2007年 07月 23日
感情プログラミング |
「ひとりきりのとき 人は愛することができる」アントニー・デ・メロ著からご紹介します。
黙想28
だから、言っておく。自分のいのちのことで……思い悩むな。……空の鳥をよく見なさい。……野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。……マタイ6・25~28
ときとしてだれもが不安という感情を体験する。銀行の預金額に不安を感じたり、友人の愛情の度合いに不安を感じたり、自分の学歴に不安を感じる。自分の健康状態や年齢や容姿に不安な気持ちをいだく人もいる。「どうして不安なのですか」と聞かれたら、わたしはほぼ確実に的外れの返答をするだろう。「友人の愛情を十分に得ていないから」とか、「必要な学歴や資格がないから」などと答えるのだ。言い替えれば、外部の条件を指摘するばかりで、肝心なことに気づいていない。不安な気持ちは外部の何かから生じるのではなく、わたしの感情プログラミング、頭の中で自分に言い聞かせていることから生じる、ということに気づいていないのだ。
自分のプログラミングを変えれば、外部は何一つ以前と変わらないのに、不安な気持ちは一瞬にして消え去るだろう。預金額がゼロでも全く不安を感じない人もいれば、何百億もため込んでいても不安な人もいる。これほど差が出るのは、金額ではなく両者のプログラミングの違いである。友人がひとりもいないのに人々の愛の中で安堵しきっている人もいれば、特定の人を所有し独占するほどの親密な関係にありながら不安を感じている人もいる。これも、違いはプログラミングにある。
不安な気持ちを何とかしたければ、四つの事実をよく調べて理解しなければならない。第-の事実。自分の外部にある物事を変えることで不安感をやわらげようとしても、実りはない。努力が報われることもある、もっともほとんどは失敗に終わるが。いくばくかの安堵感をもたらしてくれるかもしれないが、短命に終わる。だから、自分の容姿を良くしようとしたり、もっと金を儲けようとしたり、友人の愛情をもっと確かなものにしようとすることに、労力と時間を費やすだけの価値はない。
第二の事実は、わたしを導いてほんとうに問題のあるところ、つまり自分の頭の中で問題に取り組ませてくれる。今わたしと同じ立場にありながら、少しも不安を感じていない人々のことを考える。そのような人々が確かにいる。したがって、問題はわたしの外部の現実にあるのではなく、わたし自身、わたしのブログラミングにある。これが、第二の事実である。
第三の事実。このプログラミングは、わたしがまだ幼くて感受性の強かったころ、不安な大人たちから吸収したものだ。外界が一定のパターンに合わないたびに、大人たちはその態度とパニック反応をとおして「不安という感情の混乱を自分の内に作りあげなければならない」とわたしに教えこんだのである。そして、わたしは力の限りあらゆる手段を投じて外界を並べ替えなければならなくなった。もっと金を稼がなければ、もっと保証を求めなければ、気分を害させた人々をなだめ喜ばせなければ、という具合に。どれもこれも、自分の不安感を去らせんがための手段である。こうする必要はないと気づこう。そして、そうやっても何の解決にもならないし、この感情の乱れは自分自身と自分の属する文化によってのみ生じるのだと気づこう。こう気づくだけでも、わたしは問題から遠のき、相当の安堵感を手にするだろう。
第四の事実。自分の将来はどうなるのだろうと不安になるときには、いつでもこの事実を思い出すといい。過去六箇月あるいは一年の間、わたしはあれやこれやの出来事に不安を感じたが、最終的には何とか切り抜けてきた。それは、特定の瞬間がわたしに与えてくれた力や方策のおかげであって、それ以前の思い煩いのせいではない。思い煩いはわたしを不必要に苦しめ、弱気にさせただけである。だから、こう自分に言い聞かせる。「もしわたしが未来についてできることがあれば、たった今それを実行しよう。それからあとは放っておいて、今の瞬間を楽しむことに専念しよう。今までの人生経験からいっても、わたしがどうにかできるのは今日の前にあることだけで、未来のことではない。そして、今の瞬間がいつもわたしに必要な方策や力を与えてくれるではないか」。
