2007年 07月 27日
知的正直 |
「渡部昇一の人生観・歴史観を高める事典」から抜粋してご紹介します。
知的正直のすすめーー分からないことに対していい加減であるな!
英語に「知的正直(インテレクチュアル・オネスティintellectual honesty)」という言葉があります。簡単に言えば、分からないのに分かったふりをするなということです。
もちろん、本当に分かったつもりでいたのに、間違いだったということはあります。それはあてずっぽうの間違いとは違いますから、そういう間違いなら、間違いに気づくたびに確実に進歩します。
しかし、端(はた)から見ていたのでは、あてずっぽうで間違えたのか、本当にそうだと確信しながら間違えたのかは区別がつきません。その区別がつくのは、自分だけです。【タヌキ寝入りと同じですね!古錐】だからこそ、「己に対して忠実なれ」というシェークスピアの忠告が生きてくるのです。
この分からないものは分からないとし、分かったものだけを分かったとする姿勢は、その後の知的向上のための出発点でもあります。そして特に大切なのは、「本当に分からない」という頭の中で消化しきれない、煮え切らない不満足なのです。言い換えれば「分からない」ことに耐え続けることなのです。
なぜならば、そういう姿勢でいるからこそ、ある時は、はたと分かった時に、背骨がぞくぞくとする知的オルガスムスを得ることができるからです。そしてそれこそが知の最たる喜びなのです。
私はこの喜びが忘れられないから、いろいろな分野にも好奇心が湧いて分かろうとしているのかもしれません。
#楽隠居です
私は残念ながら、これまで知的オルガスムスを味わったことは無いと思います。分からないから無念と思うこともありませんが、なんでやろ〜と思ったことを、本を読んだりネットで検索したりして、ある種のヒントに巡り合えた時には、ちょっとだけぞくっとします。しかし、「分かった」「こうだったのか」と思うことはありませんでした。はは〜ん、こんなことだってあり得るよねぇ〜・・という感じです。
このブログでも、健康法や合気、政治経済などに関して取り上げていますが、「こういうことや!わかったか〜」と思って取り上げたことはありません。何時も「こんなん出ましたけど〜」という「自己完結型お取り次ぎブログ」路線だと思っています。結論は、どうぞ皆さんでお出し下さい。
毎日、もう何も書くことがないから休もうと思っているのですが、何故か突っ込みたくなるようなニュースや本に出会ってしまって、ちょっとだけ突っ込んどこうかなぁ〜と思ってしまうのです。暑いことですし、まぁ〜無理せんと、ぼちぼち更新させてもらいますんで、よろしゅうお願いしますわ!
先日も、最近入会された方が、このブログを読んでくださって、「あまりにも量が多いのでどこから読んだらいいでしょうか?」とのご質問がありました。
そこで、まずは左の「呼吸法中心塾と合気観照塾の基本的な考え方は、こちらをご覧下さい。」の「こちら」をクリックしていただければ全体の考え方がお分かりいただけると思います。あまりにも多すぎて私も何について書いたか、どなたの原稿をご紹介したのか覚えていませんので、このブログ内で単語検索をしていただきたいと思います。
参照1:分からないから工夫する
参照2:「虚」は分からない?
参照3:わかる
参照4:自分の整理整頓
参照5:学ぶとは洞察力を養うこと
参照6:達人は「習熟」を自ら否定する
参照7:禅的教育プログラム
参照8:体験学習とは
参照9:仮説実験授業の考え方
参照10:ザ・ゴール
参照11:洗脳の世界
参照12:情報を疑ってみる
参照13:日中記者交換協定
参照14:達人が人を見る目
参照15:歴史教科書
参照16:円環的思考
参照17:歴史を忘れた民族?
by centeringkokyu
| 2007-07-27 00:05
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