミックじゃないといけないんでしょうね・・・ 【アカデミック[形動]1 学問の分野で正統的で堅実なさま。学究的。「―な研究書」2 伝統的、格式的で、新しさや生気に乏しいさま。「―な芸術」】
こんなんどうか?(道歌)から
絞り込み 被写界深度を 深くして イメージ決めて ピントを合わす
何事も ピントが合えば くっきりと 努力しないで はっきり解る
参照1:フォーカシングのインストラクション
参照2:フォーカシング
参照3:「立体視」〜「空間認識」〜「うすらぼんやり」
参照4:脳と眼と呼吸
参照5:治療の際に大切なこと
ボディ・ワークとフォーカシング
私はかつて精神療法と身体性というテーマを与えられて、フロイトからロジャーズを経てジェンドリンに至る道筋を追ってみたことがありますが、これまでの伝統的な心理療法と異なり、身体感覚を重視するフォーカシングは、いわゆるボディ・ワークと呼ばれる様々な心身へのアプローチとも無縁ではありません。アメリカ合衆国では、精神分析家であったローウエンが、生体エネルギー法という種々の身体的な方法を組み合わせたシステムを作り出したり、我が国では、かつて来談者中心法などの普及に大きな役割を演じた伊東博が、これも晩年にはヨーガや気功などを取り入れた独自のニュー・カウンセリングを開発しています。これらの場合に共通する点は、いずれも専門家としての経歴の前半には心・精神のみへの働きかけに打ち込んでいたのが後半には肉体の操作を通して心に働きかける方向へと大転換をしていることです。
【伊東博氏は「アレクサンダー・テクニーク—姿勢が変わる・からだが変わる・生き方が変わる」W.バウロー著の翻訳を手がけておられます。古錐】
しかしこれらのやり方に共通するのは、開発者の前身であった心理療法家の顔が後ではほとんど消えてしまって、もっぱら身体面の働きの強調に終始することです。これはやはり心か体かという2分法に影響されてのことかも知れません。その点、フォーカシングでは元々心と体との接点ともいえるような微妙な領域そのもので勝負するわけなので、フォーカシングとボディ・ワークとを結びつけるにしても、これまでとはひと味違う接近が可能になると考えられます。しかしながら、アメリカではフォーカシングとボディ・ワークとを関連させたワークショップなどは開かれているようですが、実体は不明です。
我が国では、東京フォーカシング研究会がかなり以前から、ヨーガや整体法などを柔軟に取り入れた独特のやり方で、まずからだをほぐす中で心もほぐしていき、フォーカシングを導入しやすい条件を醸成していくというやり方をあみ出して成果を上げつつあります。このやり方を始めた白岩絃子氏などによると、きっかけは日本人にはジェンドリン法のままよりも、身体を取り入れた方法を加えたほうが馴染みやすいため、とのことでした。これにはうなづける面もありますが、欠点として私が感じるのは、フォーカシングの本質である自己の内面へのかかわりが薄まって、身体性との区別が曖昧になる点と、時間がかかりすぎるということです。ジェンドリン法では、身体や呼吸の調整はあくまでも一時の方便で、ごく僅かに止めるべきものですが、東京フォーカシング法ではそれ自体が1本の主要な柱として完全にフォーカシングの実習に組み込まれており、フォーカシングとわかちがたく結ばれているようなのです。例えば、ボディ・フォーカシングともいうべき営みでは、単なるボディ・ワークを越えて、身体を働かせる間も注意を身体感覚に向けさせ、身体が求める方向へと操作を向けていくようなことも行われているようです。しかしこうした独自のやり方は、未だ理論的には極めて曖昧であり、実践上の効用は認められますが、手続き上も、公式化が不十分なように見受けられます。東洋的な心身一如という態度や現象を理論化するのは至難の業というべきなのでしょう。
#楽隠居です
前回の中心塾西宮教室で、ある参加者の方からフォーカシングに関しての感想を求められました。その方は、非常に敏感な方で、自分の身体に意識を集中しただけで、軽い自発功(活元運動?)のような状態になり身体も楽になったと言っておられました。
数冊のフォーカシング関連の本をざっと読んでみたのですが、上記の記述が一番、私には納得できる部分でしたので、ご紹介してみました。
センタリング呼吸法の場合は、「深く静かな呼吸による 心と身体のセンタリング」で、心の方は後から変化してくると考えています。ですから、ボディ・フォーカシングについては『実践上の効果は認められるが、理論的には曖昧で、公式化が不十分。東洋的な心身一如は理論化できない。』とのことですが、「こころこそ こころ惑わす こころなり こころにこころ こころ許すな」という事を考えますと、ころころ変わるこころを先に取り扱う事の難しさの方を感じるのです。
まぁ〜フォーカシングは、あくまでも心理療法ということで、理論的にも完成され、公式化が十分出来ているということなのだと思います。それにアカデミックじゃないといけないんでしょうね・・・ 【アカデミック[形動]1 学問の分野で正統的で堅実なさま。学究的。「―な研究書」2 伝統的、格式的で、新しさや生気に乏しいさま。「―な芸術」】
こんなんどうか?(道歌)から
絞り込み 被写界深度を 深くして イメージ決めて ピントを合わす
何事も ピントが合えば くっきりと 努力しないで はっきり解る
参照1:フォーカシングのインストラクション
参照2:フォーカシング
参照3:「立体視」〜「空間認識」〜「うすらぼんやり」
参照4:脳と眼と呼吸
参照5:治療の際に大切なこと
by centeringkokyu
| 2007-08-03 00:06
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