不安感が完全に消え去るのは、空の鳥や野の花が持つ、あの祝福に満ちた能力を身につけたときである。今を、一瞬一瞬を、せいいっぱい生きるのだ。今の瞬間は、どれほどつらいものであっても耐えられないことはない。耐えられないのは、今から五時間後、五日後に起こると自分で思いこんでいることである。そして、頭の中でこうつぶやき続けるのだ。「これはひどい、こんなことは耐えられない、どのくらいこんなことが続くのだろう、うんぬん」。鳥や花には未来という概念がない。どうどう巡りの言葉もなく、自分が仲間にどう思われているかという不安もない。この点で、人間よりも祝福された存在である。鳥や花は天の国を隅から隅まで写し出している。だから、明日のことまで思い悩むまい。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。何よりもまず、神の国と神の義を求めよう。そうすれば、他のものは皆加えて与えられる。
#楽隠居です
感情プログラミングだけではなく、体の使い方や、呼吸の制御方法も結構変なプログラミングをされている場合が多いような気がします。先日初めて芦屋教室に参加してくださった女性も、右肩が下がり、左足の親指は浮いたような状態で来られました。
いつものように、レッスン前とレッスン後の写真を撮って並べて比較してみると、レッスン修了後には、顔の表情は明るくなり、両手の指先も伸びておられました。肩こりも非常に楽になったと喜んでおられました。数日後、紹介者のK田さんからもお電話を頂き、とても身体が楽になり、夜もぐっすり眠れるようになったと大喜びしておられたとのことでした。
身体の歪みが、呼吸や内臓に影響を与え、心理的にも不安になったり、気短になったりすることがあるようです。感情プログラミングも大切ですが、日々の生活でのセンタリング呼吸法が大切ではないかと考えています。
「深く静かな呼吸による 心と身体のセンタリング」をよろしくお願い致します!!
黙想28
だから、言っておく。自分のいのちのことで……思い悩むな。……空の鳥をよく見なさい。……野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。……マタイ6・25~28
ときとしてだれもが不安という感情を体験する。銀行の預金額に不安を感じたり、友人の愛情の度合いに不安を感じたり、自分の学歴に不安を感じる。自分の健康状態や年齢や容姿に不安な気持ちをいだく人もいる。「どうして不安なのですか」と聞かれたら、わたしはほぼ確実に的外れの返答をするだろう。「友人の愛情を十分に得ていないから」とか、「必要な学歴や資格がないから」などと答えるのだ。言い替えれば、外部の条件を指摘するばかりで、肝心なことに気づいていない。不安な気持ちは外部の何かから生じるのではなく、わたしの感情プログラミング、頭の中で自分に言い聞かせていることから生じる、ということに気づいていないのだ。
自分のプログラミングを変えれば、外部は何一つ以前と変わらないのに、不安な気持ちは一瞬にして消え去るだろう。預金額がゼロでも全く不安を感じない人もいれば、何百億もため込んでいても不安な人もいる。これほど差が出るのは、金額ではなく両者のプログラミングの違いである。友人がひとりもいないのに人々の愛の中で安堵しきっている人もいれば、特定の人を所有し独占するほどの親密な関係にありながら不安を感じている人もいる。これも、違いはプログラミングにある。
不安な気持ちを何とかしたければ、四つの事実をよく調べて理解しなければならない。第-の事実。自分の外部にある物事を変えることで不安感をやわらげようとしても、実りはない。努力が報われることもある、もっともほとんどは失敗に終わるが。いくばくかの安堵感をもたらしてくれるかもしれないが、短命に終わる。だから、自分の容姿を良くしようとしたり、もっと金を儲けようとしたり、友人の愛情をもっと確かなものにしようとすることに、労力と時間を費やすだけの価値はない。
第二の事実は、わたしを導いてほんとうに問題のあるところ、つまり自分の頭の中で問題に取り組ませてくれる。今わたしと同じ立場にありながら、少しも不安を感じていない人々のことを考える。そのような人々が確かにいる。したがって、問題はわたしの外部の現実にあるのではなく、わたし自身、わたしのブログラミングにある。これが、第二の事実である。
第三の事実。このプログラミングは、わたしがまだ幼くて感受性の強かったころ、不安な大人たちから吸収したものだ。外界が一定のパターンに合わないたびに、大人たちはその態度とパニック反応をとおして「不安という感情の混乱を自分の内に作りあげなければならない」とわたしに教えこんだのである。そして、わたしは力の限りあらゆる手段を投じて外界を並べ替えなければならなくなった。もっと金を稼がなければ、もっと保証を求めなければ、気分を害させた人々をなだめ喜ばせなければ、という具合に。どれもこれも、自分の不安感を去らせんがための手段である。こうする必要はないと気づこう。そして、そうやっても何の解決にもならないし、この感情の乱れは自分自身と自分の属する文化によってのみ生じるのだと気づこう。こう気づくだけでも、わたしは問題から遠のき、相当の安堵感を手にするだろう。
第四の事実。自分の将来はどうなるのだろうと不安になるときには、いつでもこの事実を思い出すといい。過去六箇月あるいは一年の間、わたしはあれやこれやの出来事に不安を感じたが、最終的には何とか切り抜けてきた。それは、特定の瞬間がわたしに与えてくれた力や方策のおかげであって、それ以前の思い煩いのせいではない。思い煩いはわたしを不必要に苦しめ、弱気にさせただけである。だから、こう自分に言い聞かせる。「もしわたしが未来についてできることがあれば、たった今それを実行しよう。それからあとは放っておいて、今の瞬間を楽しむことに専念しよう。今までの人生経験からいっても、わたしがどうにかできるのは今日の前にあることだけで、未来のことではない。そして、今の瞬間がいつもわたしに必要な方策や力を与えてくれるではないか」。
不安感が完全に消え去るのは、空の鳥や野の花が持つ、あの祝福に満ちた能力を身につけたときである。今を、一瞬一瞬を、せいいっぱい生きるのだ。今の瞬間は、どれほどつらいものであっても耐えられないことはない。耐えられないのは、今から五時間後、五日後に起こると自分で思いこんでいることである。そして、頭の中でこうつぶやき続けるのだ。「これはひどい、こんなことは耐えられない、どのくらいこんなことが続くのだろう、うんぬん」。鳥や花には未来という概念がない。どうどう巡りの言葉もなく、自分が仲間にどう思われているかという不安もない。この点で、人間よりも祝福された存在である。鳥や花は天の国を隅から隅まで写し出している。だから、明日のことまで思い悩むまい。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。何よりもまず、神の国と神の義を求めよう。そうすれば、他のものは皆加えて与えられる。
#楽隠居です
感情プログラミングだけではなく、体の使い方や、呼吸の制御方法も結構変なプログラミングをされている場合が多いような気がします。先日初めて芦屋教室に参加してくださった女性も、右肩が下がり、左足の親指は浮いたような状態で来られました。
いつものように、レッスン前とレッスン後の写真を撮って並べて比較してみると、レッスン修了後には、顔の表情は明るくなり、両手の指先も伸びておられました。肩こりも非常に楽になったと喜んでおられました。数日後、紹介者のK田さんからもお電話を頂き、とても身体が楽になり、夜もぐっすり眠れるようになったと大喜びしておられたとのことでした。
身体の歪みが、呼吸や内臓に影響を与え、心理的にも不安になったり、気短になったりすることがあるようです。感情プログラミングも大切ですが、日々の生活でのセンタリング呼吸法が大切ではないかと考えています。
「深く静かな呼吸による 心と身体のセンタリング」をよろしくお願い致します!!
by centeringkokyu
| 2007-07-23 00:05
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